2015-03-18 第189回国会 参議院 予算委員会 第8号
安政江戸地震というのがありまして、藤田東湖が圧死したとか、それは北関東で、これ直下型地震でした。先ほどありましたように、関東大震災はプレート境界型地震でして、すごい規模が大きかったんです。それから、あと元禄大地震というのもありまして、これもプレート境界型地震だと言われています。
安政江戸地震というのがありまして、藤田東湖が圧死したとか、それは北関東で、これ直下型地震でした。先ほどありましたように、関東大震災はプレート境界型地震でして、すごい規模が大きかったんです。それから、あと元禄大地震というのもありまして、これもプレート境界型地震だと言われています。
安政江戸地震であります。死者が約一万人、全壊、焼失約一・四万棟という被害が出ております。 そして翌年、東京湾に大型の台風が上陸いたしまして、高潮と暴風雨で十五万棟の家が被害を受けた。当時江戸には十八万棟の住宅があったということが言われておりますので、八〇%近い住宅が被害を受けたということなのであります。
現に、一九二三年の前、一八五五年には安政江戸地震が江戸を襲いました。このときの死者は町方、武家方合わせて約一万人と推定されております。当時、江戸は世界でも有数の大都市で、百二十万人の人口がございました。百二十万人の人口のうち一万人の方が亡くなったわけですから、ほぼ一%の犠牲者が出たという大変大きな地震であります。 そのような地震が今後南関東で起こりやすくなるだろうと考えられております。
しかし、過去の例で言いますと、一八五四年の場合には、安政東海・南海巨大地震が起こったその翌年、一八五五年に安政江戸地震という直下地震が起こって、江戸に大変な被害をもたらしています。将来もそういうことがあり得ると思います。つまり、東海地震が起こってじきに、その年か翌年か二、三年後かわかりませんけれども、首都圏直下で大地震が起こる、そういうこともあり得ると思います。
岩波新書で名著になりました「大地動乱の時代」の中でも言われているわけでございますが、要するに、ペリーの黒船がやってきたときの一八五三年に小田原地震があって、きょう御説明があったように、その後、五四年、五五年と、安政江戸地震という最悪の直下地震が発生して、そこから活動期に入って、一九二三年の大正の関東大震災まで活動期であった。そこから、現在八十数年になりますけれども、静穏期であった。
次いで安政二年の一八五五年、安政江戸地震、これは内陸ですが、大変強い被害を下町中心に与えました。三つ目の代表が広く知られております関東大地震、一九二三年の地震でございます。 地震は繰り返しますが、この際関心を持っていただきたいことは、地震災害は繰り返す、同時に、同じ規模の地震であれば災害のたびごとに被害は巨大化の方向に向かうということでございます。