2017-03-08 第193回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
○松野国務大臣 義務教育未修了の学齢超過者など夜間中学に通う生徒に対する経済的支援に関して、各地方公共団体の判断で、いわゆる教育機会確保法第十五条に規定された協議会の枠組みも活用して検討することも考えられるところです。
○松野国務大臣 義務教育未修了の学齢超過者など夜間中学に通う生徒に対する経済的支援に関して、各地方公共団体の判断で、いわゆる教育機会確保法第十五条に規定された協議会の枠組みも活用して検討することも考えられるところです。
それで、最後の質問になりますけれども、最後は、学齢超過者を教育する場合の教育課程の特例をつくっていくことはできないだろうかという趣旨の質問です。これも大事な視点で、私のみならずかなり多くの方々からの意見が出ているかというふうに思います。
委員御指摘の教育機会確保法第十五条第二項第三号におきましては、ここで定めます協議会の構成員といたしまして、学齢超過者のうち就学機会を希望する者に対する支援活動を行う民間の団体その他の当該都道府県及び当該市町村が必要と認める者が挙げられておりまして、文部科学省といたしましては、各地方公共団体において、こうした協議会の仕組みも活用しながら、関係する委員御指摘の民間団体等も含めまして、協議、検討を進めていただきたいと
七、本法第十四条に定める夜間その他特別な時間において授業を行う学校における就学の機会の提供その他の必要な措置により、就学の機会を希望する学齢超過者に対し、就学の機会が可及的速やかに提供されるよう、地方公共団体は、本法第十五条に定める協議会の全ての都道府県への設置に努めるとともに、政府は、地方公共団体に対して積極的な支援を行うこと。
○衆議院議員(笠浩史君) 今御指摘の条文に規定されているいわゆる不登校特例校や教育支援センター、夜間中学等については、不登校児童生徒や義務教育を受けることができなかった学齢超過者が教育を受けられるよう支援を行うために設置されるものでございます。
七 本法第十四条に定める夜間その他特別な時間において授業を行う学校における就学の機会の提供その他の必要な措置により、就学の機会を希望する学齢超過者に対し、就学の機会が可及的速やかに提供されるよう、地方公共団体は、本法第十五条に定める協議会の全ての都道府県への設置に努めるとともに、政府は、地方公共団体に対して積極的な支援を行うこと。
これは、学齢超過者の中学校への入学許可についてとして、昭和二十七年に文部省に寄せられた質問に対する回答をもとになされてきた運用でございます。特に法律等ではなくて、こういったものの回答をもとにしてなされてきた運用です。 なお、平成二十五年の長期欠席者、つまり三十日以上の欠席者のうち、不登校を理由とする児童生徒数は約十二万人。小学校二万四千人、これは前年度比で三千人増加しております。
そこで、制度のはざまで義務教育を受けられない子供に対してどのような対応措置を講ずるのか、地方分権を前提としつつも、国から地方へ、外国人の学齢超過者の受け入れを促していくべきと考えますが、これについての見解を伺います。
一方で、公立夜間中学には、入学資格を定めた法令などがないために、自治体が小中学校を設置することになっておりますけれども、義務教育を履修していない人、学齢超過者であること、居住地の条件等を実質的な入学要件としているのが現状なんです。
○政府委員(鈴木勲君) いわゆる夜間中学と申しますのは中学校の夜間学級ということでございますが、これは義務教育を終わっていない学齢超過者と申しますか、そういう者に対して教育を施すという意味では意義のあるものでございますけれども、いま御指摘の対象となっております者は日本語の習得を主たる目的とする成人の引揚者でございますから、これは中学校の性格上、教育課程とかいろんな点で問題がありますので、仮にその江東区
これは、発足の当初は、戦後間もなくのころでございますが、在学生徒の大半は学齢生徒でございましたが、今日ではほとんどが学齢超過者、九九・七%が学齢超過者でございます。 その分布についてのお尋ねでございますが、学齢に該当の生徒が八人、比率は〇・三%でございます。それから、十五歳から二十歳の者が百八十三人で七・一%、以下時間の関係がございましょうから比率だけ申し上げます。
それから学齢超過者の措置でございますが、御承知のように義務教育というものは十五歳までというのが法律のたてまえでございまして、したがいまして現実に現在でも学齢を超えた子供さんでも学校へ行っておるというようなケースもないわけではございません。
○安嶋政府委員 学齢超過者を含んでおりましても、ある学級編制が行われておりますれば、その学級編制を前提にして教員を配当いたしております。
○政府委員(宮地茂君) 四十四年以前からもあったようでございますが、四十四年には学齢超過者のためという目的で一校つくったように聞いております。