2006-12-05 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会 第8号
公教育である以上、一宗一派の布教じゃないかと誤解を招くような宗教教育は禁物でありますが、宗教的情操、宗教的倫理観あるいは宗教的教養というものは人格を形成していく上で大きな役割を果たします。改正法案にも教育の目的として、引き続き「教育は、人格の完成を目指し、」とうたわれています。仏教では完成した人格のことを仏陀又は仏と呼びます。人格の完成を目指すとき、宗教の一般的な教養は欠かせないと思います。
公教育である以上、一宗一派の布教じゃないかと誤解を招くような宗教教育は禁物でありますが、宗教的情操、宗教的倫理観あるいは宗教的教養というものは人格を形成していく上で大きな役割を果たします。改正法案にも教育の目的として、引き続き「教育は、人格の完成を目指し、」とうたわれています。仏教では完成した人格のことを仏陀又は仏と呼びます。人格の完成を目指すとき、宗教の一般的な教養は欠かせないと思います。
夫婦は長い間の宗教的教養と人格的教養を高め、幸福な家庭を築き、社会人として責任を果し、家庭、社会、国家に貢献します。」というようなことを、東京都を通じました調査により、また当協会の発行しておりますパンフレットによりますと、そういうことが言われているわけでございます。 以上でございます。
その中で、新教育のあり方として、たとえば人間性とか、人格とか、個人の尊重とか、あるいは宗教的教養の向上とか、民三主義の徹底とか、そういうような現在の教育基本法において取れ上げられているような問題も、この中にすでに同様に取り上げてございます。
私は、処刑されてもりっぱに更生した人間なら、この服務中受けました宗教的教養によりまして幾らも教えを広める身になってもいいと思うのでありますけれども、かようなあばずれ女みたいな者を教祖とする場合、もう少し身分調査をして宗教法人の許可、不許可をきめられるようにしなければならぬのじゃなかろうか。
従って一方においていろいろ問題が指摘されますのは、ただいま申しましたような点をバックとしての社会情勢というものと、それから何と申しますか、一般の社会人の宗教的な教養、宗教的情操というものとの関連性、との宗教的教養あるいは情操というものが高まってきて、それによって各人々々が自己の最も求めている正しい宗教は何かということを突き詰めていく、自分の問題として考えていく、こういうような、いわば教養的な高揚というものと
討論におきましては、梅原委員は、本法案のごとく宗教自由の原則に完全に立脚した法律の実施に当つては、国民の宗教的教養の向上が先決問題であり、それがためには、広く大学において宗教科を設ける等、種々の教育的施策が必要なること、これを力説せられると同時に、更に法務総裁に対しては、宗教法人の解散命令に関する規定の運用において明快適切なるべきを要望され、法案に対する賛成意見の開陳があり、矢嶋委員は、宗教法人の責任
そうしてそれの根幹は、国民の宗教的教養を適正に高めるという一点にあると信じております。よつて当局におきましては、この法の施行と同時に、日本の国立若しくは公立の教官機関の中に、教育基本法の原則に則つて、宗教を尊重し又特殊な宗教に片寄らないという点におきまして、ここに画期的な一つの宗教科を制定せられて、国民の宗教的教養を正しく高められるということを要望して、私はこれに賛成を表するものであります。
この教育基準法から見ましても、この法令を出されるということを契機として、私は大臣が勇敢に一つ日本の国民の宗教的教養を高めるという点を非常に考慮せられまして、最も具体的な私は方途を講じてもらいたいということがこれが一つ。
だから一面においては、今言われましたような国民一般の宗教的教養を高めるということに、私どもが十分の配慮をすると共に、この非倫理的な、宗教という名に値いしないものは、どうかしてこれを排除するということにも、十分の考慮をしたいという考えでございます。
過般來の全日本の宗教平和會議にも列席し、當時マツカーサー最高司令部の宗教部長のバーンズ博士も列席して、日本國民の宗教的教養を高める點において非常に力説すると共に、この種の會合に對して贊意を表せられておる。