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22件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-06-26 第71回国会 参議院 内閣委員会 第15号

それは、今日の恩賜県有財産は元来は地元民私有財産であったのであり、それが明治初年の動乱期官民有区分と称する処分によって不法に——本来、私有財産たる住民共有地官有に没収されてはならないのに——官有に没収されたということ、したがって、地元民はそれに対し単なる利用権的な——いわゆる「地役権的」な——入会権を有するだけでなく、むしろその地盤そのものに対する共有権を有すべきものであったのであり、それゆえ

神沢浄

1973-04-24 第71回国会 参議院 法務委員会 第6号

しかし、入り会い権ありなしの問題については、要するに地租改正の際、官民有区分によって官有編入されたもので引き続き入り会い慣行が存続していたということですね、要するに入り会い慣行というものが。続いていたものは即入り会い権があるというふうにこれは裁判が出ているわけでしょう。今度北富士の場合には、いろいろ経過はあります。

鈴木強

1973-04-24 第71回国会 参議院 法務委員会 第6号

もう一つは、官民有区分によって民有編入され、その後国が買収したものがあるわけですね。それで、従来国有地には入り会い権なしという政府見解をとってこられたわけですね。ここに言う「標記に関する見解を左記のとおり改める。」というここのところはどういう趣旨なのか、ちょっと私理解に苦しむのですけれども。

鈴木強

1973-04-17 第71回国会 参議院 内閣委員会 第7号

北富士演習場内の国有地については、明治初年の地租改正の際、官民有区分によって官有編入された後、公有または民有となり、さらに国が買収したものと、官民有区分によって民有編入され、その後国が買収したものとに大別されるが、これら国有地については、いずれも入り会い権は存在しないと解すべきである。

増原恵吉

1973-04-06 第71回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第2号

○国務大臣(増原恵吉君) いま施設庁長官から申し上げましたように、この点についての新しい最高裁判決というのは、まあ大きく趣旨からいいますと一と二になっておりまして、一のほうは、官民有区分の際に官有地編入されたということで入り会い権がみななくなったということではないということであり、このほうは、しかし、その後の権利関係の移動において入り会い権がなくなっているものもあるんだということを明瞭に述べておるわけでございます

増原恵吉

1972-10-17 第69回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第5号

明治六年から始まります地租改正に伴う官民有区分に際しまして、この地域官有となり、後、明治二十二年に御料林編入御料局静岡支庁管理下に置かれてまいります。しかし、旧来入り会い慣行はこのような地盤の変更にもかかわらず、依然として変わることなく続けられていたのが事実のようであります。

畑穣

1972-10-17 第69回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第5号

第三条といいますのは、官民有区分の基準を示したもので、「従前秣永山永下草銭冥加永等納メリタルト雖トモ曾テ培栽労費ナクク自然生ノ草木ヲ採伐仕来タルモノハ其地盤所有セシモノニ非ス故ニ右等ハ官有地ト定ムルモノトス」、こう第三条にありまして、そのただし書きに、「其伐採ヲ止ムルトキハ忽チ差支ヲ生ス可キ分払下或ハ拝借地等ニナスハ内務省処分ニ付地方官見込ニ任スヘシ」と、こういう規定が入り会い権にかかわるとすればこのただし

小林三衛

1972-06-01 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第29号

それから第三点でございますが、第三点は、地元関係と申しますのは、昔から国有林というのは、御承知のように入り会い関係もございまして、明治官民有区分のときからいまでもいろいろ問題がございます。ところが、八万人のほかに、地元にはその当時から、国有林で働かしてくれといって働いている者、これは請負事業でございますが、この人たちが、私たちにも働かしてくれ、こう言っていろいろと願い出ているわけです。

福田省一

1972-04-25 第68回国会 参議院 内閣委員会 第8号

そこで、土地官民有区分問題の理解について伺いますが、政府官民有区分によって国有地編入された土地について入り会い権を否定している背景には、さきにも述べた大審院大正四年の判例にも触れておる官民有区分について、当時いやしくも部落民収益権を認めるべきところはすべて民有地とされているのであって、国有地とされた土地は、権利として存続させる根拠のないところだと、こういう理解の上に立っておると思うのです

足鹿覺

1972-04-25 第68回国会 参議院 内閣委員会 第8号

それなのに、右の判決が、官民有区分の時に入会権が消滅したのだと言うのは、全く牽強附会議論と言うべく、官民有区分に関する諸法令解釈としては全く誤っているのである。このことは、今日ほとんどすべての学説が承認するところであり、今日における学界定説と言ってよい(その詳細については川島・潮見・渡辺「入会権解体III」七二−一〇九頁参照。」とあるのであります。

足鹿覺

1972-04-25 第68回国会 参議院 内閣委員会 第8号

政府の主張の根幹となっておる官民有区分のときに入り会い権は消滅したという議論は、官民有区分に関する諸法令解釈としては誤っておることは、先ほども申しましたように、ほとんどの学説が承認しておる。あなたたちは、いわゆる斯界の権威者の、学界定説も無視して、この地域住民の重大な生活につながる権限を否定するという一方的な態度をとるのですか。

足鹿覺

1971-05-11 第65回国会 参議院 農林水産委員会 第14号

それからさらに三十二年には国有土地森林原野下戻法という、短期間の時限立法でございましたが、そういうことをいたしまして、明治の初めの官民有区分のさらにいろいろトラブルもございましたので、それを手直しする意味でそういう法律をつくりまして、官有地に指定しておったものも民有地に下げ戻したという経緯がございます。

松本守雄

1969-06-25 第61回国会 衆議院 農林水産委員会 第41号

しかし、国有林の実際なっている姿は、私が先ほど申しました藩有林国有林になったその際に、官民有区分なり下戻法なりの中で、どういう形でそれが整理されてきたかということを振り返りますと、藩有林の中で、地元民がその土地を利用しておった、そういうことがはっきりしているものは、これは民有林にする、そうでないものあるいは直轄で藩がやっておった山、それは国のものである、こういう区別の中でこれがきめられてきたために

片山正英

1969-06-25 第61回国会 衆議院 農林水産委員会 第41号

その後明治六年におきまして、地所名称区別というのが公布されまして、官民有区分を実施したわけであります。さらに、明治十八年から二十一年にかけまして再度の調査をいたしまして、地押し調査によりまして、さらに官民区分を明確にいたしてまいったわけでございます。  しかし、その後におきましても、その区分問題においていろいろの問題がございました。

片山正英

1968-05-15 第58回国会 衆議院 農林水産委員会 第21号

もう一つ、「また、宮崎、鹿児島の両県は、西南戦役後、再度、官民有区分の厳格な実施を受け、一たん民有地編入されたものが、強制的に続々と官有林に引きあげられたといわれている。」こういうことです。これは、われわれは政治的に非常に考えなければならない重点だと思うのでいま申し上げたのですが、これを肯定しますか。

森田重次郎

1968-05-15 第58回国会 衆議院 農林水産委員会 第21号

○片山(正)政府委員 明治十四年に一応官民有区分が終わりました以降、先生のおっしゃるような、そういういろいろな事態が出たことは承知いたしております。そこで官としましては、官有になったといいながらもそれに対する施策と申しますか、計画と申しますか、そういうものは全然でき得ない状態であったということも認めるわけでございます。

片山正英

1966-06-27 第51回国会 参議院 農林水産委員会 第35号

そこで、いまさら私が申し上げるまでもなく、入り会い権というものの明治以来の経過をたどってみますならば、明治初年に地租改正及び官民有区分が行なわれたときに、官有地編入を免れた入り会い地の大部分が民有地第二種として民有地編入された。これが今日の公有林野のもとであると思うわけであります。

中村波男

1966-06-10 第51回国会 衆議院 農林水産委員会 第47号

○田中(重)政府委員 いまの見舞い金を出したということが契機になって所有名義人となったという場合は、異例の場合だろうと思いますけれども、普通明治の初めの官民有区分当時においては、地租の付されることを免れるというようなことで、ともかくだれかの名義にしたとか、あるいはまた所有が不明であるということで、官有になることを避けるために特定の名義人にした、しかしながら、実態的には、旧来慣行によって使用、収益

田中重五

1966-04-20 第51回国会 衆議院 農林水産委員会 第29号

大正四年の判決官民有区分と同時に入り会い権がなくなったという判決は非常に誤っているということ、そのことは、山梨県の統計だけでも物語っているのだろうと思うのでございます。その統計が物語っているにかかわらず、大正四年の判決趣旨をそのまま引用して、そしてわずか三万一千町歩だけ入り会い地にしてしまうというのはおかしいじゃないか。

戒能通孝

1966-04-13 第51回国会 衆議院 農林水産委員会 第26号

これはやはり少しさかのぼって申し上げることになると思いますけれども、まず明治の初めに、土地改革といいますか、官民有区分が行なわれた。その場合、官有民有になって、その民有がさらに村受け公有地、それから民有第一種というふうに分かれたわけでございます。その村受け公有地がさらに官有地とそれから民有第二種、そしてその民有第二種が市町村有あるいは部落有に分解をしていったという過程がございます。

田中重五

1966-04-13 第51回国会 衆議院 農林水産委員会 第26号

ただ、明治の初めの地租改正から始まるところの土地官民有区分に伴いまして、市制町村制等によって公有財産として組み込まれたもの、そういうものについては、これも先生が御承知のとおりに、地方自治法で、旧慣によってその市町村住民公有財産使用する場合には、旧来慣行によるというふうになっておりまして、この分については、公有財産をその市町村住民使用収益することを認められているものであるというふうに理解

田中重五

1956-02-14 第24回国会 参議院 農林水産委員会 第6号

部落有林は沿革的に申し上げますると、旧藩時代のいわゆる村持ち山でありまして、これは当時法律上の所有形態といたしましては、公私未分化の状態にあり、また利用の形態といたしましては、個人の占有の事実がなく、すべて部落単位で利用し収益していたものが、その後の官民有区分や、市制町村制の施行、民法による私的所有権の確立、部落有財産整理統一政策といったようなものによりまして、所有形態公有または私有へと漸次整理

石谷憲男

1954-04-16 第19回国会 衆議院 農林委員会 第31号

すなわち「斯様に林野官民有区分仕事は本来困難な仕事であつた上に、その衝に当つた者考え方の違いや村の挙証方法巧拙などで不公平の処置があつたであろうことは想像せられる所である。これがため不当に民有地と定められた所は不問にされ、不当に官林編入された所については処分是正方政府に迫る者が続出し、」云々ということがはつきり出ておる。

松岡俊三

1953-11-11 第17回国会 参議院 農林委員会 閉会後第1号

で、そのうちの国有林野内容について申上げますると、国有林の今日まで参りました沿革的に一応御検討を願う内容を申上げたいと思うのでありまするが、明治初年、廃藩置県に伴いまして明治十九年の林区署制度の制定に至る期間を一つの時期と考えることができるのでありまするが、まあこの時代には主として地租改正に伴いまする官民有区分をいたした時代であると申上げることができると思うのであります。

柴田栄

1953-07-16 第16回国会 衆議院 農林委員会 第19号

かように林野官民有区分仕事は本来困難な仕事であつた上に、その衝に当つたものの考え方の違いや、村の証拠をあげる方法巧拙などで不公平の処置があつたことは想像されるところである。これがため不当に民有地と定められたところは不問に付され、不当に官林編入されたところについては処分是正方政府に迫るものが続出し、年月の経過とともにその申請はますます輻湊した云々、こう書いてあります。

松岡俊三

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