2006-12-12 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会公聴会 第1号
自民党でも一切話しちゃいけないということで、それまではいろいろと愛国心の問題や宗教的情操教育の問題、いろいろなものを議論しておったんです。一切言えなくなったんですね。 そうして、去年の春提案されて、政府提案として出されて、わずか、わずかのちょっとの議論をしましたけれども、ほとんど議論されないままに国会に提案されたと。自民党の人たちも党員の人たちも、みんな不満に思っておりますよね。
自民党でも一切話しちゃいけないということで、それまではいろいろと愛国心の問題や宗教的情操教育の問題、いろいろなものを議論しておったんです。一切言えなくなったんですね。 そうして、去年の春提案されて、政府提案として出されて、わずか、わずかのちょっとの議論をしましたけれども、ほとんど議論されないままに国会に提案されたと。自民党の人たちも党員の人たちも、みんな不満に思っておりますよね。
○亀井郁夫君 最後に一点だけお聞きしたいんですが、これまでいろいろ議論する中で、宗教的情操教育を子供のときから教えていくべきだという、これは党に関係なしに、特定の宗教に関係なしに、山には山の神様がおる、川には川の神様がおるというようなことで我々はやってきたわけですけれども、御飯食べるときには手を合わして拝むというふうなことでやってきたわけですが、そういった宗教的な情操教育を子供たちに教えるべきだという
活動の意義と導入状況、他職種を実体験させる長期派遣型教員研修の評価、民主党の日本国教育基本法案に対する意見、子どもの安全確保を教育基本法に明記する必要性、子どもの成長を助ける体験活動の具体策、教員が子どもと向き合う時間の実情と確保策、教育費負担が家庭に及ぼす影響と格差問題とのつながり、地域社会全体で子どもを育てることの大切さ、教育改革を進めるにふさわしい手法・プロセスの追究、中教審答申が示した宗教的情操教育
私は二つだけお聞きしたいと思うんですけれども、それぞれの方々にお尋ねしたいと思うんですが、実は今日、まだ四人とも余り触れられなかったんですけれども、宗教的情操教育の問題ですけれども。
○公述人(若林健太君) 宗教的情操教育についてということであります。 善光寺さんのおひざ元に育ち、私ども日本人の心の奥底にある自然に対する畏敬の念ですとか、あるいは先祖伝来のつながりの中で生かされているという思いというのは、これはどの宗教にも通じたある種原始宗教的な日本人の固有の思いだと、こんなふうに私自身は思っております。
○亀井郁夫君 次に、牛越公述人にお尋ねしたいと思うんですが、今おっしゃったように特定の宗派に拘泥しないと、かかわらないという形での宗教的情操教育を頭に置いておりますので、その辺をちょっとお願いしたいと思います。
ただし、私としては、宗教的情操教育をやりたい人たちが生命と死の教育をしたいと、特に死を意識させることによってよく生きるということを子供たちに伝えたいんだという、そこは動機としては分かります、私は。ただ、それでもなお、本当にそれが子供にとって幸福な人生を本当に約束するのか、あるいは本当にもたらすのかということは僕にはまだ分からないです。
次に、宗教的情操教育の問題なんですけれども、これも議論しているんですけれども、これが入っていないわけですけれども、この問題についてどうあるべきかというのをまた六人の方に聞きたいんですが、小川参考人の方からお願いします。
○亀井郁夫君 宗教的情操教育の問題について。
それからもう一つ、宗教的情操教育の問題でございますけれども、これについてもいろいろと意見があるわけでございますが、一般的には朝御飯を食べるとき手を合わせて拝むとか、そういった形で育てられた私たちでございますけれども、了解される方が多いと思うんですけれども、総理はどうお考えですか。
それから、昨日、大臣に聞いたとき聞いたことで、例の、今問題になりましたが、態度の問題だとか宗教的情操教育の問題でございますけれども、それについていろいろな団体があると言いましたね、創価学会以外にも陳情が来ているというようなことを言われたんですけれども、私もここにたくさん、約二十個ばかりの団体から要求してきている文書を持ってきておりますけれども、何か、どういう団体からほかに来ていますか。
宗教的情操教育が問題でございまして、これについてもいろいろ議論してきた問題ですけれども、我々は子供のときから、すべてのものに神様が存在するというふうに教えてこられたわけでございまして、日本の伝統でもあります。もちろん、特定の宗派に固定しないで、我々は、子供が生まれればそれで近くの神社へ参るとか、結婚式にはキリスト教やら神前でお世話になると。
○亀井郁夫君 宗教的情操教育を入れないでほしいという教育団体がほかにもあったのなら、是非私は明らかにしてほしいと思うんですね。創価学会の場合はそうですけれども、その他のところではほとんど全部、全部と言っちゃなんですけれども、少なくともほとんどと思えるぐらい団体がみんな入れてほしいと言ってきているんですけれどもね。 どこか、この場で差し支えありますか、大臣。
○亀井郁夫君 この宗教的情操教育の問題が大きな問題ですし、今おっしゃったように、なかなか問題が、特定の宗教に絡むと問題があるけれども、子供のときから御飯食べるときには手を合わして拝むということにも慣れているわけでして、深いもんじゃないんでお経も覚えてない人が多いんですけど。
そういう人たちがこの問題を真剣に考えておるわけでありまして、特に、国を愛する心とか宗教的情操教育を入れてほしいと、あるいは「不当な支配に服することなく、」を削除すべきだということがみんな同じ考え方でございまして、このことを陳情もしたわけでございまして、いい方向に向いてはいないという認識でございますけれども、総理はどうお考えですか。
この問題は、確かに百人集まれば百人意見が違うというのは分かりますけれども、ただ、国を愛する心だとか宗教的情操教育の問題。
宗教的情操教育ということに関してお伺いしたいわけでありますが、この宗教的情操教育をきちっと行うということがなかなか明快に語られていない。私は残念でありますが、なぜこれが明快に語られないのか、お伺いいたします。
○亀井郁夫君 宗教的情操教育については、特定の宗派について言うべきではないんで、そういう意味では全般的にいろいろやっていくんだということで考えておるわけですが、日本の場合にはどこにも神様がおるわけですから、だから家に帰ると山の神もおるということですから。 冗談はさておいて、そういうことで、この問題は真剣に取り組んでほしいと思っておったことなんです。御理解いただければいいと思います。
二つ目に、宗教的情操教育の問題ですけれども、これも同じように、これは不可欠な問題で、御飯食べるときにも手を合わせてやるのがなぜいけないのかと。子供のためには非常に大事だとみんな思っておられることなんだけれども、なかなかこれが問題だということになっている。
それで、これは戦前からある議論でございまして、この宗教教育というか、宗派教育と宗教的情操教育というのは、これはかば焼きの身とにおい、かば焼きのにおいをかがずに身を食べられるか、また、におわないようなかば焼きを食べられるか、こういう問題でございまして、極めてデリケートで難しい問題なんです。
宗教的情操教育を充実させることは必要ないと考えておられるのか、総理、官房長官にお伺いします。特に安倍官房長官には、なぜ自説を曲げられたのかについても説明願います。(拍手) 次に、高等教育についてお伺いいたします。 高等教育に力を入れることは、国際的な競争力をつけていく上でも重要であり、現行法にない高等教育の規定を追加しなければなりません。政府案では、第七条に、大学に限って新設をされています。
宗教的情操教育についてお尋ねがありました。 私は、この件について、特段自説を曲げたということはありません。 宗教的情操については、その内容が多義的であることなどから、教育基本法には規定しておりません。
宗教的情操教育、社会的規範教育、道徳的実践力を養う教育をこの分野で実現いたします。 人間分野。こちらは、豊かな創造性をはぐくみ、調和のとれた生活、体を土台に、周囲の世界と調和のとれた交流のできる人間の育成を目指したいものと考え、統合いたしました。 言語と国際性です。
したがって、諮問されました伝統、文化教育、環境教育や家庭教育、宗教的情操教育や男女共同参画教育など、具体的な教育内容が書き込まれておりますと、教育基本法は歴史的な転換を遂げることになってしまいます。大臣はどういう御認識でいらっしゃいますか。(遠山国務大臣「失礼しました、ちょっと」と呼ぶ) もう一度申し上げます。
したがって、この発言は、特定の宗教ではなく、会見での総理の言葉にあるように、我が国には昔からその土地の山や川や海などの自然の中に人間を超えるものを見るという考えがあったという広義の宗教心の大切さから宗教的情操教育の必要性を強調したものであります。
○小山(孝)参議院議員 五月十五日の神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における森総理の発言の趣旨は、全体として見れば、今日の続発する少年犯罪の現状をとらえられまして、両親と祖先からいただいた命の大切さを子供たちに教えることの重要性を力説し、その中で、家庭でも学校でも地域社会でも、神仏や宗教一般を心に宿る文化として大事にすることの大切さを説き、信教の自由を基本に据えた上で、宗教的情操教育
学習指導要領においても、宗教的情操教育に関連して、例えば中学校の道徳では、「自然を愛し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるようにする」、高等学校の倫理では、「人生における哲学、宗教、芸術のもつ意義などについて理解させ、人間としての在り方生き方を考えさせる」などと定めでいるところであります。
具体的に、学習指導要領におきましては、宗教的情操教育に関連いたしまして、小学校の道徳では、「美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。」また、中学校の道徳では、「自然を愛し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるようにする。」
現行の学習指導要領におきましても、宗教的情操教育に関連して、五年生、六年生の小学校の道徳では「美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。」、中学校の道徳では「自然を愛し、美しいものに感動す豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるようにする。」