1975-12-09 第76回国会 参議院 文教委員会 第2号
しかし、この人数だけでは中央集権的な色彩が出てまいりまして、十分にこの地方の実態を生かすことはできませんので、春先に視学委員という制度を復活いたしまして、海後宗臣、上田薫両先生に教育指導面の審議官の指導助言をお願いいたしまして、そして夏以降に——しかしこの両先生は東京の方でございますから、全国をいわばブロック的に分けまして、そして各ブロックからそういう視学委員という者の御就任を願いまして、東京にないような
しかし、この人数だけでは中央集権的な色彩が出てまいりまして、十分にこの地方の実態を生かすことはできませんので、春先に視学委員という制度を復活いたしまして、海後宗臣、上田薫両先生に教育指導面の審議官の指導助言をお願いいたしまして、そして夏以降に——しかしこの両先生は東京の方でございますから、全国をいわばブロック的に分けまして、そして各ブロックからそういう視学委員という者の御就任を願いまして、東京にないような
きょう付で東京では海後宗臣先生と上田薫先生に視学委員になっていただきましたが、東京だけで全国の情勢を考えていくということは妥当でございませんと考えまして、全国をブロックに分けまして、ブロック別に視学委員を設けまして、そうして教育の現場の状況というものを調べていただきまして、それを文部省に集めてくる。そういう方法をとることによりまして高等学校の教育内容というものの検討の基礎的データを固めていく。
これは本の名前も言っていいのですが、確かに海後宗臣さんのそのお弟子さんというか、その人が書いた教育事典というのがあるんですよ。
文部省は社会科の三本立てを考えているぞというので、私たちあわてて海後宗臣さんを先頭に立てて、社会科三本立て反対という運動を起こしたという経験を持っております。非常に残念だと思いました。いまそのとおり進められているわけです。でありますから、社会科自体の大きな変動があるわけです。
同じ新聞の東大教授の海後宗臣先生、その海後先生の時評の中では、「最も重大なことは、国民教育全体を政治教育の点から」、ちょっと意味がはっきりしませんが、多分政治教育の面においてという意味でしょう、「窒息させてしまうからである。」、こういう極端な言葉が使ってあります。
○公述人(海後宗臣君) 私は教育学の研究をいたしておるものでありますが、その立場からこの二つの教育法案の成立することに対しては反対の意見を持つております。と申上げますが、私は特に政党、政治団体或いは現にここにおいて問題になつておると称せらておりますところの日本教職員組合とは何ら特殊の関係を持つておりません。
長谷部ひろ君 須藤 五郎君 野本 品吉君 国務大臣 文 部 大 臣 大達 茂雄君 政府委員 文部省初等中等 教育局長 緒方 信一君 事務局側 常任委員会専門 員 工楽 英司君 公述人 朝日新聞社顧問 関口 泰君 評 論 家 御手洗辰雄君 東京大学教授 海後 宗臣君
本委員会はきわめて愼重審議を重ねまして、その審議の過程におきましては、参考人として東京大学教授海後宗臣、東京文理科大学教授石山脩平、日本教職員組合の江口泰助、金本東次郎の四君の意見も聽取いたしたのであります。 かくて、民主自由党を代表して水谷昇君より両法案に関する修正案が提出されました。
公聽陰に御出席いただきました公述人の方々は、学識経驗者として東大教授海後宗臣君、地方團体代表といたしまして東京都副知事山田文雄君、横須賀市長太田三郎君、埼玉縣大里郡小原村村長小林倭子君、千葉縣山武郡公平村村長齋藤喜一君、組合代表といたしまして日教組法制部長江口泰助君、教員側といたしまして、岩手縣小学校教員木村正君、群馬縣新制中学教員高橋梅子君、神奈川縣新制高校教員湯川精吾君、P・T・A代表といたしまして
柏原 義則君 圓谷 光衞君 冨田 照君 田淵 実夫君 松澤 兼人君 野老 誠君 伊藤 恭一君 松本 七郎君 武田 キヨ君 久保 猛夫君 黒岩 重治君 米田 吉盛君 織田 正信君 出席公述人 井出 正敏君 江口 泰助君 太田 三郎君 海後 宗臣君
海後宗臣君、東大教授。太田三郎君、横須賀市長。小林倭子君、埼玉縣大里郡小原村村長。井出正敏君、学生、全國官公私立大学高專自治会連盟実行委員。絹村和夫君、都立第五高校生徒、東京都市新制高校代表。木村正君、岩手縣小学校教員。湯川精吾君、新制高校教諭。高橋梅子君、群馬縣利根郡薄根村中等学校教員。齊藤喜一君、千葉縣山武郡公平村村長。以上十二名であります。 この公述人の選定に御異議ありませんか。