2004-03-24 第159回国会 参議院 内閣委員会 第4号
○政府参考人(田林均君) 安康天皇陵につきましても幕末の治定でございますが、治定の根拠は幾つかあると思われますが、その中の一つに、現在の陵の地形、これは大分変わっているわけでありますけれども、地面の膨れている部分が前方後円墳の残丘、残りの丘の部分ではないか、あるいは残っている池が周濠、周りの濠の名残ではないかというふうに考えられまして、したがって、前方後円墳が大方を削平された跡というふうに考えられております
○政府参考人(田林均君) 安康天皇陵につきましても幕末の治定でございますが、治定の根拠は幾つかあると思われますが、その中の一つに、現在の陵の地形、これは大分変わっているわけでありますけれども、地面の膨れている部分が前方後円墳の残丘、残りの丘の部分ではないか、あるいは残っている池が周濠、周りの濠の名残ではないかというふうに考えられまして、したがって、前方後円墳が大方を削平された跡というふうに考えられております
それで、もう一つ伺いますけれども、安康天皇陵は中世後期の中世城郭が指定されていて、古墳ではなくて、一五〇〇年代の城郭です。安康天皇は五世紀に亡くなっています。陵として指定された場所は十五世紀の中世城郭であり、年代も千年も後です。城郭、出城を陵として指定しているので、重要な文化財に立入りも禁止されて、中世の研究者が研究ができなくて大変困っておられます。