2010-05-27 第174回国会 参議院 内閣委員会 第7号
これはむちゃくちゃな大変な事業だったようでありまして、宝暦治水という有名なあれで、あそこに治水神社というのがありますけど、ああいうことをやらせながら、力をそぎながらあの体制を維持したという。 私は元々土建屋なものですから、ちょっと触れさせていただきました。このたぐいの話をさせますと一時間でも二時間でもしゃべるんですが、今日はそのテーマでございませんので、次に進ませていただきます。
これはむちゃくちゃな大変な事業だったようでありまして、宝暦治水という有名なあれで、あそこに治水神社というのがありますけど、ああいうことをやらせながら、力をそぎながらあの体制を維持したという。 私は元々土建屋なものですから、ちょっと触れさせていただきました。このたぐいの話をさせますと一時間でも二時間でもしゃべるんですが、今日はそのテーマでございませんので、次に進ませていただきます。
○石井(啓)委員 長良川につきましては、歴史を見ましても御承知のとおりでございますが、江戸時代の宝暦治水を見ましても、本当に治川の方々が大変な苦労をなさって水と闘っておられる。今お話を聞きましても、大水が出ますと堤防がごうごうと鳴る。本当に危険を感じながら暮らしている。
このような治水の歴史を何とか打開すべく、先生も御承知のとおり、宝暦治水において三川分流の計画を立て、かつ、明治におきましては、オランダの技師デレーケによって三川分流工事を企画し、現在に至っておるわけでございます。
だから、あの薩摩義士のああいう宝暦治水もあったのです。それだけに万全を期さないといけないので、そこで知事が、これはまだ万全じゃないと言うたときには、建設省としては、本湛水はしない、こういうことはきちっと担保していただかなければ、私ども知事の言明が信用できなくなるわけです。この点はどうなのですか。最後にひとつきちっとお答えいただきたい。
○政府委員(近藤徹君) 長良川が貫流する濃尾平野は我が国最大のゼロメートル地帯でもございますし、また歴史的にも有名な宝暦治水や明治のオランダ人技師による改修工事が全国でも先駆的に行われてきたということでもおわかりいただけますように、大変古くから水害に苦しめられてきた地域でございます。
古くは宝暦治水、明治改修等懸命な治水努力が行われておりますが、昭和三十年にも、三十四年、三十五年、三十六年と連続した大出水を見、また昭和五十一年には、御承知のとおり安八町で本川が破堤する等大きな被害を受けたわけでございます。
長良川については、また繰り返しの御説明になると思いますが、そもそも輪中の歴史であるとか宝暦治水の歴史とか、あるいは明治改修のときの、河川法の制定そのものが明治二十九年にできたわけでございますが、その当時の国会で、国が直轄で河川工事をやるべきであるという強い指摘があり、特に木曽川を中心としてあったと聞いております。
御承知のとおり、江戸時代には宝暦治水等により全国的な規模で大工事が行われたところでございますし、明治以来も大改修が進められてまいったわけでございます。もちろん建設省直轄事業としても重点的に治水対策を進めてきたところでございます。
宝暦治水美談というので有名になつておるのでありますが、これは島津に命じたのであります。島津はなかなか財政が豊かであるので、先ず島津にやらした。政略で先ず皆仕事は財政の関係でそういう金持にやらせなければ疲弊するからというのが腹の底にあつたに違いない。