1953-10-31 第17回国会 参議院 議院運営委員会 第3号
白根君は、御手許の履歴書で御承知のように、大学卒業後神奈川県庁及び乕信部内に勤務して後宮内省に入り、宮内官として三十有余年の永きに亘り在職し、その間宮内書記官、宮内大臣秘書官、内匠頭、内蔵頭、宮内次官等を歴任し、昭和二十六年中央更生保護委員会委員となり翌二十七年八月中央更生保護審査会委員に任命されたものでありまして、更生保護事業について経験と識見を有するものであります。
白根君は、御手許の履歴書で御承知のように、大学卒業後神奈川県庁及び乕信部内に勤務して後宮内省に入り、宮内官として三十有余年の永きに亘り在職し、その間宮内書記官、宮内大臣秘書官、内匠頭、内蔵頭、宮内次官等を歴任し、昭和二十六年中央更生保護委員会委員となり翌二十七年八月中央更生保護審査会委員に任命されたものでありまして、更生保護事業について経験と識見を有するものであります。
お手許の履歴書で御承知の通り、白根君は、明治四十四年七月、大学卒業後、神奈川県庁及び逓信部内に勤務して後、宮内省に入り、宮内書記官、宮内大臣秘書官、内匠頭、内蔵頭、宮内次官等を歴任、昭和二十年十月より同二十二年五月まで貴族院議員の職にあり、昭和二十六年六月から本年七月まで中央更生保護委員会委員として在職しておつた者であります。
白根松介君は明治四十四年東京帝国大学を卒業後、宮内大臣秘書官、内匠頭、内蔵頭、宮内次官等を経まして、昭和二十年十月貴族院議員に当選、昭和二十二年五月貴族院が廃止されるまで在職していた者であります。この間恩賜財団慶福会監事、同愛育会評議員等の社会団体の役員を兼ね、財団法人司法保護協会理事、同副会長、日本社会事業協会理事等を歴任して来た者であります。