1999-08-12 第145回国会 参議院 本会議 第45号
政府が法制化の最大の大義名分にしたのは、国民の間に定着しているという国民定着論でした。ところが、我が党の山下議員の質問に、野中官房長官は、定着していないから法制化するのだと答弁し、定着論が完全に崩壊したことをみずから認めたのであります。最大の大義名分が崩れたのなら、当然撤回すべきではありませんか。それを国会で強行し国民に押しつけることは、到底許されるものではありません。
政府が法制化の最大の大義名分にしたのは、国民の間に定着しているという国民定着論でした。ところが、我が党の山下議員の質問に、野中官房長官は、定着していないから法制化するのだと答弁し、定着論が完全に崩壊したことをみずから認めたのであります。最大の大義名分が崩れたのなら、当然撤回すべきではありませんか。それを国会で強行し国民に押しつけることは、到底許されるものではありません。
政府が法制化の最大の論拠としてきた国民的定着論は、ここに完全に破綻しているのであります。ところが、小渕内閣と自自公三党は、国民のこの声を無視して、強引な法案成立に走ったのであります。ここには、国民無視の小渕内閣の姿勢が集中的にあらわれております。
第二に、定着論の誤りをことし四月の名古屋大学新入生のアンケート調査のデータで説明します。 ことしは名古屋大学以外に名古屋市立大学と日本福祉大学でも非常勤講義を担当して、国公私立三大学で同じ調査をしていますが、十年来調査を続けている名古屋大学のデータで報告します。
まず、ただしたいことは、政府が言う国民的定着論についてであります。 言うまでもなく、今問われているのは日の丸・君が代を国旗・国歌として今国会で法制化すべきか否かです。この点で、法案が国会に提出されて以降どうでしょう。法制化に反対する声は日増しに高まり、先日も学者、文化人、宗教者等々、広範な人々の呼びかけによる日の丸・君が代法制化反対の一点での共同による大集会が行われました。
こうした虚構の定着論の破綻を前にして、これを取り繕うために、今度は数を頼りに法律案を通し、しゃにむに国民に押しつけるというのでは、国民を愚弄するにもほどがあると言わなければなりません。 ある新聞がいみじくも「君が代狂騒曲」とやゆしたように、君が代の政府による新解釈も笑止千万であり、不可解きわまるもので、到底国民的合意を得られるものとはなっておりません。
二つ目は、総理は、国民的な定着論、事実上それが唯一の根拠でしかない。先ほども論議をしたけれども、世論がどんどん変わり出している。法案が提出される前は大体法制化については国論が二分していた。今は違います。七月十四日の毎日、賛成三六%、反対五八%。幾つかの世論調査もそうです。きょう私は、七月二十一日、きょう付の沖縄タイムスを送っていただいた。そこでどうなっているか。「君が代についておうかがいします。
定着論の基礎が崩れた。白紙に戻すべきじゃないですか。
何かといいますと、今まで皆さんは、定着論というとき、例えば昭和四十九年十二月の総理府の調査、日の丸八四%、君が代七七%。そして、小渕総理はこの前の本会議で、NHKの六月の放映の中で、日の丸八九%、君が代七二%、これらに対して親しみがあるということを述べられた。この人たちの中から、法制化は適切でない、こういう意見が今どんどんふえてきているじゃありませんか。
それをこれからどう解消するかが定着論としては一番必要なことであって、日本として特殊性があるからヨーロッパ的なものはだめ、むしろアメリカの州がやっているようなものがいいというふうなことではなくて、どれをやったって抵抗は起こるんですよね、と思いますよ。
したがいまして、あるいは黒字定着論ということにつきましても、いろいろ議論があるようでありますが、何、ぶんにも輸出というものは相手仕事でございますし、将来にわたって黒字が必ずコンスタントに定着していくというような議論はできにくいと私は思うのであります。
まあ、温室の中の日本経済というふうなことがいわれますが、そういう状態において大きな黒字が出ておる、これをはずした場合に一体どうなるかということも考えて、今後の国際経済政策に当たらなければならぬと、かようなふうに考え、したがって、黒字定着論という議論はとっていないのです。まあ企画庁長官同様に慎重なかまえで国際収支は見ていこうというふうに思っております。
これは国内の要因もございますが、主として国際的な好調、いま数字をおあげになりましたが、特に日本の主要輸出相手国である米国その他の好況にもはなはだしく左右されたものでありまして、かつて一部に黒字定着論というような意見がございましたが、およそ貿易というものは相手次第のものであります。
そうすると、今度はもう公債定着論、そういうふうに変わってきておるのですが、四十年度まで何にも公債がなかったのに突然出したって別に不便はなかったわけです。火をともしておかなくたって出そうと思えば出せる。無理に残しておくという必要もないということになると思うのです。