1954-07-07 第19回国会 参議院 水産委員会 閉会後第1号
○楠見義男君 それじやちよつと藤永さんにお伺いしますが、それはその各カウントの度合に応じたプランクトンを、その実験場なり或いは研究所でお集めになつて、そうして経過を見て行く、こういうことをやつておられるのでございますか。
○楠見義男君 それじやちよつと藤永さんにお伺いしますが、それはその各カウントの度合に応じたプランクトンを、その実験場なり或いは研究所でお集めになつて、そうして経過を見て行く、こういうことをやつておられるのでございますか。
さらに近くは四月二十三日とも報ぜられておりまするが、中部太平洋上のエニウエトツク及びビキニ実験場におきまして、実用水素爆弾第一号というものの最初の実験をするとの情報があるのでございます。これは飛行機によつて投下されるもので、まさに軍事的水爆時代の新機軸となるだろうと見られておるのであります。
○森崎隆君 去る三月一日早暁、アメリカ合衆国の原子爆弾実験場ビキニ環礁附近立入禁止区域東線より約十九カイリ外、即ち北緯十一度五十三分四分の一、東経百六十六度三十五分四分の一の海上におきまして、まぐろ漁業操業中、原子力爆発の非戦時におけるこれ又最初の被害を受けて帰りました日本漁船第五福龍丸、約百トンでございます、乗組員二十三名でございます。
だから私は、広島、長崎、並びに今回の被害を受けた原爆の実験に対して、日本政府としては、現在の実験場が適当でない旨の申入れをアメリカ側に対してする意思ありやいなや外務大臣に伺つておきたいと思います。
財団法人労働科学研究所は大正十年当時の続発いたしておりました社会問題、特に労働問題と時の労働事情とに鑑みまして、その対策の科学的基礎を打ち立てるために倉敷紡績株式会社の社長をやつておられました岡山県の大原孫三郎氏が考え始められまして、自分の経営しておつた倉敷紡績株式会社の一工場を研究実験場に開放して出発いたしたものであります。
そこでもう最近というお話でありますが、われわれは一昨年からいろいろ資料を集めて、この方面に対する旧南洋興発等の活動が、また形はかわつてもできるようにと思いまして、アメリカ側に話しておりますが、これが原爆の実験場であつたり、またほかのいろいろな軍事上の必要があるようでありまして、なかなか解決が遅れております。最近も一、二度アメリカ側にも話しておきました。
私は学術尊重の立場に立つて、浅間火山の全地域を一つの大きな自然の実験場として、真理探究に一生を捧げる学者の苦心と、その業績につきまして、外務大臣、文部大臣、大蔵大臣その他の関係の閣僚並びに同僚の委員各位に訴えたいと存じますので、はなはだ恐縮でありますが、二、三分の間特にこの問題について述べることのお許しをいただきたいと思います。
なお更にこの点について発議者はどう考えておられるか知れませんが農、工、商、水産等はそれぞれ大きな国の予算を持つておるのでありまして、例えば農業のほうに実験場とか実習場、或いは指導員、技術官というようなものが随分あつて、それが常に農業学校の普通の課目より比重がそのほうに非常にかかつておる。