2021-04-07 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号
十年に一度の装束の新調も、今、宮司さんを始め神社が負担をしていらっしゃるということでした。 それから、川崎大師引声念仏・双盤念仏、これは、川崎市重要習俗技芸に二〇一九年に指定されまして、大変励みになると喜ばれているということです。かねをたたくんですが、右と左がありまして、普通に録音すると、どっちから先にたたいたか分からない。
十年に一度の装束の新調も、今、宮司さんを始め神社が負担をしていらっしゃるということでした。 それから、川崎大師引声念仏・双盤念仏、これは、川崎市重要習俗技芸に二〇一九年に指定されまして、大変励みになると喜ばれているということです。かねをたたくんですが、右と左がありまして、普通に録音すると、どっちから先にたたいたか分からない。
私の地元、京都で、正確には、私というより安藤裕議員の御地元の石清水八幡宮さんの宮司さんの御好意で、新嘗祭のお米で余った分を子供宅食に御寄附をくださる、こういった本当にありがたい申出がございました。新米であれば、より子供たちがとてもおいしくいただけると思います。こういった地域での支え合い、これも含めて、この寄附文化というものが醸造していくといいなと思っております。
宮司さんによりますと、楼門とか拝殿まで浸水するのは寛文九年、一六六九年、あるいは正徳二年、一七一二年、この江戸時代の大洪水以来のことというふうに伺いました。まさに今回の水害は歴史的洪水であったというふうに言えると思います。
ことし九月ごろにイコモスの現地調査を予定しておりまして、来年夏にユネスコの世界遺産委員会で決定する予定でありますけれども、この活動の中で、ことしのバレンタインデー、二月十四日です、自民党本部において、昨年の二〇一七年七月九日に世界遺産への登録を決定された宗像・沖ノ島と関連遺産群について、どのようにして登録をかち得たのか、宗像大社の宮司さんをお招きしたり、御当地選出の国会議員の先生をお招きしたり、そのようにして
先般、神社の例大祭に参加させていただいたときに、宮司さんがおはらいするときにも米を使うわけですよね、お清めするときはお酒で、その原本も米なんですね。
非常にへんぴなところで、誰も行かなかったところなんですけれども、CNNがたまたまこれを映し出したところ、世界じゅうから観光客が来るということが起こりまして、去年、そこの宮司さんが、私は初めてドイツ人を見た、こう言っていました。
ひのえさるは、今まで見えなかったもの、それがしっかりとした形になってあらわれてくる、動き出す年だ、このように神社の宮司さんから私は教わっております。一体どんな年になるのか、そして私たちはことしをどういう年にすべきなのか、政治の責任は極めて重い、このように私は思っております。
宮司さんが同級生でございますので、親切に案内をさせていただきたいというふうなこと。 それ以外にもいろいろとございます。
私の名前もそこの先代の宮司からつけてもらった名前でして、結構思いがあるものですから、そういうことも踏まえて質問をさせていただいております。 コウノトリをぜひこの鴻巣という町にも放鳥したいという結構強い、NPO法人の皆さん、こうのとりを育む会というのがありまして、地域の住民の方も協力しながら、自治会の皆さんの協力をいただきながら、今活発な活動をしていただいています。
戦争が終わった後、この八紘一宇という文字は秩父宮殿下の御真筆であったんですけれども、これをGHQが焼きなさいみたいなことで、当時の宮司さんが砂浜に埋めて守ったとか、いろいろなストーリーがあるわけです。そういった意味で、まさに神話の中に宮崎、我がふるさとはあるわけでございます。
そういうもとにあって、財政を担ったのは陸軍省、責任者である宮司も軍人や陸軍大将らが当たって、中国への全面戦争が始まった翌年、一九三八年から終戦後の四六年一月までは、鈴木孝雄、陸軍大将をやった人がやったわけです。 神社といいますが、最初から戦争のための軍事施設として扱われました。そして、戦場に出かけていく兵士、軍人の間で、靖国で会おうが合い言葉にされた。
歴代の遊就館部長というのは靖国神社の祭祀をする責任者の宮司を補佐する禰宜が務めるなど、靖国神社がその歴史観、戦争観を、まさにここにあるように展示、宣伝する役割を靖国神社の部門として担っているということであります。 総理、そういう施設がここに紹介したパンフレットで明らかにしている靖国神社の立場について私は聞いているんです。
その開館式の挨拶をした靖国神社の湯沢貞宮司当時は、太平洋戦争を大東亜戦争と呼んで、我が国の自存自衛のため、さらに世界史的に見れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いと説明いたしました。 まさに、この主張は、靖国神社そのものであります。ですから、そうやって、みずからの参拝は性格が違うと言っても通用しない。
この図録の中でも靖国神社の宮司が、自存自衛のため、アジア解放のための正しい戦争だったと、そういう歴史観を述べているわけですね。こういう神社を閣僚が参拝をするということは、事実上、この主張に政府としてお墨付きを与えることになるんですよ。そのことをよく認識をしていただきたいと思います。 そして、この侵略戦争の中で起きたのが従軍慰安婦の問題であります。
東照宮は我が松平容保公も宮司を務めたところでもありますし、これ行ったときに感じたのは、外国人がいっぱい来ていたはずなのに、日本人の観光客はまあまあいましたけどやっぱり外国人いなかったということもありましたし、子供たちの観光をしている姿も余り見なかったということであれば、これはそういう意味では福島県だけではなくて、この除染の問題は、これは隣県まで含めてそういった配慮が必要であるというふうに思いますので
宮司さんによりますと、ことしは昨年に比べていい年になるだろう、そんな予想をされたところでございます。 ビジット・ジャパンの地方連携事業ですとか、さまざま観光庁さんの事業がございますけれども、やはりソフトに限定されていますね。なかなか使い勝手が悪い。あるいは、観光圏ということで、複数の自治体、団体が連携をしなければなかなか支援ができないというような状況にあると思います。
そうして文化財を今日まで守ってこられたんですから、私はそれに対して何も言うつもりはありませんが、こうした文化財、世界遺産、この対応に対してもっとしっかりした対策を講じなければ、宮司さんとか地域の人たちにだけ責任を持たせるのは荷が重過ぎますよ。これに対してのしっかりした対応をやってもらいたい。観光庁長官もお見えになっておりますから、御意見があればあわせてお述べをいただきたいと思います。
そこへこういう事態になったものですから、宮司にしても関係者にしても、手の施しようがないところで茫然としておるという状況ですね。そして、きのうヘリコプターで食料を運んでいただいた。 何にしても、災害がきのうかおとといに発生したみたいな話になるんですよ。
この式典には、政府からは、当時の福島啓史郎外務大臣政務官、そして政府の北東アジア課長などが出席をいたしておりまして、同大臣政務官、そして靖国神社の南部宮司、そして秋圭昊在京韓国大使館公使の三者が引き渡しの書類に署名をしたというふうに承知をいたしております。
いつも予算委員会で芝さんにやじられるんですよ、いいやじもありますけれども、あの宮司さんの。芝さんのお話で私良かったなと、式年遷宮があります、伊勢神宮、二十年に一回、二〇一三年です。全部お社などを新しくされるんですね。全部新しくされた古い方のものは、全部大切にみんなあれはお札にしたり、あるいはお社のどこかに生きて使われたりということで、伊勢神宮、一つもこれ捨てるものないんだそうですよ。
こうしたものの有効活用を図ることもまさに自給率を上げていくということでございまして、今御指摘をいただきました熊野本宮の関係もこれは大変にすばらしい取組だなというふうに思っておりまして、ただ、宮司さんのところ、神社さんのところも、これはまさにある意味では公的なものではございませんから、そのような形をしろということの指導まではできませんけれども、こうした事例を広めることによって皆様方のところで国産材を使
宮司さんも正式ないわゆる神官ではない。
ただ、基本的に、今の宮司になっておられる南部さんのこの間の発言を見ましても、国からお預かりしているこの靖国神社をいつの日か国にお返しできるようなものにしたいものだという御答弁があっておったというのが公表されておりましたので、私どもとしては、宗教法人にいろいろなことを全部押しつけているという形にとられているのではないかという点が、政治家としてきちんとそういった解決を我々がやっていくべきではないかということを