○坂野参考人 御存じのように、幕末の安政条約という不平等条約を課せられていて、明治五年からそれの改正交渉に入る。それで岩倉使節団が、大使節団が欧米を回ってくるわけですけれども、そこでやはり条約改正なんてとんでもないという話に向こうから、アメリカ以外みんな非協力的だったんです。要するに、そのときに一番問題になるのは憲法と六法です。近代的な法がない国に対等な条約関係を渡さないという話です。
坂野潤治
それから、四島のお話ございましたが、実はこの間、北方領土の日ができましたときに、あれは安政条約の日を総理府がとったわけでございまして、あのときの条約で初めて四島が同本の固有の領土と名前が正式に出ましてなったわけでございますので、そういうことを決めた平和の日だからということであの日をとったわけでありますが、あのときは社会党からも代表がお見えになりまして、あの四島返還を一つの目的とした、あるいはこれからの
伊東正義
北方領土の日の問題は、これは国民の総意で、国会でも何回も決議があった四島一括返還ということに対しまして、安政条約で平和裏に両方で話し合いで決めた日はこの日なんだから、この問題を解決することが、またそこにかえって、両方で平和の話し合いに入れる日になるんだということで、この日をまた平和友好の日にもしたいということであれは設定されたということでございます。
伊東正義
ですから、私たちはこの問題を当然考えるならば、安政条約もそれから一八七五年条約も、これは平和的に結ばれたものだ、そしてしかも、日本が近代国家として一応足を踏み出して、ロシアとの間に国境を確定した最終結論が一八七五年五月七日の条約ですね。だから、われわれが国民的に領土問題を考えるならば、当然そこを出発点にすべきだ。
不破哲三
○伊東国務大臣 不破さんおっしゃるように、一八五五年の安政条約も、一八七五年、明治八年ですか、樺太・千島交換条約も、平和裏に話し合って決めた条約だとわれわれは思っております。きょうの新聞でしたか、一部の新聞に、ソ連側があれば戦争後の疲弊したときに日本に圧迫されてつくった条約だというようなことを書いてありました。私はそうは思っていない。両方とも平和条約だ、こういうふうに思っております。
伊東正義
○伊東国務大臣 いまお答えしましたように、日本のいわゆる固有の領土ということではっきりしたのが一八五五年の安政条約で、樺太はおっしゃるように確かに雑居、混在するということで決まりませんでしたが、千島ははっきりと得撫と択提の間に国境があるということを安政条約で、これは本当に平和裏に決めて、固有の領土は歯舞群島、色丹、国後、択捉ということを一八五五年にもう決めているわけでございます。
伊東正義
明治初年における安政条約に対しても、これを不平等条約を解除するのに半世紀かかっておるが、どの政治家も、早く解除しよう、しようとして、大隈さんが足を取られ、いろいろなことの中で来ておるのですが、そういう同じ条約を堅持するという総理大臣の中からは、精神は振興できないのだ。何か姿勢に間違いがあるのではないか。私たちは即時解除を言っておる。
山中吾郎
その理由は、第一に、二国間の軍事協定は国連憲章第五十一条の精神に反するものであり、第二の理由は、私が、今より八年前、講和条約並びに安全保障条約批准の際、本院において申し述べましたことは、当時の事情からいって、単独講和は残念ながらやむを得ないから承認する、しかし、安全保障条約と行政協定は、占領政策の延長として著しくわが国家主権を侵害し、その独立性を否定するものであり、従って、百年前の安政条約にひとしき
西村榮一
私は重光外務大臣の交渉を見まするに、もっぱら法理論にとらわれておって、一八五五年の安政条約、あるいは一八七五年の南千島、権太交換、それらの条約で実は南千島の所属は日本である。ソ連はヤルタ協定を言うが、ヤルタ協定は日本題認めておらぬものだ。
植原悦二郎
御存じだろうと思うのですけれども、一ぺんに欲をかくべきではない、安政条約が改訂されたときに外国人から日本にはろくな監獄ないではないかと言われて作ったのがたった三つの監獄だった。それから家事審判所を作ったときは東京と大阪であった。児童福祉法が通ったときの少年鑑別所がやはり東京と大阪、二つであった。
神近市子
○北島政府委員 長崎税関独立の理由を一応御説明申し上げますと、御承知の通りに長崎港は昔からの古いいわれのある港でございまして、安政条約において開港場に指定され爾後税関ができましてからずつと本関といたしまして継続いたしておつたのでございます。
北島武雄
ことに安政条約における不対等な条約を破棄するために長い間日本が苦しんで来たこと、日本国民このためにどんなに苦しみ、これを挽回するために犠牲を払つたか、おそらく外国でこの事情を知らない国はないはずであります。しかるに今この朝鮮の問題において国連軍が日本に駐留しており、アメリカ軍が日本に駐留しておる場合とは根本的に相違することは、外務大臣が先ほどお話になつた通りであります。
松岡松平
約九十年前に日本がやはりアメリカの強圧のもとに結ばれた安政条約を見ましても、わずかに四つの港だけですよ。そして江戸と大阪、これも居留地というものを限定されて、しかも百七十何箇月という期限つきで結んでおる。そのときは関税というもりは無税ではありませんよ。ある程度の制限をされておる。
梨木作次郎
(拍手)そして、その数の多いこと、大規模に国内を闊歩する事実は、とうてい、かの安政条約の比ではないのであります。(拍手)それが単に軍人、軍属にとどまらず、一切の私人にまで及ぶのであります。その数も何十万になるか、はかりがたい。
鈴木義男
しかるに、このたびの行政協定は、安政条約にもまさる屈辱的なものであるということは、安政条約の領事裁判は、開港地の周辺一定の狭い地域と、そこに在住する少数の外人に限られていたのであります。
林百郎
但し、安政条約のことをお引きになりましたから一言申し上げますが、安政条約と申しますのは、御承知の通り、日本におる外国人、一般居留民に対して日本の裁判権を及ぼさないという条約であります。今度の場合は、軍の所属員とされる者に対してのみの裁判権の問題でありまするから、安政条約とは全然性質を異にいたします。
岡崎勝男