1978-05-11 第84回国会 参議院 運輸委員会 第10号
それが結果して八ゲート、九ゲートの事案が生じたのではないかということでございますが、通報がありましたのはもちろん事実でございますし、これによって対応の措置をとったのもまた当然とったわけでございますけれども、何分当日の現場の状況というものは、御承知のように、非常に広大なところで、一方で八千名のデモがすでに動かんとしておりまするし、一方では千五百名のこれは本当にゲリラ的な極左暴力集団が小学校跡に集まって
それが結果して八ゲート、九ゲートの事案が生じたのではないかということでございますが、通報がありましたのはもちろん事実でございますし、これによって対応の措置をとったのもまた当然とったわけでございますけれども、何分当日の現場の状況というものは、御承知のように、非常に広大なところで、一方で八千名のデモがすでに動かんとしておりまするし、一方では千五百名のこれは本当にゲリラ的な極左暴力集団が小学校跡に集まって
員 池田 修蔵君 説明員 大蔵省国有財産 局長 松永 勇君 大蔵省国有財産 局貴金属処理課 長 上国料 巽君 参考人 東京都住宅局管 理部長 岩田 陸朗君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○旧陸軍経理学校跡
○委員長(相澤重明君) まず旧陸軍経理学校跡の国有地に関する件を議題といたし、調査を行ないます。 質疑のある方は順次御発言願います。
修蔵君 説明員 大蔵政務次官 竹中 恒夫君 大蔵省国有財産 局長 松永 勇君 大蔵省国有財産 局第二課長 立川 宗正君 文化財保護委員 会事務局記念物 課長 柳川 覚治君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○旧陸軍経理学校跡
○委員長(相澤重明君) まず、旧陸軍経理学校跡の国有地に関する件を議題といたし、調査を行ないます。 質疑のある方は順次御発言願います。
本案は、昭和三十六年度において、旧海軍軍医学校跡に設置することにしております国立がんセンターにかかる経理を国立病院特別会計で行なうこととし、これに伴う歳入歳出事項を改め、国立がんセンター経営のため、この特別会計に引き継がれる一般会計所属の資産の価額を基金に加えることとするほか、決算上の剰余金の処理等に関する規定の整備をはかろうとするものであります。
この法律案は、昭和三十六年度予算におきまして、政府は、築地の旧海軍軍医学校跡に国立がんセンターを新設することを予定いたしておりますが、その事業内容は国立病院と密接な関係がありますので、これに関する経理を国立病院特別会計において行なうこととし、これに伴いまして、この会計の歳入及び歳出の規定等につきまして所要の改正を行なうとともに、一般会計所属の資産で、右のがんセンター経営のために必要なものは、この会計
住むに家なく、従前所有の目的で賃借しておりました土地、その建物が消滅いたしましたために、臨時措置法等によりましてその土地を使用することができることには相なりましたが、なかなか建築資材等が乏しいといったようないろいろな事情もありました上に、外地から帰って参ります者、あるいは兵籍から免除されてそれぞれその居住地に帰って参りました者、こういったような戦後のいろいろな事情のもとに、やむなく公園とかあるいは学校跡
お話の市ケ谷の旧陸軍士官学校跡の土地でございますが、大部分は、御承知のように、防衛庁の部隊が使用をいたすわけでございます。これをきめます国有財産中央審議会が、昨年の五月十八日に開かれまして、その節、一部の土地を留保いたしております。
これは横須賀だけのことですが、次に、陸軍の経理学校跡を東京女子医科大学に払い下げた問題につきましても、これがやはり年賦であるし、売り払いの単価につきましても、横須賀よりは少し値段がよいけれども、この値段だって、あの土地の地価から言いますと、幾ら学校であっても、必ずしも適当な値段でないように考えられるのです。
それは旧士官学校跡、今の防衛庁ですが、防衛庁の土手下の場所が払い下げられるわけですが、そのことによって二千坪の土地が上にずっと伸びていくということになると、まるで今の防衛庁が見おろされるような建物に伸びていくのではないか。
また同時に国民自身としても、自衛隊がもとの陸軍士官学校跡へ戻ったり、麻布三連隊跡へ戻りますと、またもとへ逆転をしていくような印象をどうしても持たざるを得ないのじゃないか。少くともこれらの庁舎に対しては相当な印象が国民の中に蓄積されているわけです。
今度市ケ谷の陸軍士官学校跡と麻布三連隊の跡が米軍から接収解除になった、こういうことで、越中島から今の新庁舎に越してきてからまだ二年しかたちませんのに、もう防衛庁の庁舎移転という問題が内部的には出ているそうであります。そして特に三月末の庁議で決定するのだといううわささえ聞くわけであります。一体防衛庁長官は今の庁舎から防衛庁を移転させる御意思があるのかどうか。
右の事情からして、昭和二十六年度以降、千葉市作草部町所在の元陸軍歩兵学校跡の敷地を移転候補地と内定し、大蔵省に対して敷地の所管がえと工事費予算について折衝を重ねた結果、昭和二十八年度に至つて右移転工事費予算が認められたのであります。
教育の経験を持たれた森崎君からのお話のように、たとえ東京都内でありましても、品川と越中島に分れておつては非常に不便な問題である、教育上にも完全を期し難いのでありますから、飽くまでも全校が一カ所に集まるという前提を以つてこの問題は処理して頂くというのでなければ、この問題は我々満足できない、今止むを得ざる改善の処置としてこういうことをお願いしておるわけですが、この際若し進駐軍、駐留軍の使用している経理学校跡
というのは、一応政府におきましても、村山村に元少年航空学校跡がありまして、そこへ移していただくように私どもずいぶん運動したので、一応現地も調査いたされましたが、どうもそこはとうていできないという。最後に本年のたしか三月と記憶しておりますが、私村長あてに——私はここでこれを最後通牒と申しますが、外務省の国際協力局長からかような文書をいただいたのであります。
そこで第一に文部当局にお伺いしたいのは、昨年十月だつたか、私が内閣へ質問書を提出、それに対する吉田総理大臣の答弁書を見ますると、群馬県の小泉地区へ旧陸軍経理学校跡を使用している米軍の東京補給部隊本部が移りまして、そのあとへ文部省からの要望もあり、既定方針通り東京水産大学に校舎として充当せしめる、それで米軍補給部の一部はすでに移転が開始せられ、部分的には解除されているとの総理大臣からのお答えがあつたわけであります
ところがその熱意も何ら効を奏していないで、いろいろ右往左往しまして、遂に先ほど来お話の品川の経理学校跡の一部を使わせようということになつて来たのです。これは決して我々の満足すべき状態ではありませんけれども、現在の状態では到底放つて置けない。
只今米軍がそこを使用しておりますが、そこへ品川の海軍経理学校跡の米軍補給本部が一部移るということになるわけでございます。ところがその世田谷の用賀町の旧陸軍衛生材料廠の跡には、只今お話がございました厚生省の衛生試験所がある。従つてこの行先がきまらなければ困る。又これが仮に品川の経理学校の跡へ移るようなことになれば、果して水産大学が完全に納まるかどうかという疑問がつまりあるわけでございます。
○佐藤専門員 行政協定に伴う基地供與地域及び施設の一部除外に関する請願、第三二七九号、本請願の要旨は、横須賀市武山地区に所在する旧海軍第二第三海兵団及び大楠工機学校跡の地域は、今回の行政協定に基く細目とりきめに際し、基地として供與されるよう予備作業班により調査が進められている由であるが、本市の更生対策の一環として、敷地の狭隘に悩んでいる警察予備隊を同地域に移転するようにしたいから、前記武山地区および
而して昭和二十一年五月、本市久里浜所在の旧海軍通信学校跡に水産大学を誘致したのであるが、昭和二十五年の警察予備隊創設に際し同校の予定地及び施設の大部分が予備隊によつて割譲され、大学は存廃の岐路に立つているから両者の競合を調整するため基地として供与を予定されている本市武山地区所在の旧海軍第二、第三海兵団及び大楠工機学校跡の地域及び施設を基地供与から除外されるよう取り計らわれたいとの請願であります。
なおこの技術研究所は、これまで鉄道技術研究所に属しておつたのでございますが、その庁舎は建設省の土木研究所並びに赤羽分室の一部を借用してやつておつたのでございますが、たびたびの立退きを要求されまして、二十四年度に至りまして、やつと横須賀の久里浜の海軍の潜水学校跡の建物を大蔵省から移管を受けまして、この建物に研究施設を移転する場合に、行政部費が僅かでございましたので、それの運搬で所属機械の運搬費等を各建設部
○矢嶋三義君 ということは、返還されたならば清水を東京のもとの高等商船学校跡に返すというふうに計画を持つておる、こういうふうに了承していいですか。
例えば江田島の海軍兵学校跡は米軍将校の訓練所に使用されており、又広地区の黄幡には火薬置場、吉浦には貯油所がありますので、作業予備班の視察を注目いたしておりました。
そうしてなお大体そういう土地の総括的な数字の中に考えられるものと思われておるのでありまするが、旧兵営跡とか、或いは練兵場跡或いは旧師範学校跡、こういうようなものがございます。旧兵営跡といたしましては約九万坪、旧練兵場跡としましては七千三百坪、旧師範学校跡としましては約一万五千坪、こういうようなものが一応考えられておる次第であります。
これは大体飛行場の中に入つておりものであろうと考えておりますが、そのほかに旧師範学校跡というのが一万五千坪、練兵場が約二万五千坪、それから旧兵営跡が九万坪、大体こんなようなものが対象になろうかと考えておりますが、三百二十町歩という総面積、そういう限定された町歩には、よほど今後法案が通つてからの折衝によらなければならぬ点が多いと考えております。
○川端佳夫君 松山の関係では旧兵営跡に総合グランドと公園、そして一部の学校敷地、こういうふうに利用したい、あるいは旧師範学校跡というようなことになつております。