2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
様々な人種(ルーツ)や宗教をはじめ多様な価値観を持った人々が、パッチワークが様々な色・柄・形の小布がはぎ合わさって一つの大きな布になるように、一つの共存・共生社会を形成している。これを、民主主義を基盤に、目に見える約束事や法律でまとめていました。自由の国アメリカが体現しているのは、まさに「和して同ぜず」なのではないか。以来、私の座右の銘は、「和して同ぜず」です。
様々な人種(ルーツ)や宗教をはじめ多様な価値観を持った人々が、パッチワークが様々な色・柄・形の小布がはぎ合わさって一つの大きな布になるように、一つの共存・共生社会を形成している。これを、民主主義を基盤に、目に見える約束事や法律でまとめていました。自由の国アメリカが体現しているのは、まさに「和して同ぜず」なのではないか。以来、私の座右の銘は、「和して同ぜず」です。
ワクチンを体質的に受けられない方もおられますし、宗教上の理由など様々な理由で受けない方もおられます。そうした方が差別、偏見を持たれないような取組、これも、専門家の皆さんから御指摘をいただいておりますので、しっかりと取り組んでいきたいと考えております。
収集される個人情報は、思想、宗教、家族や姻戚、友人関係、海外渡航の有無、現在及び過去の職歴、趣味などを幅広く総合的に収集することによって、初めて意味を成すことになります。つまり、重要施設の近くに住んでいるというだけで個人情報が丸ごと政府に収集される、そのこと自体に問題があるというふうに思います。 二番目、土地取引が抑制される。
ILO第百十一号条約は、人種、皮膚の色、性、宗教、政治的見解、国民的出身又は社会的出身の七つの事由に基づく雇用及び職業における差別待遇の除去を批准国に義務付けるものでございます。
裁判所に解散命令を申し立てるとか、宗教法人ですとか会社法の解散命令の督促ですとか、いろんな方法があるかと思いますので、是非これしっかり検討していただきたいというふうに思います。 そして、悪徳商法の拡散、展開を阻止するには、内部からの通報が重要な端緒となることは強く指摘したいと思います。
ややもすると、これ宗教的な、神社だから宗教的なものじゃないかということではありますが、全く宗教とは関係ないということだけ申し添えておきたいと思います。 これはツーリングの拠点であります。ツーリングの拠点として地域の活性化に貢献するということでありますけれども、国交省においては、道の駅に何としても小さいほこらを、予算掛からないんで、何とかそういったところに設置することを許可していただけないかと。
○国務大臣(茂木敏充君) この中東エルサレムの地、なかなか有史以来難しいところでありまして、御案内のとおり、様々な民族、そしてまた宗教的な対立が続いております。 中世の時代におきましても、十一世紀の末の十字軍の時代から二百年近くキリスト教、そしてまたイスラム教の対立が続くと。
大学構内に置かれる孔子学院の周辺では、例えばチベット、ウイグル問題、天安門事件、宗教に対する弾圧、人権問題など、中国共産党にとって都合の悪いテーマを取り扱わないタブーがある一方で、例えば台湾の表記や尖閣諸島についての政治的主張など、中国政府の公式見解をなぞり拡散してくれる中国通の人材を世界各国で囲い込み、受入れ国の世論に働きかけさせ、中国に有利な国際世論をつくっていく手法が懸念をされています。
今日、実は海の関連で非常に、まず茅根先生にお伺いしたいんですけれども、教育の中で、海に関わるということで非常に多分野にまたがって、文系も理系もやっていくということで、非常に私、感銘を受けたんですけれども、その中には文化とか宗教とか地理、そういったのがありますけれども、沖縄の場合にも旧暦の行事がたくさんありまして、これ実はかなり海あるいは月の満ち、海の満ち潮ですね、干満と関係があって、そういったことも
いますので、そうでない分野は、じゃ、地方の大学はみんな切り捨てるのかというと、とんでもないというふうに私は思いますので、国立大学にはその部分をしっかり守る使命が、ミッションが私はあると思いますので、そういう意味で、例えば生命系とか工学系とか理工系とかというのは割と産業界からしっかりと外部資金を取ることができる可能性が高いと思いますので、そういったところで稼ぎながら、そうでない分野を、例えば文系の哲学とか宗教
行政庁が解散命令を発出するというのではなくて、行政庁が裁判所に解散命令を申し立てる権限を持つという類型もあるわけでして、そういう類型で実際に運用されている例を見ますと、宗教法人法八十一条があります。裁判所は、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により若しくは職権で、一定の要件で解散を命じることができるとするものです。
そして、こういう状況になったからこそ、やはり日本の政府は、台湾もしっかりとWHOへの総会の参加、今回はいわゆるテレビカメラの中での参加ではありますけれども、やっぱりWHOというのは、世界保健機関というのは、これいろんな意味で、人権や宗教、政治信条、あるいは経済的な、社会的な条件に差別されることないというのが前提条件ですから。
そうすると、収集するといっても、それを例えば記録にとどめて残すのかとかというところで、それぞれの考え方でどこまで記録残すかというものがあったりとか、あと、過去にあった事例としては、老人ホームのようなところにグループでお部屋が、入所される場合に、ちょっと宗教で対立があるような場合なんかがあるようなことがあるようでして、その場合に、ある自治体は、センシティブ情報としての収集を審議会にかけて、本来であれば
自由権規約は、思想、良心、宗教の自由、表現の自由、身体の自由、集会、結社の自由、移動の自由、参政権等のいわゆる自由権を規定しております。
この会は、一九七九年に、難民支援を目的としてつくられたもので、政治、宗教、思想に偏らない、人道的見地に立った市民団体です。インドシナ難民の定住や教育の支援からスタートし、現在、四十一年目の活動になります。私自身も創設当時から関わり、責任ある立場で会の企画や運営に携わりました。また、紛争や災害の現場に赴いて方針を出すなどしてまいりました。
長年難民の事件に携わってきた者としましては、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団、政治的意見、この五つの理由がネックになって難民不認定になっているというのは余り考えられません。
補完的保護対象者は、難民条約における難民の要件のうち、迫害の理由が、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見であること以外の全ての要件を満たすものであることを明文で規定しているところでございます。そのため、難民条約上の迫害を受けるおそれがある者は、その理由を問わず、難民か補完的保護対象者として保護することが可能となります。
あともう一つは、やはり宗教的なバックグラウンドもあるだろうと思います。周りが何と言おうと、自分はある信仰の下、神から守られているという一神教的なその信仰があれば、周囲の顔色をうかがわずにも自分の信念を貫くということが可能な部分もあろうかと思うんですけれども、当然ながら、日本ではそうした一神教的な信仰をお持ちの方は少ない、子供でも当然少ない。
清水さんから宗教的なバックグラウンドという御指摘があって、ああ、なるほどなと思って聞かせていただいたんですが。 欧米人は、日本は仏教と神道と儒教的な影響をすごく受けていると、日本をよく知っている人はみんなそうおっしゃるんですね。
本法律案では、補完的保護対象者は、難民条約における難民の要件のうち、迫害の理由が人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見であること以外の全ての要件を満たすものをいう旨を明文で定義しています。 この定義を満たすときは補完的保護対象者と認定することとなり、法律により、その対象は明確になっています。
難民の認定は、申請者が特定の人種、宗教、国籍等を理由に迫害を受けるおそれがあることについて、申請者ごとに判断しています。 御指摘の、迫害の解釈を含め、難民該当性に関する規範的要素については、難民認定制度の透明性向上の観点から、現在、我が国及び諸外国でのこれまでの実務上の先例、UNHCR、国際連合難民高等弁務官事務所が発行する諸文書等を参考としつつ、その明確化を検討しています。
また、人種や宗教など特定の理由による迫害から保護する場合は難民制度を使い、無差別攻撃による命の危険など、条約上の難民と認定し難い場合は補完的保護対象者とする、こうした制度区分が提案されていますが、その実効性を伺います。 ウイグル、香港、ミャンマーなど人権弾圧国から日本に来ている外国の方々にとって、今回新設される制度や難民認定運用の見直しは送還の不安を解消するものとなっているのでしょうか。
政府のコロナ対策支援である持続化給付金の対象が、憲法二十条や八十九条の政教分離の観点から、公益法人の中で宗教法人のみが除外されたのであれば、これは極めて不合理と言わざるを得ません。私も、じくじたる思いで地元の方々に御説明をいたしました。 憲法で定められていることが今を生きる国民の生活、社会とかけ離れているのであれば、私たちは改善に向けて議論を速やかに進めるべきであります。
何か非常に、政府を見ておりますと、デジタルをやれば何でもうまくいくんだ、もうこれは一種のイデオロギーじゃないのか、宗教がかっているんじゃないかというふうにも私は思わざるを得ません。
そして、十四世紀のペストにおきましては、欧州の人口の三分の一が奪われる結果になりまして、絶望した人々が既存の絶対的な権威、すなわち、当時でいいますとローマカトリックになるわけでありますが、それに対する信頼を失い始め、これがルネサンスであったり宗教改革、さらには絶対王政、この誕生につながっていった。 日本においても天然痘がはやりました。