2007-06-15 第166回国会 衆議院 本会議 第44号
自分たちの持っているもののよさをもう一度見直して、今までにない新たな領域、分野を開拓し、攻めていく意欲、この安倍晋太郎農林大臣の「攻めの農政」の言葉が、政治家松岡利勝先生の農政に対する信念、すなわち、「攻めの農政を展開していくことが農林水産業を発展させる道である」との強い信念につながっていったのであります。
自分たちの持っているもののよさをもう一度見直して、今までにない新たな領域、分野を開拓し、攻めていく意欲、この安倍晋太郎農林大臣の「攻めの農政」の言葉が、政治家松岡利勝先生の農政に対する信念、すなわち、「攻めの農政を展開していくことが農林水産業を発展させる道である」との強い信念につながっていったのであります。
それで、この言葉はいつごろから使われ始めたのかと、こういうことをちょっと調べてみたんですけれども、昭和四十九年、当時の安倍晋太郎農林大臣が守りの農政から攻めの農政への転換ということについて言及をしております。
○国務大臣(松岡利勝君) 今、岸信夫先生から、攻めの農政という言葉はその歴史をたどってみますと安倍晋太郎農林大臣がおっしゃったと。
昭和五十年七月二十七日、PGF白河カントリークラブのオープンの式典に、当時の安倍晋太郎農林大臣が行って、御祝辞を述べておるんですね、政府レベルではできないこと云々と。
いまどんな五つの柱を並べても、その柱というのは、いままでの、渡辺大臣のときも大体似たような演説をした、安倍晋太郎農林大臣のときも、攻めの農政と言っていい演説を一遍やったのですよ。攻められたのは、ずるずると農村の方が攻められただけで、よそに向かって日本の農業、農村をどうするかということはちっとも出てこないというところに、現在の農業、農村社会のいら立ちがあるのです。挫折感があるのです。
安倍晋太郎農林大臣の時代に、あのときは食糧庁の米価算定の担当官は総務部長の杉山君、杉山君はいま畜産局長ですよ。このときも米価を下げるために、従来から一貫して統計情報部のやっている生産費調査の取りまとめは、二千七百戸委託農家があっても、取りまとめの際、個々の農家の中でその年度で二〇%以上の災害をこうむった農家はまず除外するということをやっておられます。
このときに、当時現職であった安倍晋太郎農林大臣を初めとして、十数名の政治家が招待されて列席をしているということが報ぜられている。また、国会議員ではないけれども、P3C関係で疑惑を持たされている相澤英之氏も出席していると新聞は報じている。