1997-03-04 第140回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号
また、私の小学校の同期生が、四人が満蒙開拓青少年義勇軍に参加し、この典型区、モデル区のある宝清県というところに昔入植を、何十年前ですが、しておりまして、そして最後はソ連に抑留された。シベリアやウクライナにまで抑留をされて、元気で帰ってきたのですが、彼らが、二人ほど亡くなりましたが、私にこう言っておったのです。自分たちは、当時の日本の政府の誤った政策で海外に出て大きな犠牲を受けた。
また、私の小学校の同期生が、四人が満蒙開拓青少年義勇軍に参加し、この典型区、モデル区のある宝清県というところに昔入植を、何十年前ですが、しておりまして、そして最後はソ連に抑留された。シベリアやウクライナにまで抑留をされて、元気で帰ってきたのですが、彼らが、二人ほど亡くなりましたが、私にこう言っておったのです。自分たちは、当時の日本の政府の誤った政策で海外に出て大きな犠牲を受けた。
私は、三江平原に何回か行ったり、のめり込んでおるという御批判を大分聞いておるのですが、実はなぜかというと、私の小学校の同級生が四名、いわゆる満蒙開拓義勇軍で宝清県の竜頭橋の近くに行っておったのですよ。そして、五名で一名亡くなり、四名がシベリア、ウクライナに抑留されて帰ってきた。この間亡くなったのですが、非常にそのことをよく話しておりました。
それから、JICAがもう一つ具体的にやっているのには農業総合試験場計画というのがありまして、私も宝清県それからジャムス、ハルビンと、現地の三、四カ所のJICAのやっている試験場を見てきたのでありますが、冷害試験であるとか育種の試験であるとか畑作の試験それから土地改良、排水の試験等々やっております。
○辻(一)分科員 この点は現地の中国側も、黒竜江省それから現地の宝清県、それから双鴨山市というのが県の上に、県と市が日本と道なんですが、黒竜江省、双鴨山市それから宝清県、それぞれ非常に熱意を持っておりましたので、このことをもう一度お伝えをして、ぜひひとつ具体的に考えていただきたい、期待をいたしたいと思います。
特に、ここは穀物生産基地としてやろうということでありまして、そのときにも、今お話がございました宝清県の竜頭橋を中心にしてダムをつくりながら、このダムをもとにしてかんがい等をやるということでその計画が進められておるということでありまして、私どもとしては、さきにも申し上げましたように、中国全体にとってもやはり大切な場所になっていくのじゃないのかな。
昭和十六年の関特演、関東軍の特別大演習のときには、私はちょうど教練指導員でおりましたししますので、その中の訓練生を五十名すぐ出してくれ、そして指導員一名つけということで、私が行きまして、宝清県から大和鎮に至る湿地の道路建設作業、それを、軍の隊長は滝川中尉でありましたが、その方と下士官、兵が各班に責任者につきまして、約三カ月間軍のまかないを得まして作業に従事しました。
それから、これは今の御質問の前になりますけれども、私がおりました龍頭の訓練所の警備の担任は、要するに虎林山線の興凱駅から宝清の町に至る道路の警備を担当するのだ、一旦日ソが戦端を開いた場合にはそれをやるのだ、それについて教練指導員の私に警備計画を出せ、こういうふうに、はっきりとしたお前たちにさせるのだというのではなしに、警備指導員である私に警備計画を出させております。