2015-09-25 第189回国会 衆議院 憲法審査会 第5号
例えば一七〇七年、宝永地震が発生をいたしましたときは、南海、東南海、東海地震が三連動型で発生をし、さらにその四十九日後に富士山が大爆発を起こすという非常に厳しい状況に日本は置かれたわけであります。 現代においてもこういうことが起こり得ないわけではありません。いかに最悪の事態をリアルに想定してあらかじめの対応を考えておくべきか。
例えば一七〇七年、宝永地震が発生をいたしましたときは、南海、東南海、東海地震が三連動型で発生をし、さらにその四十九日後に富士山が大爆発を起こすという非常に厳しい状況に日本は置かれたわけであります。 現代においてもこういうことが起こり得ないわけではありません。いかに最悪の事態をリアルに想定してあらかじめの対応を考えておくべきか。
実際に、これまでの歴史、過去を振り返ってみましても、一七〇七年の宝永地震では大谷崩れが起きました。一八五四年の安政地震では七面山崩れ。いずれも大規模な崩壊が起きています。このほかにも、小規模な崩壊も珍しくありません。 崩壊が起きれば、発生残土置き場も崩壊することは明らかです。
同時に台風が来るかもしれませんし、焼津市、静岡県は富士山の地元ということで、一七〇七年の宝永地震の後には、四十九日後には富士山が爆発しているという、大きな地震の後には火山活動も活発になるということも考えられるわけで、そういった火山、台風なども含めた、そういう複合的な災害への対応というのは特に何かやっていらっしゃるんでしょうか。もしあれば教えていただければと思います。
また、一七〇七年には東海トラフを震源地とする宝永地震の後に富士山が噴火をしているのはよく知られていることであります。また、スマトラ沖地震、二〇〇四年にありましたが、その後にインドネシアで噴火が相次いでいるように、大きな地震の後には火山の噴火というのはよくあることであります。
例えば、東海、それから東南海・南海地震が同時に起こった例とされる宝永四年の宝永地震、その四十九日後に富士山の宝永大噴火が発生をしております。また、大量の火山灰が富士山周辺地域に降って、江戸の町まで灰まみれになるなど、その火山灰の処理に大変苦慮をしています。
それは、一六〇五年の慶長地震、一七〇七年の宝永地震では、三つの地震が連動して発生している。一八五四年には安政東海地震と安政南海地震の二つの地震が連続して発生した。中央防災会議が公表しました被害想定では、三つの地震が同時に発生した場合には、マグニチュードは八・七程度で、神奈川県から宮崎県までの範囲で震度六弱以上、福島県あたりまでは震度五の揺れに見舞われます。
例えば、江戸時代の宝永地震は三地震同時発生の形でございました。 そこで、本日は、公共施設ですね、これは災害の発生時におきましては避難所となり得るところでございます。特にその中でも学校施設の耐震化、この話は以前にも取り上げさせていただきましたけれども、それと、広域災害の発生におきまして、救援、そして復旧に役立つ基幹的防災拠点の整備について伺いたいと存じます。
御案内のとおり、東海地震につきましては、十七世紀、十八世紀、十九世紀と、具体的に申し上げますと慶長の地震、宝永地震、それから安政の東海地震という形で、おおむね百年から百五十年ぐらいの期間の間に地震が起きてございまして、いわゆる駿河湾を想定震源といたしますマグニチュード八クラスの地震が近い将来に起きることについては懸念されているところでございます。
この浜岡原発の安全問題については、今までも本委員会で私たびたび取り上げてまいりましたが、三号炉増設補正申請書、ここに持ってまいりましたが、「浜岡付近の地震被害歴」として宝永地震、安政東海地震などを挙げて、震度五以上の地震は歴史的な事実として十個あるとしておりますが、これは事実に反するんではないでしょうか。
例えば宝永地震、安政地震、その前後に発生しておる地震がございますので、これはある程度内側と外側との関連があるかもしれない。そうでない地震ももちろんございます。 それで、こういう地震を調べてみますと、昔の被害といいますのはどの程度正確に記述されているかわかりませんが、七に近づきますとほとんど山崩れが起きているようです。
あるいは宝永地震の際に、中央構造線とかあるいは糸魚川−静岡線のあの付近あたりに地震活動がございましたけれども、それはどうしてそういうことになるのか。そういった理学的な面での研究もまた非常に大切になってくる。
この地震が、果たして安政の地震で言われているように同様な規模で駿河湾の内部までを巻き込んで起こっていたかどうかということを知ることは、先ほど御説明申し上げました駿河湾が毎回東海沖と同時に同じ地震として活動する可能性が高いかどうかの一つの決め手になると思いますので、現在、静岡県庁その他の御協力を得まして、一七〇七年、宝永地震のときの記録を鋭意調べている最中でございます。
この場合かなり陸地に近い、あるいは一部は陸地に震源域がかかっておりますから、これは震源から何キロというのはちょっと言いにくいわけでありますけれども、震源域内に含まれる、あるいはそれに非常に接近した、たとえば静岡市あたりから浜松市あたりくらいの地域で特に地盤の悪いところでは、過去の安政地震あるいは宝永地震の経験から見ますと、震度六ないし七くらいの地震に見舞われる可能性はあるのではないかと思いますが、そうしますと