2020-11-17 第203回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
先ほど性教育のくだりで十年待っていられませんというふうにお伝えしたんですけれども、性教育は是非とも、あしき前例主義の打破というふうに菅総理大臣もおっしゃっていますので、学習指導要領を改訂したところだけれども、やっぱり子供たちの命を守るために今年変えるんだというふうに思っていただきたいところではあるんですが、いま一度、この学習指導要領そのものの見直しというものも検討してはいかがかなと思っております。
先ほど性教育のくだりで十年待っていられませんというふうにお伝えしたんですけれども、性教育は是非とも、あしき前例主義の打破というふうに菅総理大臣もおっしゃっていますので、学習指導要領を改訂したところだけれども、やっぱり子供たちの命を守るために今年変えるんだというふうに思っていただきたいところではあるんですが、いま一度、この学習指導要領そのものの見直しというものも検討してはいかがかなと思っております。
ですから、私は、学習指導要領そのものを見直していく、このことを加えて求めておきますが、何でこんなに多いのかと。その理由の一つに、全国学力・学習状況調査、いわゆる全国学力テストがあるのではないか。学校現場では、学力テストによる学校間の競争が強まり、標準以上の授業時数の確保が至上命題となって、小学校でも毎日六時間授業などの実態があるというふうに伺っております。
また、ほかの多様な類型化といいますか多様な教育という意味では、学習指導要領そのものを否定するわけにはいきませんから、学習指導要領はきちっと明確にする中、教育課程特例校というような形で柔軟に対応できるようなことによって、結果的に子供に負担をかけない、一方で多様な教育についても認めるということについては、御指摘のような点を踏まえて、これから柔軟に、しかし、原則は原則として筋を通しながら対応してまいりたいと
学習指導要領そのものは法規ですから、これはきちっと守らなきゃいけないんです、現場で。思想、信条の問題じゃないんですね。 これに対して、この国旗・国歌に対する鳩山総理自身のお考え、それから、新政権においても引き続き学習指導要領を遵守して、学校行事における国旗掲揚、国歌斉唱を継続するのか、これについて、確認とともにお聞きします。
○公述人(粕谷たか子君) 先ほど申しましたように、学習指導要領そのものを、私ども正直申して毎日の座右の銘として置いて、それを見ながらやっているわけではございません。教科書とか、それから行政の指導という形でそれが私どもに下りてまいります。
そして、その発出していったときにそれをどういうふうに実行していくかという、今でいえば各教育委員会のその通知の内容が、先生がおっしゃったようにこちらを向いていなくちゃいかぬ、あちらをどうだとか、頭を下げにゃいかぬとか、そういうことは問題だということを言っているわけで、学習指導要領そのものを否定は東京地裁もしておられないですよ。
ですから、余り悠長に構えているわけにはいかないことはよくわかっておりますし、これはやはりよく調べませんと、先般来お話が出ているような、学習指導要領そのものをどう考えるかという議論につながってまいりますから、それはもうできるだけスピード感を持ってやります。
そういう意味では、この学習指導要領そのものについて、今後、現場との話、もしくは現場の実情に対して何らかの動きをされるおつもりがあるかどうか、大臣の御所見を伺いたいと思います。
また、歴史における宗教の役割、あるいは世界の宗教の分布など、宗教に関する知識や宗教が社会生活において果たしてきた役割などについては、今後とも引き続き指導をしていくわけでありますけれども、今後は、今回の改正趣旨を踏まえて、学習指導要領そのものの見直しも必要と考えております。
○阿部幸代君 今の学習指導要領そのものが問われているんだと思うんです。 私は、昨年、科学技術特別委員会でも申し上げたんですけれども、一番不幸なのは学ぶ喜びとわかる喜びを奪われている子供なんです。そこでも具体的に申し上げましたが、例えば算数の学習で、かつて小学校六年生が学んでいたミリリットル、今小学校二年生が学んでいます。次のような問題があるんです。
○国務大臣(与謝野馨君) 学習指導要領に基づいて校長先生、教師の先生に生徒を御指導いただくわけでございますが、学習指導要領そのものではなくて、やはり校長先生のもとで教育課程というものを作成いたしまして、そしてそれに基づいて校長先生、教師の方々に生徒を指導していただく、そういう仕組みになっております。
その第一点は、前にも質問したのですが、重ねて念を押したいのですが、この条約に関連して、子供の意見表明権を明記しているんだから、日の丸・君が代の指導をすると書いてある新学習指導要領そのものに対して意見を言えるはずだという議論がいまだあるわけでございますし、きのう、二、三、幾つかのといいますか、ある政党の新聞等を見ますと、そういうことが書かれているわけでもございますが、私は、当然これは間違っておる、このように
これは今坂元局長お話しになりましたけれども、局長もやはり「文教」という教育雑誌で、もう申し上げるまでもありませんけれども、「三回、四回となれば、やはり学習指導要領そのものをもう一度見直さなければ、単なる計算上のつじつま合わせだけでは済まないことになるのではないか。」と発言しておられるわけですね。
その場合に、例えば学習指導要領そのものをいじって対応するのか、そうではなくて、先生からおしかりを受けるかもしれませんが、上乗せと同じ理論じゃないかと言われるかもしれませんが、長期休業日、年間七十数日ありますが、その一部を短くして対応するのか、その辺は保護者、国民の皆さんが納得するような形で幅広に検討しなければならない課題じゃないかというふうに私どもは考えているところでございます。
先生がおっしゃった近現代史だけを独立したらどうかということも一つの考え方ではございますけれども、これはまた新しい学習指導要領そのものにかかわる問題でございますので、将来の検討課題というふうに考えております。
このように、社会科の出発点となった学習指導要領そのものに根本的な問題があったために、既に昭和二十七年の岡野文相時代に社会科の改善などが教育課程審議会に諮問され、翌二十八年には「社会科の改善、特に道徳教育、地理、歴史教育について」の答申が出されております。
例えば、細かに議論をする時間はありませんけれども、学テ判決などの最高裁の判決は、そこでは学習指導要領そのものを大綱的な基準といったような理解に立って教育内容について指示をしたりしていくことは適法であるということをもちろん言いながらも、片一方ではそれの及ぶ一定の限界的な性格のものを、法的拘束のあり方についてあいまいに残した判決として理解できると私は見ているのです。
いずれにいたしましても、そのことはそのこととして、さてどのようなことが事実であるかなということも考えねばなりませんけれども、学習指導要領そのものは全国的に一定の教育水準を確保し、実質的な教育の機会均等を保障するために国が学校教育法に基づいて教育課程の基準として定めているものでございます。
御指摘の点でございますけれども、私ども、大変共感を感ずるわけでございますが、学習指導要領そのものの性格が、実は教育における全国的な教育水準の維持、共通性の確保という要請と、それから、できるだけ事柄を精選して子供たちに基礎、基本を与えなくてはならないという二つの要請がございまして、近年の改訂では、できるだけ事項を精選してまいっているわけでございます。
えようなんて書いてありますし、それから単に抽象的でないようにして、基本的な意味を理解させるなんということも書いてありまして、学習指導要領という立場からの御説明であっても、むしろ歴史的な流れとか、特にカットされている資本主義経済の仕組み、現代経済の仕組み、国民経済の仕組みなんというものも総合的にとらえるという意味だったら、何のためにカットしたのだろうかと思わざるを得ないようなこともあって、私、学習指導要領そのもの
私は、四十人学級ということもございますし、これから先そういう問題に対して特にもっともっと学習指導要領なんかでも練られて、そして本当に一発の動機づけによって将来を決めてしまうような、特に小学校教育について私はそのように考えるわけでありますけれども、この学習指導要領そのものにつきましては、大臣はほとんど改善しなくてもいいというふうにお考えでございましょうか。
そこで私どもは知育、徳育、体育のバランスをとった学習指導要領に学習指導要領そのものを変えなければいけないということから、小中の改定を終えまして、いま高等学校の学習指導要領の改定と取り組んでいるところでありますけれども、果たして知、徳、体のバランスということだけでいいのかどうなのか。音楽に親しむとか、人を愛するとか、花を愛するとかという、いわば情操にかかわる問題が、これを徳育と呼んでいいのかどうか。