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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1983-05-19 第98回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第6号

かつての経済安定本部時代計画的なビジョンというものはなかなかつくりにくいと思いますけれども、なおそういう視点で来年どうなるのか、再来年どうなるのか、あるいは当面下半期はどうなるのか、うそでもとは言いませんけれども、かなりのものをこれから出していただかないと、これくらい冷え込んでしまったら、そしてまた近隣がかなり倒産しているという現実、統計上上がってくるものもございますし、上がってこないものもございまして

林保夫

1980-04-09 第91回国会 衆議院 決算委員会 第13号

この制度は、かつては企画庁の前身でございます経済安定本部時代に、戦後の経済難局に処しまして官民の衆知を結集して当たろうということでございましたので、かなり民間からも出向されておったわけでございます。その後だんだん現在のような仕組みに変わってきつつありましたのを、先ほど申し上げましたように、国会の御指摘もありまして、四十九年以来ただいまのような運営に変えたわけでございます。  

山口光秀

1973-06-20 第71回国会 衆議院 決算委員会 第18号

あの安定本部時代は、日本が戦災から立ち直る時代ですから、これはあるいは必要だったかもしれない。しかし、その後の経過を見ますと、まさにこの高度成長経済、これがこの有効な機能の活用によってどんどんと伸びてきた、こういう結果が出ているんですよ。だからそういう点で、まさにあなたのおっしゃるとおり、有効に機能したと思うのです。

庄司幸助

1973-04-24 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第19号

現在、公社、金融機関等から九十余名受け入れておりますが、経済企画庁といたしましては、経済安定本部時代からこの制度運営をしておりまして、特に問題を生じたことがないように思っておるわけでございます。  ちなみに申し上げますと、いま部員といって民間の方が来ておられるのは、平均年齢で二十八歳でございまして、大体二年いて帰っていく。

小坂善太郎

1966-06-02 第51回国会 参議院 逓信、物価等対策特別委員会連合審査会 第1号

そこで私は藤山さん以外にできないんじゃないかと思いますが、ところが、藤山さん御自身に力がありましても、いまの経企庁自身のあり方というものは、どうであるかといえば、物価政策を総合的に立案されるのが経企庁でありましたけれども、ちょうど終戦後、占領軍を背景に強大な統制権を持っていた経済安定本部時代とは打って変わって、いまの経済企画庁というものは、業界を指導したり、政策の実施について各省庁に対する指令をしたりする

田代富士男

1962-04-10 第40回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第8号

実は十年ほど前でございますが、昭和二十六年に当時の経済安定本部時代に、安定本部に置かれました資源調査会から安定本部の長官に対しまして水質汚濁防止に関する勧告書が当時出されておるわけでございます。この勧告の中で、わが国としまして初めて水質の標準と申しますか、公共水許容限度を定めなさいというような勧告が出たわけでございます。

阿部新七

1955-06-10 第22回国会 参議院 内閣・商工委員会連合審査会 第1号

同時に、国土総合開発等も非常に従来の安定本部時代から見まして縮小されて参りましたが、その重要性にかんがみまして、やはりこの二つ部を分けまして、一方は六カ年計画専念をしていただく、一方は総合開発等専念をしていただく。そういたしませんと幹部職員事務が非常にふえますので、そういう意味で部を二つに分けることにいたした次第であります。

酒井俊彦

1955-05-12 第22回国会 参議院 商工委員会 第4号

次の戦後経済史編さん経費と申しますのは、これは安定本部時代のまあいわば経済施策史というものを、この際資料が逸散しないうちに作っておこうという経費であります。  以上はいずれも一般原則に従って前年度より減っております。  次に国富調査経費でございますが、これは昭和十年以来、この国富調査というものは一ぺんも実施されていないのでありまして、本年から新たにこの仕事をやろう、こう考えておるのであります。

塚本茂

1954-03-26 第19回国会 衆議院 内閣委員会経済安定委員会連合審査会 第1号

経済審議庁におきましては、特に事務の性質の重要性にかんがみまして、ことに従来の経済安定本部時代からきわめて縮小して来だというような事情も勘案いたしまして、定員三百九十五名のうち特に低率の、他の省に比べますときわめて低い率を考慮いたしまして、わずかに二十八名、これを、二十九、三十年の二年間において整理する。

岡部史郎

1953-06-29 第16回国会 衆議院 経済安定委員会 第5号

平井政府委員 電源開発計画につきましては、安定本部時代、電源開発五箇年計画というものを設定いたしまして、それに必要な資金といたしまして、昭和二十五年が七、八百億、二十七年が千二百億、二十八年度は千五百億というふうに、その資金額を拡大いたしまするとともに、今後大体年間百万キロワット程度の電力の開発を行つて行くベースに現在乗つておるわけであります。

平井富三郎

1953-06-19 第16回国会 参議院 経済安定委員会 第2号

これは従来安定本部時代からも引続いて担当しておつた事項でございまして、世界経済及び日本経済につきまして、そのときどきの経済動向というものを調査及び分析いたします次第であります。そのために毎月経済分析というものを出しまして、月々の異なる経済現象につきまして、総合的な調査分析を行なつております。又年一回、経済白書と俗称されております年一回の年度を通じました経済分析を行なつておる次第でございます。

平井富三郎

1952-12-10 第15回国会 参議院 経済安定委員会 第3号

すでに御承知と思いますが、調整部はもとの経済安定本部時代の五つの局が合体いたしましてできたのでありまして、御承知のように産業局民生局財政金融局貿易局物価局、これになお官房にありました労働室建設交通局にありました交通課というふうな局の事務が統合されまして参つたのであります。同時に他方当時の機構改革によりまして、実際の行政に対しまする権限はすべてなくなりました。

岩武照彦

1952-11-26 第15回国会 衆議院 経済安定委員会 第2号

経済安定本部は今年の八月の機構改革によりまして、機構並びに権限が縮小されまして、現在総務部調整部計画部調査部の四部がありますが、そのうちの調整部におきましては、従来の安定本部時代機構でありました産業局民生局財政金融局物価局貿易局という五局の仕事と、それから当時建設交通局にありました交通関係仕事、並びに官房にありました労働室関係仕事を引受けておりますが、その権限としましては、二省以上

岩武照彦

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