2002-04-08 第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第1号
そういったことを、これまでは免許状を持った教員が学級王国をつくり閉じた社会であったものを、より広く開かれた学校として、社会の大事な存在として位置づけ、またそれを活性化させるためのいろいろな方策を今後やっていく必要があると思っておりますし、昨年度から始まったいろいろな教育改革の制度によりまして、そのことに向けて着実に今歩み始めていると私は思っているところでございます。
そういったことを、これまでは免許状を持った教員が学級王国をつくり閉じた社会であったものを、より広く開かれた学校として、社会の大事な存在として位置づけ、またそれを活性化させるためのいろいろな方策を今後やっていく必要があると思っておりますし、昨年度から始まったいろいろな教育改革の制度によりまして、そのことに向けて着実に今歩み始めていると私は思っているところでございます。
この努力の中で、基礎、基本の定着、あるいは学級王国などと言われるような閉鎖的な状況が指摘されるわけでありますが、教職員の連携協力、こういったものを推進しなければいけないというふうに、こうした閉鎖的な状況を打破して教職員の連携協力を進めなければいけないというふうに思っていますし、多数の教員がかかわることにより目配りのきいた指導が可能となるようにしなければいけない、そのように考えております。
全国一律の三十人学級の実施につきましては、先般この本会議でも御質疑をいただきましたけれども、いわゆる学級王国という閉鎖的な状況は変わらないこと、あるいは学級については人間関係の形成、切磋琢磨という面からある程度の規模が必要ではないかというような問題がありまして、より効果的な手段として、このたび少人数学級、少人数指導の実施を図るということにした次第でございます。
学校だけではなくて地域にも開いて、もう学級王国じゃなくて学校王国になっていると思いますから、そういう部分を開いていくということが大事なのではないかというふうに思います。 私は、四十人も詰め込まれていたら、これは学級王国というより学級収容所みたいになって、本当にいらいら状態で、こういうのが王国と言えるかどうか。
○日下部禧代子君 もう御質問ができませんので、今お三方の御意見をいただきまして、本当に一言で言えば大変いいお言葉をお二人からいただいたのでございますが、いわゆる学級王国から学級学校共和国へ、そして収容所からやはり共和国へというふうな形で我々も努力させていただきたいと思います。 本当にありがとうございました。
○参考人(長谷川孝君) 学級王国という問題があったことは間違いなく事実だと思いますけれども、学級の果たしている役割というのは大事なものだと思います。 ただ、学級が例えば学級王国になってしまうという理由は、単に先生の資質とかだけではなくて、例えば今のような閉鎖式の教室単位でクラスをやっていればなりかねない。だけれども、これはオープンスペースのある校舎になったら学級王国になりようがないんですね。
「この全国一律に三十人学級を実施することにつきましては、いわゆる学級王国という閉鎖的な状況は変わらないということ、学級については人間関係の形成や切磋琢磨という面からある程度の規模が必要であることなどの問題があり、またさらに、現下の厳しい財政状況からすると実現することが難しいものと考えております。」という表現があるんですね。私は、これは極めて大事な発言だと思います。
それから、大臣の挙げられた理由で、学級王国の閉鎖的状況は変わらないということなんですが、四十人という学級、私たちもよく、私たちのクラスはとか、また学校長なんかは何々先生のクラスはと、こういう言い方でよく学校はやってくるものですが、一体、学級王国の閉鎖的状況というのは、四十人でも三十人でも二十人でも、要するに学級というものを単位で見る限りにおいては学級王国の閉鎖的な状況は変わらないと、こういう御認識なんですか
それはさておきまして、私は、昨日も本会議で野党四党による三十人学級の対案を出させていただいて議論を深めたわけですけれども、きょうは町村文部大臣が出席されないので残念ですが、全国一律に三十人以下学級にすることは学級王国につながるのでこれはできませんと町村文部大臣は明言をしたわけであります。
この全国一律に三十人学級を実施することにつきましては、いわゆる学級王国という閉鎖的な状況は変わらないということ、学級については人間関係の形成や切磋琢磨という面からある程度の規模が必要であることなどの問題があり、またさらに、現下の厳しい財政状況からすると実現することが難しいものと考えております。 次に、教育の危機と文部行政の責任についてのお尋ねがございました。
全国一律の三十人学級の実施については、いわゆる学級王国という閉鎖的な状況は変わらないことや、学級については人間関係の形成、切磋琢磨という面からある程度の規模が必要であるなどの点から問題があると考えております。
○山元議員 昔というと、また古い話を申し上げますけれども、学級王国という言葉はありました。あの先生のクラスは、僕のクラスはと、こういうのはありました。
いわゆる学級王国と言われるような閉鎖的な状況を打破して、教員の連携協力を推進することが大切であろう、こう考えたり、さらには、固定的な学級にとらわれずに、個々の児童生徒に多数の教員がかかわるということにより、きめ細やかな指導を行い、一人一人の児童生徒の個性をはぐくんでいくこと、また、きめ細やかな指導を通じて児童生徒に基礎、基本を定着させることが重要だ、基礎学力の向上を図ること、こうしたことなどの効果を
そして私は言いたいのですが、そういう中で、今大臣は、いみじくも学級王国という言葉をお使いになった。うーんと思いますね、学級王国。 そして、私も北海道ですから、そして、もしかしたら教師運動への参加は、あなたより私の方が深く、かつ長いかもしれない。
私どもが数多くの先生がかかわった方がいいと言うのは、今まではややもすると、さっき学級王国という表現をいたしましたけれども、一人の先生が、それは確かにじっと一つのクラスを見ているというのも一つの方法かもしれませんけれども、どうしてもそこで固定的になってしまうという嫌いがある。中には、校長先生も教頭先生も一切自分の教室には立ち入らせない、そういう極端なケースすらあるのですね。
これでは、特に小学校では、一人の教員が学級を担任することには変わりはなく、いわゆる学級王国をなくすることができないのではないか、このように思います。 私、大変簡単に質問しておりますし、私の主観を交えないで、できるだけ皆さんに聞こうと思っておりますので、答弁は簡単にしてください。
一つは、いわゆる学級王国と言われるような閉鎖的な状況を打破し、教員の連携協力を推進することができるということ。さらには、固定的な学級にとらわれずに、個々の児童生徒に複数の、多数の教員がかかわることによりまして、きめ細かな指導を行って、一人一人の児童生徒の個性をはぐくんでいくことができること。
これにつきましては、いわゆる学級王国と言われる状況は変わらないこと、あるいは集団の中での人間関係の形成や切磋琢磨という面から、一学級当たりの人数はある程度の規模が必要であると考えられることなどから、必ずしも有効な手段であるとは考えておりません。
よく、学級王国とか、学校の常識は社会の非常識などと言われるように、学校というのは比較的狭い社会であり、ともすれば社会の感覚とかけ離れた狭い視野に陥る危険性もなきにしもあらずです。 近年、教員がある程度の長い期間にわたって民間企業等で働くといった社会経験を研修に取り入れる自治体もふえていると聞きますが、私は、これは大変望ましい方向であり、さらに進めていただきたいと思います。
教師を軸に一つの学級王国ができまして、外からの干渉を嫌うという傾向にございました。しかし、それでは、今学校で起きているいろいろな問題を解決することができなくなってきた。
いわゆる学級王国というふうな言われ方をすることがございますけれども、これを打ち破ってほしいなという期待もあったわけであります。したがいまして、一部に報じられているように教員を確保せんがための措置というふうなことではございません。
学級王国というのを崩すということは私はいいのでないかと思いますけれども、責任の分散とか児童の混乱とか注意力の拡散などが心配されるんですが、いかがでしょうか。
教師の連帯を妨げている問題として私は二つ考えるのですが、一つはまず教師の持つ専門性というようなことからかなり学級王国的状況というのはかつては見受けられました。つまり自分の専門性に対して他からくちばしを入れられることに大変素直になれないという、特にこれは父母からの批判なんかにも謙虚になれないような弱さを私は教師がかつては抱えていたと、いまでも抱えている部分もかなりあるように思います。
○勝又武一君 私は、教育現場の経験から言いましても、特にこれは大臣もよくおわかりと思うんですが、教育というのは一人の教師だけが、自分がオールマイティーで、自分の学級王国だけをつくって、そして四十五人なら四十五人の子供を教育するといううぬぼれを持ってはいけない。
私は大正デモクラシーの中に出てきたいわゆる学級王国なんというのは一つのやっぱり救いだったと思うんです。校長さんが何と言おうと、この学級の中の王国といったらちょっと大げさだけれども、「この学級の子供はおれが責任を持ってやる」という考え方、このおれが責任を持ってやるということはとうといことだと思うんですよ。