2017-04-26 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第6号
そのときの参考なんですけれども、今度七ページの下段ですが、日韓、特にさっき言った司法の問題でいうと、日本というのは非常に法実証主義的なメンタリティー、逆に言うと遵法じゃないものに関しての生理的嫌悪があるんですけれども、韓国はむしろ反道徳的な行為に対して非常に生理的な嫌悪があると。
そのときの参考なんですけれども、今度七ページの下段ですが、日韓、特にさっき言った司法の問題でいうと、日本というのは非常に法実証主義的なメンタリティー、逆に言うと遵法じゃないものに関しての生理的嫌悪があるんですけれども、韓国はむしろ反道徳的な行為に対して非常に生理的な嫌悪があると。
特に、教育の国イギリスは、できるだけ多くのそういうスタイルを担保して、実証主義的に理想形を追求していこうという姿勢があるわけなんです。 先ほど大臣おっしゃったような理由で、構造特区でも教育委員会をなくすなくさないの判断は、なかなかなくすという判断はできないということをおっしゃっていました。 日本には国立の小中高もあるわけですね。
まさしく御指摘があったとおり、法治主義、法実証主義といいましょうか、悪法も法であるといったような結末につながるものでありますし、御紹介があったとおり、ドイツではまさしく、帝国公民法、一九三五年でございましたか、もしくはドイツ人の名誉に関する法というものがきちんとしたプロセスを経て制定されたわけでございますし、さきの臨時国会で大臣がアーレントの映画のお話をされましたけれども、まさしくアイヒマンが、自分
ですから、そういうことも踏まえて、やや法実証主義と申し上げたのは、なかなか、こういうかたい言葉を使いますと、実はニュアンスがうまく伝えられるかどうか。私も、答弁しながら、余りにも個人的な考え方を申し上げ過ぎているなと思いながら実は答弁しているんです。ですが、大枠として、近代憲法から出てきた数百年の各国の憲法状況とかそういうものは、おおむね人権に関しては共通のものができてきていると思います。
私は、どちらかというと、もっと法実証主義的な、えらい難しい言葉を使いますが、法実証主義的な考え方があるべきではないか。それは、要するに、近代国家ができるときに、天賦人権論あるいは自然法思想を背景にしてこのような議論が行われたことは、歴史的な経緯としては極めて重要なことでございました。
法実証主義的な立場に立つのか、あるいは自然法的な理論に立つのかによっても恐らく違うんだろうと思います、私も余り法哲学のことはよく存じませんが。 それで、限界があるという議論も非常に有力にございます。それはやはり、憲法制定権力にとって根本的な価値観は、新たな憲法制定権力が出てくれば別として、憲法制定権力のもとに生まれた憲法改正権力にはできるはずがないという理論の組み立て方だろうと思います。
○赤池分科員 そのことは私もよく確認をしているんですが、結局、いわゆる考古学、実証主義、科学的な部分ということで、あくまで傍系なんですね。今上天皇がなぜ百二十五代かということを説明できないわけですね。
それで、三菱化学という名前でいろんなことを書きますと、余り批判的なことを書きませんので、諸外国はどうしてるかという政策比較という実証主義を介して結果的に日本社会を批判するというのか、研究の中立性を担保するということをやっております。ですから、研究活動費はすべて三菱、すべてと、九割ぐらいは三菱化学から、しかられながらただで情報を外に出してるということで。
他方、ドイツでは、一八五〇年のプロイセン憲法以来、憲法は立法の方法で改正されるという規定を持ち、君主制の原理あるいは法実証主義の影響の下に、憲法改正権は立法権と同視された、これがワイマール憲法あるいは現在のドイツ憲法にも引き継がれているもので、それが議会完結型というものになります。言わば憲法改正権がより低められていると、フランスと対していえばそういう位置付けになるかと思います。
もちろん、それも非常に大事な点でありますけれども、農林水産省でかつて、疫学調査を含めて、飼料、どこに問題があるかを検討された際には、さらに実証主義といいますか、証拠集めをされて、その御苦労を踏まえての総合判断というふうに理解しております。
そういう仮説を立てられた、その仮説が現実に合致しているのか、それが事実認識として妥当なのかということは、少なくともだれかがおっしゃった、こうおっしゃったじゃなくて、一次資料に当たって検証するのが実証主義の立場じゃないでしょうか。 私は、実は経済学なんてはっきり言って勉強したことがないんですが、日本史専攻におりまして、日本史専攻というのはまさにそうなんですよ。仮説を一定立てる。
○桜内参考人 国民と政府との間のガバナンスが弱いと申し上げますのは、憲法上の規定としてそういった仕組みになっていないというものを理論的に見たものでありまして、むしろ逆に、国会と内閣との間のガバナンスが強いというのは、今現在の、憲法八十三条に、あるいはその後に続きます条文等に基づきまして、国会が最終的にはすべてを決めることができるという条文上の、ある種、法実証主義的な見方によるものなんです。
また、ケルゼンと同様に、議会制、民主制、政党を力強く擁護しましたが、実証主義というケルゼンの学問方法論を徹底的に批判しましたヘルマン・ヘラーも、特定の領域内に居住する人々の多種多様な活動に秩序を与え、統一体を形成するために重要な政治的決定を秩序構成員自身が行うことという方向で民主制を理解しておりました。
とりわけ現地主義、実証主義に基づく調査研究と成果の普及、国際、国内の共同研究と研究交流、資料収集、人材育成は国際的にも高く評価されています。 かつて所長、会長としてアジ研に在籍した元政府税調会長の小倉武一氏も、アジ研とジェトロについて、二つの機関の性格は相当に異なる、組織の機能や役割を無視した行革は日本の将来にとって重要な機能の弱体化を招くだけだろうと指摘しているのであります。
なおまた、御承知のとおり、昨年の十二月三日の私どもの行政改革最終報告におきましても、そのようなところは、いわば客観性の高い人事評価システムというものと能力実証主義をきちんといたさなければなりませんねと、改革の方向を明示いたしておるところでございます。
いわゆる実証主義ということでありまして、行政の現場における実態をベースに具体的な事実、問題点を積み重ねて各省庁に改善方策を勧告いたしております。 行政監察は、その実施形態からは中央計画監察と地方監察に大別されますが、中央計画監察は、本庁が監察テーマ、調査時期、調査対象、調査方法などを決めまして、出先機関である管区行政監察局あるいは行政監察事務所を動員して実地調査を実施するものでございます。
いわゆる実証主義ということでありまして、行政の現場における実態をベースに具体的な事実、問題点を積み重ねて各省庁に改善方策を勧告しております。 行政監察は、その実施形態から中央計画監察と地方監察に大別をされます。
また、学習指導要領においては、学校の教育活動を進めるに当たりましては、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を図る」ことを定めているところでありまして、生徒一人一人がみずからの物の見方や考え方をもって主体的に判断し行動できる力を培うため、論理的思考力、理性的判断力、実証主義的な物の考え方などの能力の育成を図ることが大切であると考えられております。
○島村国務大臣 すべてが戦後教育の誤りにあるというふうに断定すべきではないと思いますが、若者が、あれだけ本来優秀と考えられる人たちがオウム真理教へ入信したことにつき、また、あの行動をとったことにつきましては、さまざまな個人的、社会的背景があった、こうは思いますが、少なくもこういう若い人たちには、理性に対する信頼が不足していたり、あるいは科学的な実証主義の手法に欠けていたという面があったように思います
私どもの行政監察において重要なことは、いわゆる実証主義ということでございます。これは何を意味しているかと申しますと、具体的な事実を相手省庁にぶつけて改善を迫る、私ども実証主義と言っております。
そこで、この問題を道徳教育の問題と結びつけるという考え方もありますが、私はむしろ、やはりこれらの方々は人間の理性に対する信仰が足りないということと、もう一つはやはり科学する心、それは近代の精神の一つであります実証主義的な手法の欠如だろうと思っております。
ただ、指名手配されあるいは逮捕されている方々の学歴を見ますと確かに高学歴ではありますけれども、そういう方々はそれまでの成長過程での精神形成にやはり欠陥があったんであろうと思われますし、また理性に対する信仰も足りませんし、実証主義的な手法においても欠陥があるのであろうというふうに思っております。
それから一方では、心の問題かといえば、やはり事に当たって理性的な判断ができるかどうか、あるいは事に当たって実証主義的な手法がとれるかということにかかわってくるわけでございまして、超能力等をいたずらに信じるというのは、やはり私自身の理性を信ずるとかあるいは実証主義的な手法を信じるとかということとは全く反していることでございまして、そういう意味では、心の問題もさることながら、やはりみずからの理性を信ずる