2015-03-30 第189回国会 参議院 予算委員会 第14号
その中で、果たしてそうした医療を受け入れることができるかどうかということもあるんだろうと思いますが、これはまさに、哲学、倫理、宗教観等も含めてこれは議論を深めていく必要があると、このように思っております。
その中で、果たしてそうした医療を受け入れることができるかどうかということもあるんだろうと思いますが、これはまさに、哲学、倫理、宗教観等も含めてこれは議論を深めていく必要があると、このように思っております。
もちろん、それぞれの倫理観あるいは宗教観等に基づいて、自分は、あるいは自分の家族は、脳死状態に陥れば、これは人の死であるということを受け入れて、そのことによって臓器を提供して他の人の命を救えるならばそうしたいと思われる方は、そうあっていただくことは大変崇高なことであると思うし、そういう人が多くなることを私は期待いたす立場であります。
ただ、先生も御指摘のとおり、実はこの問題に関しましては、人間の尊厳であるとかあるいは死生観、宗教観等に複雑に絡んできておる問題でありまして、そうした中で恐らく各党、皆さん方、党議拘束を外され、議員みずからの御判断によって決定をされたもの、恐らく採決に至るまで個々人いろいろ悩み悩まれて決定を、責任を持って御自身で決断をなされた結果であろうと私どもは判断をいたしておるわけでございます。
基本的には医学の問題であり、さらにその問題はいろいろな法律分野にも影響いたしますとともに、国民の生命観、倫理観あるいは宗教観等に深く連なるもので、やはりその背景には国民の合意というものがなければならないと思うわけでございます。
また、この問題は、個々人の倫理観や宗教観等と密接に関連するものであり、国民の間にいろいろの御意見があることも先生御存じのとおりでございます。こういう条件の中でできるだけ国民のコンセンサスが得られる形となるように今慎重に検討を進めておるところでございます。