2021-04-23 第204回国会 衆議院 外務委員会 第10号
○茂木国務大臣 第二次世界大戦中に沖縄から長崎に向かった学童疎開船対馬丸が米潜水艦に撃沈をされまして、多くの学童を含みます千五百人余りが犠牲となった対馬丸事件、本年、発生から七十七年を迎えるわけであります。御遺族のお気持ちを思いますと言葉もありません。多くの貴い命が失われました。
○茂木国務大臣 第二次世界大戦中に沖縄から長崎に向かった学童疎開船対馬丸が米潜水艦に撃沈をされまして、多くの学童を含みます千五百人余りが犠牲となった対馬丸事件、本年、発生から七十七年を迎えるわけであります。御遺族のお気持ちを思いますと言葉もありません。多くの貴い命が失われました。
本日は、医療制度改革について何点か質問をさせていただきたいと存じますが、その前に、学童疎開船武州丸について一つだけ質問をさせていただきたいと思います。
米潜水艦による攻撃で沈没した学童疎開船は、先ほども申し上げました対馬丸、そしてまた私が今話題にしております武州丸の恐らく二隻だけであろうというふうに思われます。沖縄の対馬丸については、特別支出金による補償とかあるいは記念館の建設あるいは洋上慰霊など、手厚い慰霊がなされているわけでありますが、この武州丸についてはいまだに洋上慰霊もされておりません。
○尾辻国務大臣 お話しいただきましたように、学童疎開船というとまず対馬丸という名前が出てまいります。そして、この対馬丸については、平成十年だったと思いますけれども、洋上慰霊祭をとり行いました。私も参りました。明け方、対馬丸が沈んだところを慰霊船がぐるっと回って、ボーと汽笛を鳴らして、本当に、そのときのことを思いながら今のお話を伺っておりました。
では次に、武州丸という学童疎開船のことについてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。 学童疎開船の悲劇というと、常に対馬丸が皆さんの俎上に上るわけでありますが、実はもう一隻、武州丸という学童を乗せた疎開船が奄美の海に沈んでいます。この武州丸について、まず厚生労働省の方から、御存じのことをできるだけ詳しく御報告をいただきたいというふうに思います。
そういう戦時体制下で起きたのが、戦争の足手まといになる老幼婦女子を排除して、軍人の食糧確保の目的で強制的に疎開船に乗せ、疎開先へ向かう途中、米軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸等の惨事であり、本土出身兵士が理解できない沖縄の方言を使用する者はスパイとして処分せよという命令であり、空腹と恐怖で泣き叫ぶ乳飲み子を、敵に居場所を知られるから黙らせろと命じて絞め殺したことであり、住民が隠れている洞窟や墓
それから、無人潜水機は「かいこう」、これは一万一千メートルということで、これは世界的に見ても大変高い能力を現在持っておりまして、これを使って学童疎開船の対馬丸とか、あるいはロシアタンカー、ナホトカ号の状況調査、あるいは、余り別に自慢できることではありませんが、HIIロケットが失敗をいたしましたが、そのエンジンの探索など、数々の成果を上げてきておりますが、今の御指摘のとおりでございまして、より一層強力
沖縄で地上戦があって、大変大きな住民を巻き込んだ惨禍があって、それは筆舌に尽くしがたいということは私もよく理解はしているんですが、沖縄のことに関しますと、沖縄開発庁の予算ということで別枠で何でも処理をされていく部分がありまして、学童疎開船の対馬丸の遺族の皆さんへの弔慰事業というのも沖縄開発庁予算でやっています。
一昨日の八月二十二日、学童疎開船対馬丸で犠牲になった方々の五十四回目の命日でございました。五十四年という長い歳月を経て、なお犠牲者のみたまは船体とともに海の底深く眠ったままでございます。 厚生大臣、去る三月に第一回目の洋上慰霊祭を行いました。
今般、学童疎開船対馬丸の沈没位置の確認がございまして、洋上慰霊祭を先般とり行っていただいたところでございます。テレビで拝見をさせていただきまして、大変遺族の方たちもお喜びであったというふうに思っております。 ただ、希望者全員が参加できたわけではないので、ことしじゅうにもう一度実施をしたいという大臣のお話も新聞で拝見をいたしましたが、そのように承ってよろしゅうございますでしょうか。
最後に、学童疎開船対馬丸に関するお尋ねが、お尋ねといいますか、御要望がございました。 私は、御遺族の心情は議員から御紹介をいただいたとおりだと思います。私どもと同じ世代の方々が多く亡くなられた、そして私自身が沖縄というものを知る、学生時代に初めて遭遇したこれは事件でありました。
去る三月七日に、大臣も御出席でございましたけれども、厚生省主催により、終戦の約一年前になります昭和十九年八月二十二日に米軍潜水艦の攻撃を受けて沈没いたしました沖縄の学童疎開船対馬丸の洋上慰霊祭が対馬丸の沈没したまさにその洋上でとり行われました。私もその式典に参列させていただきましたけれども、関係御遺族の半世紀にわたる念願であった沈没地点での慰霊祭が実現して本当に深い感慨を覚えました。
学童疎開船対馬丸の遭難事件によって最愛の肉親を亡くされた御遺族の心情は厚生省としても十分に理解できるものでございまして、御遺族の方々から、船体の引き揚げ、遺骨の収集を求める声があることは十分承知をいたしております。
また、海洋科学技術につきましては、ナホトカ号流出油災害事故における沈没部調査や学童疎開船対馬丸の沈没地点特定に大きな貢献をした深海調査能力に加え、昨年竣工した海洋地球研究船「みらい」や深海調査研究船「かいれい」等を活用して、総合的に海洋観測研究開発、深海調査研究開発などを推進してまいります。
もう一つ、先般来、昨年のロシアのナホトカ号の沈没、その地点というものを見つけ、その油流出状況というものを観察、映像を撮ってくるとか、学童疎開船の対馬丸というものの位置を確認し、その映像というものを撮ってくる、これ自体は研究開発ではないわけでございますけれども、そういった社会的要請というものにも十分対応していくということもまた一つ重要なことではないかということでもちまして、私どもの力というものも発揮していきたい
学童疎開船対馬丸、一千四百八十四人、そのうちの七百三十八人が学童である。鹿児島への疎開の最中にアメリカの潜水艦により沈められて、その位置が確定しなかった。悲惨な戦争というものの悲惨さを改めて知らしめるような事件でありました。 この対馬丸の位置が十二月に確定をし、今月、三月の六日、七日に、政府主催で慰霊祭が行われました。
また、海洋科学技術につきましては、ナホトカ号流出油災害事故における沈没部調査や学童疎開船対馬丸の沈没地点特定に大きな貢献をした深海調査能力に知友、昨年竣工した海洋地球研究船「みらい」や深海調査研究船「かいれい」等を活用して、総合的に海洋観測研究開発、深海調査研究開発などを推進してまいります。
たまたま大学の三年のときに、当時早稲田の総長でおられた大浜信泉先生が、学童疎開船対馬丸の遺族の方々を、御紹介状をつけて私の父のところに訪ねさせられましたとき、たまたまお迎えをしたのが学生の私でありました。そして、全く本土の我々の知らなかった悲劇が沖縄に残っていることを初めて知りました。この問題は、私が国会に出ましてからもなお、解決までにしばらく時間のかかった問題であります。
沖縄県の調査だけでも犠牲となった船舶の数は三十二隻に及んでおりますが、しかし軍の機密ということで戦後四十七年たった今日においても、遺族への補償措置をとっている学童疎開船のあの対馬丸問題、これを除けば事故の概要や犠牲者の名簿などその全容がほとんど未解明のままになっております。
この特別支出金は、昭和十九年八月に沖縄から九州方面に航行中に潜水艦の攻撃によりまして沈没いたしました学童疎開船対馬丸の遭難学童の遺族に対して支給しているものでございまして、政府の政策に協力して学童疎開の途中で遭難した学童に対し弔意をあらわす措置といたしまして、遺族に対して支給しております。
○山中国務大臣 実は対馬丸事件は、いわゆる学童疎開船が奄美大島の沖で撃沈された事件であります。これについては、すでに学童及び引率の教師その他については措置がしてございます。
先ほど具体的な事例を述べられまして切々と沖繩県民の声を代表してのお訴えもございまして深く感じたのでございますが、あの学童疎開船の遭難につきましてまだ手厚い措置が講ぜられていないということでございます。これは、私は野党でございますけれども、与党の方々の有力な方が多数きょうお見えになっておられます。
先ほど具体的な事例を述べられまして切々と沖繩県民の声を代表してのお訴えもございまして深く感じたのでございますが、あの学童疎開船の遭難につきましてまだ手厚い措置が講ぜられていないということでございます。これは、私は野党でございますけれども、与党の方々の有力な方が多数きょうお見えになっておられます。