2017-11-24 第195回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
私は、安田財閥の安田善次郎さんの言葉で、五十、六十ははな垂れ小僧、男盛りは八十、九十、そういった言葉を思い出したんですね。百年前は非現実的な言葉であっても、今ではそれが現実的になってきていると、改めての気づきと驚きもございます。 この構想会議のメンバーの方々も非常に年齢層が幅広いと伺っておりまして、十九歳から八十二歳のさまざまな方で構成されている。
私は、安田財閥の安田善次郎さんの言葉で、五十、六十ははな垂れ小僧、男盛りは八十、九十、そういった言葉を思い出したんですね。百年前は非現実的な言葉であっても、今ではそれが現実的になってきていると、改めての気づきと驚きもございます。 この構想会議のメンバーの方々も非常に年齢層が幅広いと伺っておりまして、十九歳から八十二歳のさまざまな方で構成されている。
代表的なものだけ挙げても、伊藤博文、大隈重信、山県有朋、陸奥宗光、岩崎弥太郎、安田善次郎、島崎藤村、ずっと挙がっていきます。
例えば、日本で初めて生命保険の会社を築いて大きな財をなした安田善次郎は、東京大学に安田講堂を寄附されました。日本で初めて洋紙を開発された黒田善太郎という方は、富山大学に黒田講堂を寄附されました。あるいはまた、超近代的なホテル経営をなさっておる大谷米太郎さんは、富山短大を寄附されました。
その結果日本がどうなってきたかということを見てみますと、右翼は山本宣治や美濃部達吉氏などだけでなしに、安田善次郎あるいは団琢磨などの財界人に対しても襲撃を加える、あるいは浜口首相を初めといたしましておびただしい数の閣僚、政治家、元老を襲って、さらに軍部内の右翼と呼応して数多くのクーデター事件を起こしております。
しかしまあこれ、福祉というのは限りのない問題ですけれども、やっぱりお金のある人はなるべくそっちの方に引っ張っていくというような、これは税制の問題ではあるけれども、実はこれは日本の現状に照らして――まあ東大の安田講堂は安田善次郎という金持ちが寄付したし、慶応大学の工学部は藤原銀次郎というお金持ちが出したわけですね。これはやっぱりいいことですよ。
しかるに、わが国の保険事業の封建性からいたしまして、私は、日本の生命保険の最初の創立者の一人である矢野恒太の子供をよく知っておりますが、いずれも安田善次郎型の立志伝中の人物でございますが、その封建性の濃厚なことは実に腰を抜かさんばかりの封建性、その封建性と近代性とがどうしてかくもうまく結びついておるか、まさに日本資本主議の象徴そのものであると青年時代に感じた次第でございます。
安田講堂を建てたいというので、安田善次郎の記念事業としてああいうりっぱな講堂が建っていく。これは大蔵官僚は出した寄付金にひもをつけるということは大きらいで、そんなことは一切受け付けない。しかし魚心あれば水心ありということで、安田善次郎さんが安田講堂を建てるときには、一ぺん国庫に入った金が東京大学に補助になって出てあそこに講堂が建っているわけです。
なぜかと申しますれば、往年の例えば岩崎彦弥太とか三井八郎右衛門或いは浅野総一郎、安田善次郎、これを経団連の諸君は見習いなさいというのだ。ちよつと何かといえば国家予算で事をやろうとする。自分の資力、自分の孜々営々たるところの力によつて貿易の振興を如何にすべきか、その資金をどうすべきかということは全然考えていない。電力においてもそうである。海運においてもそうである。
安田善次郎であるとか、当時の財界の巨頭、それと今日の石川一郎とか浅尾新甫、藤山愛一郎、ああいう者はどつちが重い、どつちが軽い。そこで謙虚な態度で当時の人々は国家予算というものを、当時の国家予算というものは必ず削減した、それが国会の使命である。だからそういうことを望まない当時の財界の巨頭というものは自分の力で孜々としてやつて参つたのであります。その点を伺いましよう。(「答弁の要なし」と呼ぶ者あり)
安田善次郎というものが百万円を寄付してあの講堂ができ上つた。ところが、これに対しまして、東京帝国大学の規定によりまして総長名をもつて感謝状を発行いたしました。ところが安田一家におきましては、なぜ男爵にしてくれない、なぜ勲章をくれないかといつて談判する、しかし帝大におきましては、規定によりまして、安田善次郎は法人代表であるためにくれることはできないといつてつつぱねた、実にこれは英断であつた。