1975-06-19 第75回国会 衆議院 決算委員会 第13号
その辺、角番記者の日記なんかを調べてみますと、どうもゴルフに行っていた話が出てくるのですが、八月二十四日から二十九日まで箱根宮ノ下で静養なさって、二十八日には一日じゅうゴルフをなさっていますね。だから、こういう松本さんの話や高橋さんの話、符節が合うわけなんですね。だから、この辺ひとつどうなのか調べてもらいたい。
その辺、角番記者の日記なんかを調べてみますと、どうもゴルフに行っていた話が出てくるのですが、八月二十四日から二十九日まで箱根宮ノ下で静養なさって、二十八日には一日じゅうゴルフをなさっていますね。だから、こういう松本さんの話や高橋さんの話、符節が合うわけなんですね。だから、この辺ひとつどうなのか調べてもらいたい。
送致事実の概要は、昭和四十年八月二十二日の午前九時二十五分ごろ、神奈川県足柄下郡箱根町仙石原千二百四十六番地先路上で起きた交通事故でございまして、要するに被疑者であります大野運転手は、当時湖尻の方面から宮ノ下方面に向かって時速約四十キロメートルで進行しておりましたところ、同一方向に時速三十五キロないし四十キロメートルで進行中のバスを認めまして、これを追い越したわけであります。
接収以来三つの砲座から連日連夜昼夜を問わず弾丸を撃ち込んで、宮ノ下部落は着弾地より六百メートル、境界線より三百メートルの距離にある関係上、流弾が炸裂しますと村の中央にはね返ってきます。そのために今まで何十人かの負傷者を出しております。また田畑の耕作に行きました場合、直撃弾を食って血みどろになって逃げ帰ってきた、そういう実例もたくさんあります。
昭和二十二年の八月、私のおる部落は宮ノ下部落というところですが、ここに直撃弾が五回ありました。そしてぼくの家から約十間ばかり離れたところにある柿の木の枝に直撃を食いまして、われわれの住家に爆風あるいは破片、ひどい家になりますと、たんす、長持、鏡台、針箱、そういうものが相当に被害をこうむったのであります。この五回の直撃がありましたが、運がいいか悪いか知らないが、いまだに人畜には被害はございません。
次は弾丸の破片でありますが、弾道下の部落といつてニユースや新聞雑誌に出ておりますが、実は山形県北村山部戸沢村大字宮ノ下部落のことであります。この部落は九十六戸ありまして、この部落は弾丸の破片が前後三回落下しており、きわめて危険なる接収地外の土地であります。昭和二十六年仙台の特調の山田局長がごの現状を見まして、嘆息していたような実情でありまして、きわめて危険きわまる接収地外の部落であります。
一例を申し上げますならば、小田原、湯本、宮ノ下、強羅というような箱根め温泉地帯のごときは、日本の観光地帯として最も重要なところの一つでありますけれども、電話が非常に不便であるという声を聞くのであります。これらはむしろ強羅にしても宮ノ下にしても、あるいは湯本にいたしましても、小田原並に社債を引受けさせて、しかるべく通話疏通の道を講じてやる。