2016-03-24 第190回国会 参議院 財政金融委員会 第7号
○藤巻健史君 それは私も同感でございまして、レーガン政権第一期に減税をして、増収になるだろうということで減税をいたしましたけれども、結局税収は大赤字ということで、これラッファー・カーブの理論でやったんでしょうけれども、最終的にはブードゥー経済学、要するに新興宗教学みたいなものだというふうにやゆされた理論でございますので、私も消費税を下げると景気が良くなるというような、景気が良くなって税収が上がるなどという
○藤巻健史君 それは私も同感でございまして、レーガン政権第一期に減税をして、増収になるだろうということで減税をいたしましたけれども、結局税収は大赤字ということで、これラッファー・カーブの理論でやったんでしょうけれども、最終的にはブードゥー経済学、要するに新興宗教学みたいなものだというふうにやゆされた理論でございますので、私も消費税を下げると景気が良くなるというような、景気が良くなって税収が上がるなどという
しかも、それは理科系だけじゃなくて、人文科学系、倫理学だとか宗教学だとか社会学だとか、経済学だとか政治学だとか、ほぼ全部入っています。こういう総合的な議論を、なぜ政府はこういう議論の場を設定できないのか。それから、理工系についても、学説の対立、意見の相違というのがあるのは当たり前なんです。その様々な意見を持った理工系の研究者を一堂に会してちゃんと規制基準の議論をしてほしいんです。
この宗教をもっと分析するとといいますか、個人的に分析してもなかなかよく分からないんですけれども、宗教のありようみたいなものを、宗教学というのがあるわけですから、その中でのやっぱり何か幸福度を授けるものがあったりすれば、そっちの方は何か数値化できるかもしれませんけれども、それ以外はほとんどやっぱり数値化できないものであるかというふうに思います。
次に、宗教学という観点から、国民の意識、それから行動の観点から、島薗参考人からお聞きしたいと思います。寺岡参考人には移植医療の現場という観点から、それぞれお聞きをしたいというふうに思います。
そこで教義を学ばなければ、例えば比較宗教学とか、そういった学問も成り立ち得ませんし、自分の学ぶ権利というものを全うできないということですから、そこは大学に入れば学問の自由を侵さないように、そこはさまざまな宗教を教師は教え、そして生徒は学んでいくということ、そこについては、研究とあるいは学問の発達ということについては全くそこは制限をする必要はないということでよろしいですね。
山折哲雄先生、国際日本文化研究センターの名誉教授、宗教学、思想史が御専門ということでございます。
コロンビア大学の宗教学部長ロバート・サーロン博士は、教育が人間生命の目的であり、教育のための社会の役割を問うべきであると言われております。 教育は、本来学校にのみゆだねるのではなく、社会全体で担うべき人間の使命です。
その際、受精卵も、また未受精卵につきましても、この検討の必要な範囲内において議論しているところでございますが、自然科学のみならず、法学、宗教学、哲学的な問題まで含めて、幅広い分野の方々から構成される生命倫理専門調査会、これを設けまして調査検討しております。その際に、調査検討する際も、公開の場で進めてございます。
私ども宗教学の上から申しますと、制度宗教あるいは組織宗教というふうに分けておりまして、この組織宗教というのは新宗教でございます。あと、仏教、キリスト教、神道は制度宗教というふうに理解しております。
比較宗教学というようなものが非常に重要である。これはもう欠かせないというふうなこと。あるいは社会学、つまり社会の原理あるいは原則が日本と違う、そういう国に行くわけですから、そういうものがどうしても必要である。 そしてさらに、組織運営においてコーディネートするためには国際機関あるいは国連の機関、そういったものに対する熟知が必要である。さらに、比較経済学、比較政治学など。
○小森委員 私は、オウム真理教の麻原さんという人と、ここにメモを持ってきてないから明確なことはわかりませんけれども、多分九一年だったと思います、どこかの大学の宗教学を専攻された先生が司会者で、私と二時間やりました。
それから、同時にこれは、宗教学の専門の先生がいらっしゃいますから間違いだと言っておしかりを受けるかもしれませんが、宗教というのは、これはすぐれて伝統的な現象であります、文化であります。
○政府委員(小野元之君) 宗教学の説によりますと、カルトというのは教団という意味のようでございますけれども、自発的な集団でございまして、いまだ教義や組織が未成熟である、カリスマ的な指導者に率いられた熱狂的な宗教団体を指すというふうに聞いているわけでございます。
○政府委員(小野元之君) 御指摘ございましたカルトでございますけれども、宗教学の説によりますれば、カルト、教団という意味でございますけれども、自発的な集団でいまだ教義や組織が未成熟である、そしてカリスマ的な指導者に率いられた熱狂的な宗教団体を指すというふうに一般的には言われているようでございます。
それから、さらに、地球環境の問題が最近は大変深く認識されるようになってきましたけれども、この領域においても、哲学とか宗教学というのがこの地球環境の問題とは無関係でないというように認識されつつあるところだと思います。 そういうような新たな融合領域の発展ということから考えますと、この人文科学のみに係るものを除く。」
学会では、脳死を人の死とする学説が哲学、生物学、宗教学、法律学などの分野で定説になっていないということは申し上げるまでもないことだと思います。 医療の現場でも、脳死患者を死体として扱っておりません。看護婦さんは、お口をすすぎましょう、体の位置を変えましょう、床ずれができるといけませんからねと声をかけながらやっておられます。おしりをきれいにしましょうね、すぐ済みますと言っております。
ドイツでは、向こうは宗教学というのがあるんですね。宗教学の中に、必修の単元としてトート・ウント・レーベン、いわゆる死と生というのが必修科目になっております。日本では宗教というものは教えることはできないようになっておりますけれども、それならばこそ、何かこれにかわる生と死をどこかで教えておくことが大事じゃないか。 生命理工学部に入った学生ということだけではないんですね。
いずれにしても、今のようなお話というのは、学問の世界あるいは宗教学の世界、あるいは大嘗祭に関するいろいろな立場からの見解の問題だというふうに考えておるわけでございます。
専門教育科目については十九単位ということになっているわけでございますが、このうち高等学校の社会の一種免許状を取得するために必要な教科に関する専門教育科目というのはどのようなものがあるかと申し上げますと、日本史と外国史につきまして六単位、地理学について六単位、法律学または政治学につきましては、このうち一科目について二単位、社会学または経済学につきましては、このうち一科目について二単位、それから哲学、倫理学、宗教学
それからその他の講義、例えば哲学ですとか倫理学、宗教学、法学、社会学、医療心理学といったふうな、どちらかというと一般教育というカテゴリーに属する科目等の中で、それから実習の中におきましても例えば解剖学実習でありますとか、病理学実習あるいは実験、動物学実習、看護学実習、こういったものとか、さらに課外活動の中でもそういった観点からの諸活動を取り入れてやっておるというふうになっておるわけでございます。