2003-02-27 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第2号
昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣の国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣の臨時教育制度審議会設置法案提出の中における、国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣の中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な日本人をつくる観点から基本法再検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる憲法調査会法
昭和二十四年の吉田総理から始まって、二十六年の天野貞祐当時の文部大臣の国民実践要綱構想、あるいは昭和三十一年の清瀬一郎当時の文部大臣の臨時教育制度審議会設置法案提出の中における、国家、公に対する忠誠を基本法に入れるべきであるというふうな主張、あるいは昭和三十八年の荒木文部大臣の中教審へ期待される人間像の諮問の中で、立派な日本人をつくる観点から基本法再検討を、あるいは昭和三十二年から三十九年にわたる憲法調査会法
そのために、協会におきましては、常々教育研修の強化充実には格段の配慮をいたしておりまして、昭和四十一年に私が協会長をしておりました当時、私の発案で企業教育実践要綱というものを策定いたしまして、よき社会人の育成と健全な職業観の形成を相互銀行の人づくりの重点としてまいりました。
あるいは天野元文相あたりは教育勅語にかわるべき道徳要綱を国民実践要綱の形で出したいなどと言って物議をかもしたこともあるわけです。あるいはまた三十七年、これは非常に重要なことであったんですが、三十七年の五月の十一日に政務次官会議において防衛庁が学校教育に関する要望書を提出している。そして国を守る気概、そして軍事教練、こういうこともやってもらいたいという要望を出して物議をかもしたこともあるわけです。
それから能研テストの関係では森戸さん、教育委員任命制の木下さんとか、国民実践要綱問題の天野さんとか、こういうメンバーが審議会に入っておるわけなんですが、この中にはいま横から意見の出ましたような方があるかもしれませんけれども、相当問題になっておることを推進しようとする人たちが、このメンバーの中に入っておられるわけです。
そうするならば、ごく自然に社会科において取り行われる、そういった自然に身につくところの教育と、特別に道徳教育と銘打ったその単元の中で行われるこの実践要綱の道徳教育というものが、並列的な形になってくるのではないか、こういうことがこの意見の発表の中で懸念されておるのであります。
あるいは答申の中に出てきておる共同体理念、その共同体理念の中には国とか、あるいはなくなっている家族とか、そういうものが入っておるんですが、指導実践要綱案の内容を見ておっても、私は昔の危険なやっぱり共同体概念、あるいは上から押しつけるという教育方法の面があるように私は見てきた。
たとえば山口教組の平和教育カリキユラムのごとく、地方の特色と地方の行事を生かして地方色ゆたかな中に明るく親しみやすい平和教育の実践要綱をつくり、モデル学級、モデル・スクールを通じて、広く支部、県と、縦の学に子供にとどまらず、母親学級、成人学級と横にも広げられる。
○辻原委員 そうすると大臣が言われた考え方は、今日の時代では新憲法がこれにとつてかわる基本的なものである、それに対するこれを背景として個個の徳目については、これは一つ一つを国民に示すものではない、そういう必要はない、こう言われることは、これは先般もどなたかの質問にありましたが、裏を返せば、かつて天野文相が口にされておりましたような、いわゆる徳目を中心にした道徳実践要綱といつたようなもの、これが道徳の
○高津委員 前の天野文相の国民道徳実践要綱、そういうふうなものは自分が大臣中には出さないという意味であると私は理解したのでありますが、それは私は非常に賛成です。
これに全力を注がなければならぬと思うのですが、その具体的の方針として、文部省で天野さんは国民道徳実践要綱をつくつて失敗したようであるが、あれはむだではなかつた。天野さんも相当りつぱな考えでありますが、ああいうものをやはり大勢の人を集めて、そして基準的のものをつくつてみたらどうです。
漢文を学科に再び復活させるという考え方や、あるいはかつて文部大臣が持つておつた国民実践要綱というような考え方、皇道精神への復活というようなものがもし抱かれておるといたしますと、この予算の方向とにらみ合せて、おそらくまた学校に教練の復活などというようなことも出て来るのではないかと思いますが、そういう点については文部大臣は一応お考えになつておられますか。
○石野委員 さきに国民実践要綱等の問題もありまして、いろいろとその間問題が起きたために、これも文部大臣は当初の考え方をひつ込めるというようなこともわれわれ聞いております。
あるいは天皇を神聖視するような国民実践要綱が文部大臣から出されようとしたり、あるいは紀元節の復活を考える有志が現われたり、あるいは国防増強の名において、だんだん再軍備に進行しておる政策を政府がとつたり、今また国民政府を承認するということによりましてここに新しい波紋を世界に投げかけたり、この総理大臣の国会における答弁を見ましても、中共あるいはソ連に対しまする対抗意識はなはだ盛んにして、私どもは多大の不安
私はむしろこういうものが必要であるということは国民の各層がもうそれぞれに考えていると思いますから、青年層は青年層なりに日本の国民の道徳の実践要綱はどういうものでなければならないかということを考えさしてみるということをお考えになつて頂きたいと思う。決して民間から意見が出ないとは私は申しません。若い者は若い者なりに真剣にやはりそういうものを考えておると思う。
○参考人(金森徳次郎君) 詳しい資料を持つておりませんのでただ新聞に出ましたところを基礎にしておおよそ想像を画きつついくつかの点について意見を述べたいと思うのでありますが、第一にこういうような実践要綱というものを政府の手でこしらえるがいいかどうか、この点であります。私自身の関係しております面から言えば道徳の根源は各人の良心である。
国民の道徳の向上を要求し、国民道徳実践要綱とやらをポケツトに覗かせておられる天野文部大臣の足下で起つている恥ずべき不正な事件であります。第三に、佐賀県土木部事件、石川県の天狗橋事件などをモデル・ケースとしている公共事業費のかすめ取りであります。
而も又このたびの実践要綱というようなものをこれは出されようとしておる。いろいろ当委員会でも問題になつたのでありますけれども、こういうようなことが一体どういうようなあなた自身の主観的意図は別として、客観的にはどういうような、日本の現実に対してどういうような意義を持つかということ、こういうことに対して十分検討されたのであるかどうか、こういう点を私は本当にこれは率直に伺いたいと思う。
私の申上げたいことは、これを守るために精神的ないろいろな装備を、或いは修身科の復活であるとか或いは又国歌を復活するとか、或いは又現在問題になつておりますところの国民実践要綱というような、そういう観念的なもので守る、こういうことは、今まで戰争前の教育行政の中ではそういうところに傾けられて來たのでありますが、併し問題はそういうところにあらず、やはりこれを実際的に守るには教育財政をはつきり確立する。
それから前提になるところは民主主義社会の形態とか、性質とか目標というものがはつきりされた上で、その中でこの国民実践要綱の占める役割の認識ということが私は大きくかかつて来るのではないかと思います。
ただ国民実践要綱というものをお出しになる、これもやはり天野文部大臣個人の立場においてお出しになるということが、たいへんな誤解を受けておるわけでありますが、これを最近お出しになる御予定になつておるのでありますか、その点をお伺いして質問をやめます。
○渡部委員 結局それを世間では、文部大臣の実践要綱という形で漠然と伝えられておるわけですが、実践要綱なるものの原案的なものができておるとすれば、これを発表される前に、これは日本文教の中心とも見られ、根本精神ともなると思われますので、文部委員会にこの点について諮られるという御意思はあるわけですか。