1984-08-02 第101回国会 衆議院 科学技術委員会 第22号
したがいまして、建物と建物の間にいろいろな核物質防護上のフェンスもございますし、守衛所その他いろいろ必要な施設を離してつくる必要がございますので、建物外にも相当の面積を活用することが必要でございます。
したがいまして、建物と建物の間にいろいろな核物質防護上のフェンスもございますし、守衛所その他いろいろ必要な施設を離してつくる必要がございますので、建物外にも相当の面積を活用することが必要でございます。
貯蔵所から約十メートルほど離れたところに守衛所があったわけでございますが、この切断をしております物音は、そこに詰めております守衛の方は聞いておられないようでございます。京都府警では特別捜査本部を設けましてその後ずっと捜査を継続しておりますけれども、現在までの段階でまだ犯人の検挙に至っておらない次第でございます。
しかも、検間所あるいは門衛所といいますか、守衛所ですか、そういうものがいままであったけれども、いまは人が入っておらない。したがって、実際の手続はこれからだ、こう私は電話で聞いておるわけです。しかしながら、入っておるのはおかしいじゃないか。私はその点をきょう聞きたかったわけですよ。六月十九日は間違いないですか、その点。
そこで大学側としては、学生部の室長である岩崎という人が守衛所に電話をした。そういうことがあるかどうか、思い当たる節があるかどうかという電話をした。それで守衛の村越さんという人は、電話を受けたので、構内を巡回したが、異常が発見できないから守衛所に引き返した。
しかも、あなたは水村は先ほどから守衛所に行ったというが、守衛所に行ったというのは、ここにとにかく監禁されておるということだったんでしょう。監禁されていないということがわかったでしょう、その事態では。学長が来ているときには誤まりであったということを承知している。私は監禁されていると思ってやって参りました。しかし、これは全く警察側の誤まりでございました。
○説明員(後藤信義君) 東京経済大学において事態が起こっていないということがわかりながらと先生おっしゃいましたけれども、これは岡田も水村もその段階においては、東京経済大学に起こっておると信じ込んで守衛所に至っているわけでございます。
そこで東村山警察署におきましては、刑事課長と刑事の係長でございますが、この二人が、四時五十五分ごろでございますが、誤って報告のありました東京経済大学の守衛所に参りまして状況を聞いたわけでございます。ここに三人の警察官と被疑者一名が学生に取り囲まれているという話であるかどうかということを問いました。
松宮管財課長が野本理事派の興論社側と話し合っている間に、野本理事派が正門の横の車庫のとびらをあけて学園内に入りましたけれども、正門を見張り中の鈴木理事派の住吉会組員十四、五名は、反対派が大ぜいであったのに驚いて守衛所に閉じこもってしまいまして、暴力事犯などの紛争は見られなかったのでございます。
国立競技場でございますが、これは御承知のとおり、開会式、閉会式、陸上競技、蹴球、馬術をやりますが、特に開会式をやる競技場でございますが、現在ごらんいただいておりますことと存じますが、大体八〇%程度できまして、来年度の工事といたしましては、守衛所とか、あるいはコンクリートの道路と申しますか広場の舗装とか、あるいは既設建物を塗装するとか、あるいはスタンドのベンチを補修するとかいうようなことで、三十九年度
○江上説明員 十八時五十五分ごろ、爆発事故を目撃いたしました東の門の警備員が、直ちに正門守衛所に事故の発生を連絡して、ほぼ同時に、事故現場に近い動力試験炉建設部員からもやはり通報があったそうでございます。
そして、当局が整地工事をして、ここに対してバラ線を張りめぐらして守衛所の建設を行なっている。こういう事実を私たちは承知しておるわけです。これに対して村民は入会権確認の妨害排除、予防請求の訴訟を起こしている。これも防衛庁は御存じなはずです。
その内容は、昭和三十四年一月二日に、会社の守衛長がその部下全員を集めまして、新任のあいさつとして、部外者を監視せよと訓示しておりますが、同会社は町から社宅に通ずる入口の二カ所に守衛所を設け、投光器のあかりを強くして、風体の変わった者が行くと、社宅係に連絡して尾行する。社宅の四軒長屋の両側に見張りが立ち、だれがいつ入ってきたか、出たか、これをこまかに報告させた。
その間に押し合いすることが四、五回あったと思いますが、またそのうちに押し切られまして、守衛所とか、タイム・レコーダーなどのあるところで、時計等をこわされた場面がそこに出てくるのであります。最後には押し切って、門のところに土のうを築いてはっきりこれを区画したらどうかという意見が出ましたが、土のうとかそういうものがないために、警察官が身を危険にさらしてそこをささえていたの。
それからマイクで放送しようとして、代表者の方と穏便に入門をしていただこうと、こう思っておる矢先に、門外から守衛所を目がけて石を投げ始め、かつ門鉄扉によじ上ると同時に、大ぜいの方がよいしょよいしょとかんぬきを破ってなだれ込んできました。石や丸太やプラカードのようなもので、工場内のいろいろな器物とかそういうようなものがたくさんこわされております。
あなたは元来倉庫係長をしておられて、すべての物を出し入れするには課長の決裁を受けて、守衛所の中にある格納金庫から出されるのでしよう。金庫のかぎは倉庫係長のあなたが保管しておられたはずです。金庫のかぎを持つておられて、特に守衛所内にあつた貴金属格納金庫からお出しになつたのですし、ほかに隠してあつたものでないから、目方がわからぬことはないのです。
併しながらこれらの建物の中でも、仮設物で、例えば土建の有期的な事業の仮の便所だとか、或いは危険なものを入れない仮の倉庫というふうなもの、或いは仮の守衛所というふうなものにつきまして、一々青写真を附けまして届出でなければならないということは、それほど危険有害の慮れもございませんので、手続の簡素化の趣旨から、こういう特殊のものに限りましては届出を要しないということに、改正をしておるわけであります。
○神山委員 今度はひとつあなたに聞いておきたいのですが、廣島の日鋼の場合にも電話の傍受がやられておるのだが、それは守衛所で電話をかけている、それを組合員が聞いていたという証言もあつたのですが、こういうことをあなた聞いておるですか。
釈明をいたしましたけれども、これは全然それつきりで、またその六人も私のわきへ坐つた、そうこうしておりますうちに、今度は守衛所にいた警備の担当をやつております総務部長付の長門という男がおりますが、それのところに組合の北平勝美という教育宣傳部長が参りまして、何か言葉の行き違いから謝罪せいというようなことで、長門を手取り足取り連れ出して、これは中の島に連れて行かれました。
とにかく早いので十二日の晝ごろから始まりまして、ある者は二時、三時、五時、六時というふうに順々に引きずり下されまして、ある者は守衛所から出された者もあります。そうして翌朝のたしか六時か、七時ころまで、俗に言えば罐詰にされた。それで脳貧血を起したわけであります。それはあるときには数百名、あるときは千数名も取囲んでおつたという状態なんです。
これはおかしいぞと言つておりましたが、ちようどわつしよいわつしよいとやつて來まして、さつと守衛所に入りかけて來ましたから、私はこれはおつてはあぶないと身の危険を感じましたので、守衛所の裏の休憩所にかくれておりました。彼らは守衛所の中に押しかけて入りまして、おいここに新組会長がおる、書記長もおるというようなことで、罵詈雑言をぶつかけて参りましたが、私らは相手にせずそのままにしておつたのであります。
午後四時三十分ころ、取締担当長門時行に何か事故あつたらしく、一組合員より長門の軽石が——これは守衛のあだ名だそうですが、守衛所でのばされているぞと呼んでいた。その直後十数名の者に長門が中の島に拉し去られるのを見た。