2021-04-23 第204回国会 衆議院 外務委員会 第10号
○茂木国務大臣 第二次世界大戦中に沖縄から長崎に向かった学童疎開船対馬丸が米潜水艦に撃沈をされまして、多くの学童を含みます千五百人余りが犠牲となった対馬丸事件、本年、発生から七十七年を迎えるわけであります。御遺族のお気持ちを思いますと言葉もありません。多くの貴い命が失われました。
○茂木国務大臣 第二次世界大戦中に沖縄から長崎に向かった学童疎開船対馬丸が米潜水艦に撃沈をされまして、多くの学童を含みます千五百人余りが犠牲となった対馬丸事件、本年、発生から七十七年を迎えるわけであります。御遺族のお気持ちを思いますと言葉もありません。多くの貴い命が失われました。
そしてさらに、先ほどから何度か例を挙げておりますけれども、対馬丸の事件、それから一〇・一〇空襲、これはまさに地上戦が始まる前に発生をした問題であって、なおかつ、両方とも、これは空襲と学童疎開にかかわるものであるのに、それを、戦地になったから、戦場になったから外すんだというのは、私はちょっと理解に苦しみます。 先ほど、当時の文書が残っていなかった。
一つ例を挙げますと、一九八一年の報告書は学童疎開についての記録を収集していますが、巻頭で、今回は、四十六都道府県における戦災により犠牲となった児童に関する記録を対象に調査をしたと、沖縄を除いた調査であることをわざわざ記載をしております。 改めて尋ねますけれども、沖縄県はこの戦災史実調査報告書の調査の対象外だったという理解でいいんでしょうか。
ところが、この報告書、沖縄県についてはごくごくわずかな記述があるだけで、学童疎開で大きな被害の対馬丸の沈没や、あるいは一〇・一〇空襲、これは那覇を中心とした空襲被害ですけれども、こうしたことがこの報告書にはほとんど触れられておりません。 言うまでもなく、沖縄戦というのは、唯一の地上戦ということで、大変多くの方が亡くなられる、そういう凄惨なものでありました。
学童疎開での悲劇である対馬丸への思いも記憶に残っております。 小渕恵三総理は、事務方が大反対する中、当時、日本国内で八つの、サミットの首脳会談、候補地がありましたが、最も可能性が低いと言われていた沖縄をメーン会場に決定をしました。 鹿児島県出身の山中貞則先生は、初代沖縄開発庁長官、また唯一の名誉県民でもございます。
この対馬丸事件に関しましては、沖縄戦が目前に迫った時期に政府の軍事政策に協力するという形で対馬丸による学童疎開が行われ、その途中で遭難したという特別の事情があり、この事情を考慮して、このような特別な状況下で死亡した対馬丸遭難学童の遺族に対し、国として弔意を表す措置として、昭和五十二年度から対馬丸遭難学童遺族特別支出金を毎年支給しております。
このほか、沖縄への米軍上陸が必至となる下で、対馬丸で集団学童疎開をした学童についても犠牲者遺族への給付金がありますが、これが給付された経緯などを内閣府に説明をお願いいたします。
夜間中学は、こういう方々とともに、学童疎開で勉強できなかった方々、そして今は、外国籍の方が非常に大勢いらっしゃいます。 外国籍の方々も大変な苦労をされていて、これは聞いた話ですけれども、お母さんが日本人と再婚されて、中学二年生終了で来日される。でも、いろいろな手続で時間がかかり、そうこうしているうちに、学齢超過ということで昼間の中学校に入学させてもらえなかった。
御案内のとおりですが、当時政府は沖縄県での地上戦を想定して、これは昭和二十年だろうという想定の下で、前年度、昭和十九年、一九四四年、学童疎開を、本土やあるいは台湾に向けて十万人疎開させようという計画を持つんですね。そこで、老人や婦女子あるいは学童たち非戦闘員、その人たちを疎開するということでその事業を実施して、昭和十九年の八月二十二日に、いよいよ那覇の港を出航しますね。
福島県の子供たちの学童疎開の受入れを主宰する脚本家の倉本聰さんの元に切実な手紙が届きました。今日皆様方に資料としてお配りをさせていただいておりますけれども、復興基本法案の基本理念、第二条二項にもありますように、被災地域の住民の皆さんの意向が尊重され、あわせて女性、子供、障害者の方々を含めて多様な国民の意見が反映されるべきためにも、この手紙をあえて紹介いたします。
非常に環境がよくないわけでありまして、学童疎開というと暗くなりますけれども、ロングサマースクールとか長期の林間学校みたいな発想で考えることも必要かと思っております。ぜひとも、政治の創造性を発揮して、被災者の立場になって、きめ細かに、スピード感を持ってひとつ努力をしていただければと思っております。
それから、鈴木先生には、五ミリシーベルトということのお話がございましたけれども、将来的に地域を、セシウムと沃素が非常に半減期が違うし、大人と子供の影響が同じようで、また沃素の方は子供が対象だということでありますけれども、チェルノブイリは作業している人と子供が被害に遭ったわけですから、地域で追っかけていくのがいいか、あるいは、余り不安になってはいけませんが、子供を中心として学童疎開したらいいんだという
しかし一方では、片や同じ二十ミリ超の地域でも、父母からは学童疎開が必要だという悲痛な声すら上がっております。校庭にいるのを一日一時間に制限すれば学校で授業を受けても大丈夫ですよと文科省は言っておりますが、私は、これは非常に矛盾しているのではないかなというふうに思っているところでございます。 これまで、人工放射線で一般人が浴びていいのが一ミリシーベルトということとされておったはずだと思います。
本日は、医療制度改革について何点か質問をさせていただきたいと存じますが、その前に、学童疎開船武州丸について一つだけ質問をさせていただきたいと思います。
米潜水艦による攻撃で沈没した学童疎開船は、先ほども申し上げました対馬丸、そしてまた私が今話題にしております武州丸の恐らく二隻だけであろうというふうに思われます。沖縄の対馬丸については、特別支出金による補償とかあるいは記念館の建設あるいは洋上慰霊など、手厚い慰霊がなされているわけでありますが、この武州丸についてはいまだに洋上慰霊もされておりません。
○尾辻国務大臣 お話しいただきましたように、学童疎開船というとまず対馬丸という名前が出てまいります。そして、この対馬丸については、平成十年だったと思いますけれども、洋上慰霊祭をとり行いました。私も参りました。明け方、対馬丸が沈んだところを慰霊船がぐるっと回って、ボーと汽笛を鳴らして、本当に、そのときのことを思いながら今のお話を伺っておりました。
では次に、武州丸という学童疎開船のことについてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。 学童疎開船の悲劇というと、常に対馬丸が皆さんの俎上に上るわけでありますが、実はもう一隻、武州丸という学童を乗せた疎開船が奄美の海に沈んでいます。この武州丸について、まず厚生労働省の方から、御存じのことをできるだけ詳しく御報告をいただきたいというふうに思います。
それから、沖縄戦のときにも、離島県、島嶼県でありますから、学童疎開を含めて、海を渡って、台湾だとかあるいは宮崎だとかに疎開をしていったわけですね。その途中で、有名な対馬丸のように戦時遭難船舶による犠牲者というのがたくさんおるわけですね。いまだに船体も引き揚げられないという悲劇も続いているわけですが、小川参考人に、住民避難との関係についても御意見をいただければありがたいと思います。
経験からしますと、例えば予測事態で避難といっても、沖縄戦のときでいえば、予測して学童疎開という避難を図った子供たちが乗船していた対馬丸が撃沈されて命を落とすとか、避難すれば安全ということにはならない。それがこれまでにおける戦争というものの実態であります。
そういう戦時体制下で起きたのが、戦争の足手まといになる老幼婦女子を排除して、軍人の食糧確保の目的で強制的に疎開船に乗せ、疎開先へ向かう途中、米軍の魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸等の惨事であり、本土出身兵士が理解できない沖縄の方言を使用する者はスパイとして処分せよという命令であり、空腹と恐怖で泣き叫ぶ乳飲み子を、敵に居場所を知られるから黙らせろと命じて絞め殺したことであり、住民が隠れている洞窟や墓
その意味で、あの避難に対し、避難をするとき、学童疎開をするという避難を決めたときに、教職員の声はお聞かれになったんでしょうか。済みません、これは文部省じゃなくて、東京都の方に先に。
その後で都の方にもお聞きしたいと思っていますが、皆さんが避難されて二年近くになるんですけれども、避難方法の中に、途中で避難所というプロセスを経過しないで、今無料でとおっしゃった都営住宅に避難したということについての対応、それから、子供が親から離れて学童疎開したということについて、もう二年ですから、この後いつ帰れるかわからないという意味では、中間総括が必要じゃないかと思うんですけれども、大臣はどのようにこの
特に、今回は、学童疎開という方法をとられたことについて、文部科学省の方はどのように分析されているんでしょうか。お聞かせいただきたいと思います。
○金子(哲)分科員 ぜひ検討していただきたいと思いますけれども、何といいましても、重ねて申し上げるようでありますけれども、死没者に対してやはり弔意があらわされていないというところに一番大きな問題がありまして、またその上に、家族すべてを失って、子供の時代に学童疎開ですべての人を失い、一人で戦後を生きてきた人、そして、この援護法ができたときに、実はその特別葬祭給付金で両親のお墓を建てたい、そんな思いを持
特に私が問題だと思っておりますのは、その際に、特別葬祭給付金が支給されたわけでありますけれども、支給が被爆者に限定をされた、こういうことがありまして、例えば学童疎開中のために親兄弟すべてを失った、そういういわば原爆孤児と言われる人たち、また、戦争に行って外地に行ったために当時被爆をしなかった、だけれども家族は全部失った、そういう人たちがこの給付を受けることができない。
それから、無人潜水機は「かいこう」、これは一万一千メートルということで、これは世界的に見ても大変高い能力を現在持っておりまして、これを使って学童疎開船の対馬丸とか、あるいはロシアタンカー、ナホトカ号の状況調査、あるいは、余り別に自慢できることではありませんが、HIIロケットが失敗をいたしましたが、そのエンジンの探索など、数々の成果を上げてきておりますが、今の御指摘のとおりでございまして、より一層強力
この特別支出金は、沖縄戦が目前に迫った時期に政府の軍事政策に協力するという形で対馬丸による学童疎開が行われ、その途中で遭難したという特別の事情を考慮して、このような特別な状況下で死亡した学童の遺族に対し国として弔意をあらわす措置として支給してきたところであります。
学童疎開をしているという状態についても、政府としてやっているのか。みんな民間の人たちがずっと自分たちで汗を流して、お金をつぎ込んで今データを集めてやってきているんですよね。そういったデータも含めて、日本の国としてきっちりとした資料を集めていくということは、私は大変重要な仕事だと思うんです。 沖縄のことをだめだと言っているわけじゃありません、沖縄並みにしていただきたいというのが私の思いです。
沖縄で地上戦があって、大変大きな住民を巻き込んだ惨禍があって、それは筆舌に尽くしがたいということは私もよく理解はしているんですが、沖縄のことに関しますと、沖縄開発庁の予算ということで別枠で何でも処理をされていく部分がありまして、学童疎開船の対馬丸の遺族の皆さんへの弔慰事業というのも沖縄開発庁予算でやっています。