2012-01-26 第180回国会 衆議院 本会議 第2号
一方、今般、政府・与党が取りまとめた素案は、タイトル自体が我が党へのいわれなき挑発である上、検討課題やスケジュールの羅列ばかりの冗長な官僚的作文であり、このような一方的かつ空疎な前口上に野党がつき合わなければならない道理はありません。野党が先送りや絵そらごとの共犯を押しつけられる筋合いはなく、まして、与野党協議を、対立する党内をまとめる道具にしようというのは言語道断であります。
一方、今般、政府・与党が取りまとめた素案は、タイトル自体が我が党へのいわれなき挑発である上、検討課題やスケジュールの羅列ばかりの冗長な官僚的作文であり、このような一方的かつ空疎な前口上に野党がつき合わなければならない道理はありません。野党が先送りや絵そらごとの共犯を押しつけられる筋合いはなく、まして、与野党協議を、対立する党内をまとめる道具にしようというのは言語道断であります。
そしてまた、血も涙もない、まさに官僚的作文の答弁しか聞けない。私は残念でたまりません。 そこで、今専門委員のことをおっしゃいました。これは、こういう反省を文部省も言っておられるのですよ。臨時教育審議会委員を選んだときに、国民から現場の実情を知っている人が少ないという批判が出た。
そこで、実にこれは官僚的作文でうまくできていると実は思うのであります。この部分に限ってのみ共同開発を行う、「従って、本協定は、中国の国際法上の権利をいささかも損うものではない。」そういう上に立って再三にわたって「本協定に関する我が方の考え方を説明」、ここでは「説明」とこうなっている。
毎回このように政府は国民をだまし続けながら、みずからの政治責任に何らの言及もせず、また新しい再建計画なるものを出していますけれども、昨年暮れから始まった答申や意見書、要綱など、その場限りのものが提案されていることは、真夏のセミがミンミン鳴きじゃくるその姿に似ていて、形式的でそらぞらしい官僚的作文に終始してきたと言っても過言ではありません。
しかし、この作文はそのときの場当たり的な官僚的作文で、全く名文句だけ羅列してあるというようなことでありまして、もうこういう作文については飽き飽きしているということだと思うんでありますけれども、いま私は考えてまいりまして、ちょっと私が拾ってみたものを大臣に申し上げて、あなたの決意を喚起したいと、こう思っていますけれども、たとえばつい最近のものでも、昨年の八月二十一日にあなたの党の自民党が再建案というものを
私は、昭和四十三年、その年のいわゆる農業白書に対して質問したおり、農業基本法制定以来毎年提出されておる白書は、単に官僚的作文にすぎないものであって、これによって、少なくとも農業にその運命をかけて農業経営に従事している農民を感奮興起せしめる何らの気魄もないと批判いたしたのでありますが、本年度提出された白書を通読いたしましてもまた、それと同じく、何らの魅力も持ち得ないものであるということをまたここで繰り
そこで、国際的視野というものを考えますというと、どうも、九期までやりました中教審の答申が、皆さんの御批判になるように、ややもすると官僚的作文になるということであった。これではいかぬので、相当強い反対の御意見も出してもらったほうがいいという意味で、労働界からも、あるいは作家の中からも、いろいろな文化人を加えまして、非常に幅広い範囲で委員を求めたい、こういうつもりで発足したのであります。
(拍手) 農業白書並びに農業施策文書の提出は、農業基本法制定以来、今回で七回に及んでおりますが、私が毎回これを通読して感じますことは、これは単なる官僚的作文にすぎないのであって、これによって農業に運命をかけた全国の農民の心情に訴え、彼らをして感奮興起せしめる何らの気魄も政策も全くくみ取ることのできないということであります。
その所信演説をお伺いいたしますと、私は全く官僚的作文の域を出ておらない、実に平板で新鮮味も感じなかったと同時に、わが国の農業に対する認識が非常に甘いのではないかということを考えているのであります。もちろん大臣は就任早々でもございますし、みずから筆をとられたとも考えておりませんので、ただいまから若干の質問を申し上げまして、いわゆる西村農政の施政の方向というものを確かめてみたいと思うのであります。
建国の方針と共に打ち出される日本経済再建の方途を吟味するに当つて、このような官僚的作文のようなものに頼り得ないのは言うまでもないことであります。私は周東安本長官に対して、大陸経済を失つた後におきますところの日本経済の自立方式を現実に印して打ち立てられんことを強く要望し、そうしてその内容の釈明を改めて私はここで求めようとするのであります。
私もあれですらいわゆる官僚的作文であつて、総理のいつも言われるように現実の條件に合つていない。総理の直感力で言われたと思いますけれども、その点には賛成でありますけれども、総理は、あれは新聞の間違いでありましたでしようけれども、余り自給力が強過ぎる、即ちアウタルキーになり過ぎておるというて、あれを新聞で批評されたようでありますけれども、実際はそうではない。