2021-05-21 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号
この法律の重要性を見ても、しっかり、包括的性教育、曖昧にではなく正しい知識を子供たちにとって身につける学習そのものだと考えますが、この点、並行して力を入れるべきだと思います。お答えいただけますでしょうか。
この法律の重要性を見ても、しっかり、包括的性教育、曖昧にではなく正しい知識を子供たちにとって身につける学習そのものだと考えますが、この点、並行して力を入れるべきだと思います。お答えいただけますでしょうか。
その直前に浮島先生を始めとするPTの先生方が訪れられたということもありまして、ぜひ行ってみたいなと思いまして訪問したわけでございますが、発達障害のある子供に対するソーシャルスキル、生活スキル、それから、学習そのものに関する支援や、子供たちの想像力を広げるプログラミングや、ロボットを実際につくる物づくり教室、こういうところを、何カ所かありましたけれども、視察をさせていただいたところでございます。
らしていくんだというような感じがちょっとしたんですけれども、今の答弁ですと、やはり基礎、基本はきちっとやりながら、今まで提起された生きる力とか、受験地獄に対してどうあるべきかというようなことについて、今まで文部科学省が提案されていた総合学習というものを、総合的にそういうことも含めて、中教審を含めて出された方向性について、これからどういう結果が出てくるかわかりませんけれども、大臣の考えとしては、総合学習そのものを
体験学習そのものがこれだけ不足している、体験学習の時間がそれだけ割愛されている、そのことはなぜこうなっているのか、その実態を御説明いただきたい。
やはり生涯学習そのものは文部省だけではこれはできません。各関係省庁との連絡を密にして、そしていろいろな分野といいますか自分の役割といいますか、そういうものも含めてお話し合いの場を持たなければならない、このように考えます。
○小林正君 オリエンテーションという位置づけの中でこうしたことが行われていくことが、結果として、フェスティバルが一つの生涯学習そのもので、それが流行していくようなスタイルになっていってはまずいというふうに思うんです。
私もそうした意味では同じ立場に立ち、生涯学習そのものがわずか一日二日延びたからといってこれがどうだこうだという問題でもなし、あるいは施行時期が七月一日、予算をつけておるのでこれを可決成立させなくちゃならぬというような極めて短絡的な論議がされたのでは、私たちこうした衝にいる者の一人として、大変自分自身の持てる意思というものをみずからが放棄をするような格好になるわけでありますから、できるだけ私は内容についてもう
たとえこれがやられたと仮定をいたしましても、そうしたことが十分確認をされておらないと、もうここまで全部文部省のそうした枠の中でしかすべてができないということになってまいりますと、これはもう社会教育などというものはすっ飛んじゃって、今度は生涯学習そのものが大っぴらに全部をローラーかけていくというような格好になってしまうのじゃないかということを私は一番心配をしておるわけですね。
臨教審のこの文章の中には大きな発想の転換であるという表現を使われておりますが、生涯学習そのものについては私も反対はいたしません。まさにそのとおりだと思います。しかし、中身をずっと検討いたしますと、やはり幾つかの疑問もあるし、意見も持っているわけであります。 そこで、五ページから九ページの初めの段階まで、歴史の教訓について触れておられます。
したがいまして、たとえば工業の関係でございましてもいろいろございまして、物によりましては専修学校での学習そのもので資格が与えられるものもありますけれども、やはり一定の検定試験というものを通らないと資格に結びつけることが適当でない、そういう分野も多うございます。たとえば看護婦とかそういう分野のものもございます。
○加藤進君 私の指摘してきたことは、憲法学習そのものについての指摘でありました。
そうすると、学習そのものに非常に精彩が出てくるということがいえるのじゃないかと思いますし、今度はそういう理論やアカデミックなものを得た者が現場に帰りますと、現場においての働きというものにまた生きがいや何かが加わってくる、学習意欲もまた出てくるということで、教育をそういうものと一緒に考えるという立場ですね、これは私は非常に大事なことだというふうに思います。
相模湖の問題や、それから修学旅行等におけるいろいろの事故等もございますので、これは明らかに申し上げますが、今年度の定期大会におきましても、特別に検討する特別委員会を設定しまして、子供たちの学習能力を守りながら、子供たちの学習そのものをよくするという観点から、修学旅行そのものについても抜本的な検討をし合おう、それから、事故防止安全運動というものを、全国の現場教師が主になって、父兄やあるいは修学旅行等に
それから、特に子供たちの家庭学習そのものにそんなに期待や負担をかけるということは望ましい状態でもございませんし、避けるべきことなので、学校の学習の方法について十分研究するならば、子供たちにそのような不便や学習上に及ぼす不足というようなものを与えずに済むということが今言われております。
私の受けた印象においては、梅根学説の重点は、教科書というものは一人々々が買うのでなくて学校に備えつけるんだ、従って、これはいろいろな種類の教科書が備えられるわけで、現在の教育、特に社会科のごとき教育においては、一つの教科書によって学ぶよりも、いろいろな教科書を参考にしながら議論もし考えを練るのがいいのだから、その意味で、その日その日の学習そのものが、あたかも一人々々の生徒によって教科書の評価がされるような
そこへ持ってきてこういう内容のない無意味なものを出され、むしろ私らの目から見ると、先ほど小林委員が申しましたように、文部省とすれば一体修学旅行というものは学習そのものなのか、それとも物見遊山なのか、先ほどの文部大臣の御答弁の中にもありましたが、何らか気持の中に物見遊山というにおいが非常に強く出ておる。この点は非常に私は重大な問題じゃないかと思っております。
についてはどこまでもやつた覚えがないものを、やつたと言われると、どうも反駁しなければならない、まあその間にいろいろな問題もありましたが、結局あとの三カ月、それも結局三カ月という日にちをきめないで、まあ思想の改造をやれる見込みがあるというような向うの見方をした場合に、帰つてなお以上の学習をし、且つ勉強して、思想を改造せよということで私は返えしてもらえましたが、それが実際に、自分がその当時に受けた学習そのものは