1986-04-24 第104回国会 参議院 建設委員会 第11号
東京湾でも昭和三十七年に宗像丸というタンカーが川崎港内で衝突爆発しまして、四十一人が死亡しております。昭和四十九年には、LPGタンカー第十雄洋丸が浦賀水道を入ってきた直後に衝突をいたしまして、二十日間燃え続けて、最後に東京湾外に引っ張り出して自衛隊で爆沈したのであります。もしこれを放置したならば七カ月間燃え続けたであろうと言われています。
東京湾でも昭和三十七年に宗像丸というタンカーが川崎港内で衝突爆発しまして、四十一人が死亡しております。昭和四十九年には、LPGタンカー第十雄洋丸が浦賀水道を入ってきた直後に衝突をいたしまして、二十日間燃え続けて、最後に東京湾外に引っ張り出して自衛隊で爆沈したのであります。もしこれを放置したならば七カ月間燃え続けたであろうと言われています。
昭和三十七年十一月十八日の京浜運河の第一宗像丸、一々内容は申し上げません、これは三十六客全員が目の前で死んでいるのです。それから室蘭港のヘンバート号、この事故が起きて二十数日港がとまってしまった、国鉄までとまってしまったのです。それからペルシャ湾における海歳丸。それからこれは木材を運搬した船ですが小名浜港の空光丸。それから川崎港外のていむづ丸。
○長野説明員 大型タンカーの事故につきましては、京浜運河における宗像丸事件、あるいは室蘭港におけるヘイムバード号事件、最近では、昨年の三月英国近海に起きましたトリー・キャニヨン号の多量の油流出事件というような教訓にかんがみまして、この大型タンカー事故対策について検討してまいったのでございますが、まずこのような大きな事故が起きました場合には、海上保安庁のみをもってしては対処することはできませんので、警察
それから三十七年十一月十八日に衝突事故が川崎で第一宗像丸、これは約二千トンばかりの船でありますが、事故を起こしまして、そうしてこれはガソリンに引火いたしまして、死者が何と四十名、重傷、軽傷十数名を出しております。で、小型タンカー二隻、どういう船かわかりませんが、小さい船も何隻か沈めております。一番大きいのは、何と言っても四十年五月二十三日室蘭港に起こった日石の石油淺橋で外国船が事故を起こしました。
ただ他船の裸火による事故というのは、先ほど御指摘の第一宗像丸の場合には、海難審判の結果も、どうもそれらしい、付近を航行した小型船のしちりんの、こんろの火が引火したのではないかということでございますので、私ども基本的には、狭水道において大型船と小型船の航行帯を分離したい。
この前、あれは三十七年の十一月の京浜運河で起こった事件ですか、死亡者三十六人出た、これは第一宗像丸というのですか、あのときでしたか、これは横を通りかかった船のこんろか何かに引火して大事件になりました。いま狭水道で一日一千隻以上通っておるとあなたおっしゃった。タンカー事故起こったときに偶然そのあたり通っている船がたくさんある。これに引火する可能性が大いにある。これは火事をどうやって防ぎますか。
さらに、一たん災害が発生した場合にこれを局限するための措置につきましては、川崎におきます第一宗像丸の炎上事故、さらに四十年の室蘭におけるヘイムバード号が、二十八日間もタンカーが燃え続けた事故、こういうことを教訓にいたしまして、防火上のいろいろな訓練、陸上の消防機関との連絡、協定、そういう点についても進めておりますし、各港とも年に数回海上保安庁、消防機関及び地方公共団体が協同いたしまして、船舶防火演習等
かつて昭和三十七年でしたか、第一宗像丸の炎上事件などがありまして、あの際には三十六名でしたか、たしか死者が出た大事件が起こりましたが、そのときに比べても、現在すでにその倍くらいのタンカーがふえているはずでありますけれども、どうも調べてみますと、現在わずかに巡視艇が一隻しか配置されていない。
その他のところは現在配属されております巡視船あるいは巡視艇の消防能力を活用いたしまして、備えようということでございますが、宗像丸事件以後、先ほど申しましたような化学消防艇の必要を痛感いたしまして、三十九年度以降予算要求をし、大蔵省ともいろいろ折衝してまいったのでございますが、先ほども申したような現状になっている次第でございます。
それから三百五十トンを一隻、それから沿岸の比較的水深の浅い港に入る巡視船を二隻、それに高速の巡視艇を四隻、それから特に港湾の中における交通安全という観点から、十五メートル型の船を十隻、それから最近特に宗像丸以降の危険物等の火災等による災害に対する対策として、化学消防艇を一隻用意するというような内容を要求しておりますが、この中で国庫債務の関係は、巡視船につきましてはA百トン型の巡視船を二年間で建造するというたてまえで
いろいろ申し上げてみたいと思いますけれども、ただいまも申し上げましたように、海難の防止を大型船ということについて申し上げましたが、ただに大型船で操船が困難ばかりでなく、きょうもちょうど出かける前に裁決がありまして、NHKの記者がなんか来ていろいろ言っておりましたが、一昨年の十一月十八日に第一宗像丸及びブロビグ号の衝突がございまして、きょう裁決があったのでございますが、私どもは、いくら大きな船、あるいはある
○説明員(猪口猛夫君) 港内の火災防止のために消火艇が必要なことは、仰せのとおりでございまして、現在でも、海上保安庁でも、京浜、それから神戸等におきましては、都市が専門の消防艇を持っておるのでございますが、しかし、現在の消防艇を建造いたしました当時の情勢と現状では相当に情勢が変わっておりまして、ことに宗像丸事件後におきましては、化学消防艇が必要であるということを痛感しておる次第でございます。
まあ私たちが港湾の火災がございました場合に経験しているところでは、それぞれ、たとえば石油コンビナートのものでありますれば、その人たちが大量のシーライト的な科学消火剤を持っておられるようでございまして、漸次、宗像丸事件を契機といたしまして、そういう港湾におきます火災防止の思想が浸透してきて、現実に整備されつつあるんではないかと考えております。しかし、まだ十分ではないと思っております。
特に昨年でありましたか、宗像丸のタンカー衝突事件のときにも水先人の問題が出たと思うのです。そういうのが今度の改正で解消されると思っているかどうか。その点どうですか。
大体現在日本の消防艇で一番大きいと申しますのは、大阪港で持っているものが一番有力でございますが、しかしそれでも、この前の宗像丸のような大火災につきましては、とうてい中まで入っていくことはむずかしいと在ずるわけでございますが、しかし、気密の操舵、あるいはエンジンを扱いますリモコンの部屋を作りまして、この前から私どもの船技部のほうでもいろいろスピードの非常に早いやつ、しかも船に近寄りましても、ずっと伸ばしていきまして
○説明員(和田勇君) ただいま委員長からお話のありました、第一宗像丸とサラルド・ブロビグ号が衝突いたしまして火災を起こしました件につきまして、簡単に御報告申し上げます。 発生いたしましたのは、昭和三十七年の十一月十八日の午前八時十五分ごろであります。発生いたしました場所は、京浜港の横浜第四、区京浜運河でございまして、東京電力の鶴見発電所の沖合約三百メートル付近でございます。
そして同時に、葬儀に私も参列いたしまして——非常にショックを受けて、自分の生涯でこれぐらいなショックを受ける日はない、しこうして、自分はこの宗像丸の船員は、よく出光精神といいますか、一致団結もって責任を果たすというこの魂の輝きであると思って、その点では大いに自負を感じておりました、ゆえに、そういうことがかりにでも非難されるようなことがあったならばいけないということは、自分は肝に銘じてやる、そうしてまたやっておるからということを
ただいままで私のほうで捜査いたしました結果から判断いたしますと、第一宗像丸につきましては、衝突の危険が切迫したときの処置がおくれたのではないかという疑いがございます。 一方、ブロビッグ号につきましては、左側を航行しております。
衝突いたしましたのは、ただいま申しました日本の第一宗像丸とノルウェーのサラルド・ブロビッグ号でございまするが、この衝突に際しまして、太平丸——約八十トンの油はしけでございます、宝栄丸、これが約六十トンのはしけでございますが、類焼いたしております。
○久保委員 ただいまのお話によりますれば、五千トン以上の船にはある程度航行に規制を加えて整理されておるようでございますが、この第一宗像丸は二千トン足らずの船であります。しかし、登載しているものは危険この上ないところのガソリン、これに対しては何ら御注意は払わなかったというのでありますか。これはいかがですか。
○和田説明員 今般の第一宗像丸とサラルド・ブロビッグ号との衝突火災事件につきまして、御報告申し上げます。 発生いたしました日時は、三十七年の十一月十八日午前八時十五分ごろでございます。発生いたしました場所は、京浜港の横浜第四区京浜運河でございまして、東京電力鶴見発電所沖約三百メートル付近でございます。衝突いたしました船は、日本の船第一宗像丸、これは約一千九百七十二トンでございます。
まず第一にお尋ねしたいのは、第一宗像丸が入港して参ったわけでありますが、この宗像丸は、ガソリンを積載しておったタンカーだそうであります。この場合、港則法によれば、港外において港長の許可を求めるということになっておりますが、それは求めてあるのかどうか。いかがでしょう。
大阪筒船の宗像丸というのは九八一・四〇トン、これもおかしいことに、まず買上げをしたのが昭和二十五年十二月二十七日だ、その政府が買つた値段は八百七十二万四千六百四十六円、二十五年十二月三十七日に買い上げておいて、あらためて相手に売つた日にちは二十六年三月二十九日だ、四箇月もたつてから相手に売つている。
大阪府船の宗像丸というのは肉との共有なのです。半分だけ持分なのだから相手から国が買つたらどうですか。そうすれば三十六万八千五百三十八円で買える、そうしてこれをくず鉄で八幡製鉄に四百九十九万で売つているので売つているのです。そこでつまり四百六十三一万円を国が得をするのです。
○窪谷政府委員 宗像丸の御質問でございましたが、宗像丸の国の持分は全体の船舶の建造費ではございませんで、これは改Eという船でございまして、いわゆる戦標船でございますが、それは低性能でありましたので、終戦後若干の改装をいたしたのであります。その改装費だけを船舶公団が一部負担をいたしたのであります。