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38748件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1948-07-29 第2回国会 衆議院 文化委員会 第22号

もちろんその経営者はナシヨナル・ブロード・キヤステイング・カンパニー、コロンビヤ・ブロード・キヤステイング・システムといつたような大きな國全体に組織を持つたものもございますが、それと同時に一つのデパートでありますとか、あるいは学校または宗教團体といつたようなものが一つ二つ放送局を持つてもらうというような小さいものもございまして、まことに種々雜多でございます。

網島毅

1948-07-29 第2回国会 衆議院 文化委員会 第22号

從いまして学校教育に関する放送であるとか、非常に文化的にはすぐれたものではあるが、一般公衆にはそれほど興味を呼ばないというような種類の娯樂放送、あるいは文化的な内容放送、こういうものは民間放送では成り立ちません。從つてこういうものについては、安定して收入を保障されている日本放送協会に努力してもらう。そしてこの面の開発と向上をしてもらう必要があるのであります。

鳥居博

1948-07-27 第2回国会 参議院 通信委員打合会 閉会後第2号

成人教育学校教育にも寄與するような放送をしなければならない。それから今度は音樂その他の演藝的な放送につきましては常に最善の文化的内容を保持するものでなければいけない。こういうような規定を設けまして、一般民間放送局とは非常に性質が違うものであるということを明らかにいたしました。大体これで御懸念の点は解消するのではないかと存じておりますが、尚不足の点がございますればお教え願いたいと存じます。

鳥居博

1948-07-17 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第2号

証人桑原龍象君) 学校は私ちつとも出ておりませんね。熊本のずつと昔の医学校と、東京にある日本医学校に籍を置きましたけれども、あれは皆私立学校で、内務省の試験を受けるための準備ですから、ほんの僅かな期間ですね。それから講習会などに行つて独学したわけでございます。

桑原龍象

1948-07-16 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第1号

証人上平正治君) それは終戰後非常に東京の都内の事情が混乱いたしましたときに、民間人が相当積極的にこの社会事業の方面に進出いたしまして、あつちこつちでボランテイーヤーが出て参りまして、例えば小学校の壊れた所へ自分が一つ積極的に戰災者或いは引揚者を收容いたしまして、自発的に活動をやつたのがあつちこつちにできたのでありますが、その一つであります。

上平正治

1948-07-05 第2回国会 衆議院 財政及び金融委員会 第56号

觀次郎君紹介)(第一六三五号) 一三〇 家具統制價格撤廃請願(大島多藏君    紹介)(第一六四〇号) 一三一 木製家具に対する物品税軽減請願(大    島多藏君紹介)(第一六四六号) 一三二 入場税地方移讓並びに石炭税創設の請    願(中島茂喜君外四名紹介)(第一六五九    号) 一三三 沼津市千本松原地区無償拂下の請願(山    崎道子紹介)(第一六八〇号) 一三四 戰災復興並びに学校建設資金

会議録情報

1948-07-05 第2回国会 衆議院 文教委員会 第26号

松本委員長 続いて日程第六九、釧路市に教育大学設立請願、第七〇、兵庫縣農科大学設立請願、第七一、國立奈良女子大学設立請願、第七二、東京纖維專門学校昇格請願、第七三、名古屋工業專門学校昇格請願、第七四、東京女子高等師範学校昇格請願、第七五、廣島綜合大学に廣島高等学校を中心とする政経学部設置請願、第七六、三重農林專門学校大阪大学農学部昇格請願、以上の諸請願は、大学設立学校昇格

松本淳造

1948-07-05 第2回国会 衆議院 文教委員会 第26号

松本委員長 次に日程第四九、志摩水産学校昇格請願、第五〇、函館水産專門学校昇格請願、第五一、仙台工業專門学校昇格請願、第五二、浦和高等学校昇格請願、第五三、京都工業專門学校昇格請願、第五四、彦根経済專門学校昇格請願、第五五、上田繊維專門学校昇格請願、第五六、同、第五七、盛岡農林專門学校昇格及びに岩手綜合大学設置請願。  

松本淳造

1948-07-05 第2回国会 参議院 文教委員会 第11号

実際の例を申しまするならば、現職の教育がそのままで立候補をなさいましたときには、その父兄等は、教育のことは一番お世話になるのは先生だから、その先生に選挙しようということになつて、好むと好まざるときに拘わらず、この教育委員は殆んど先生を以て占められておつて、そうして学校の方から退職者がどんどん出來るというようなことになりましたときに、折角專門の局として設けられる教育委員会教育局というものは浮いてしまつて

高良とみ

1948-07-05 第2回国会 参議院 本会議 第60号

第三の点は、從業員訓練につき、一般学校その他教育研究機関從業員を派遣して、專門の事項を研修させ得ることとしたことであります。  以上は法案の大要でございますが、尚本案は、政府提出原案二條第二項に、「逓信大臣は、教室で行う教程最小限度に止め、職場訓練に特に重点を置かなければならない。」とありましたが、衆議院において削除修正されて参つたのであります。

深水六郎

1948-07-05 第2回国会 衆議院 本会議 第79号

そうして、それがために、全図の都道府縣市町村等に、公選による教育委員と、各地方議会議員の中から選出した一名の委員と、合計七名または五名の委員から成る教育委員会設置しまして、大学私立学校を除いた一切の公立学校教育及び学術文化に関する事務を管理し、執行させるどいう仕組であります。

松本淳造

1948-07-05 第2回国会 衆議院 本会議 第79号

書道必須科目復活請願八件、聾盲唖教育義務制実施に関する請願十一件、定時制高等学校設置請願四件、小学校教員恩給増額に関する請願一件、教員待遇改善に関する請願二件、大学開放に関する請願一件、民間科学技術研究所研究費國庫補助請願一件、宗教心涵養に関する請願一件、新制高等学校教科課程の一部を改正する請願一件、公民館施設費國庫補助増額請願一件、右の十一種の請願は、その趣旨はもつともであると思

高津正道

1948-07-05 第2回国会 衆議院 本会議 第79号

すなわちこの際、(書道必須科目復活請願、(第五号)、同(第一四五号)、同(第四〇六号)、同(第四九〇号)、同(第六五七号)、同(第六六五号)、同(第六六七号)、新制大学書道科設置に関する請願、(第九五二号)、聾、盲教育義務制実施に関する請願(第三八七号)、同(第三九五号、同(第三九六)、同(第三九七号)、同(第四一七号)、同(第四一八号)、同(第四一九号)、同(第四二〇号)、定時制高等学校設置

笹口晃

1948-07-04 第2回国会 衆議院 司法委員会 第50号

たとえば外國において教育を受けた者であれば、外國学校卒業証明書をもつて認定の資料とするか。あるいは日本のみに居る者でありましても、現在の社会的な地位あるいは活動等状況に照らして、小学校卒業と同等以上の学識を有するものと認定するか。その認定の方法については今のところ具体的に考えてはおりません。すべて檢察審査会事務局認定に任せておるのであります。

佐藤藤佐

1948-07-04 第2回国会 衆議院 司法委員会 第50号

それは学生生徒に限らず、官吏公吏それから学校教育、それから國会または地方公共團体議会議員というようなものを、すべて第七條に列挙して、されておる議会議員であるとか、あるいは官吏公吏教育学生及び生徒というものは、これは本來十分な資格のあるものである、むしろ最も適当な資格をもつておるものであるが、しかし自己の職務のために、あるいは学業のために、その者の選択によつて職務から除外するという方法

佐藤藤佐

1948-07-04 第2回国会 衆議院 司法委員会 第50号

有するというふうに常に廣くその資格を認めているのでありますが、從來陪審法実施によつてその実施状況を経驗いたしますと、單に、読み書きができるという程度だけではどうも事件の裁判に関與せしむる資格としては相当ではないのでないかという意見もございますので、仰せのように被疑事件について起訴、不起訴の不当、妥当を決定するというむずかしい仕事をするのは、單に読み書きをできる程度資格では足りないので、さらに小学校卒業程度以上

佐藤藤佐

1948-07-04 第2回国会 参議院 予算委員会 第41号

又災害学校建築費は四十七億の中に含まれておるかとの質疑に対しては、明確には含まれていないが、二億八千万円程度は使えるとの答弁がありました。更に本年度分数室建築後尚どの程度教室が不足するかとの質問に対しては、約四万三千教室であるが、それは今後二十四、二十五、二十六の三ケ年計画でやつて行き、二部教授はできるだけ避けたいとの答弁でありました。

木村禧八郎

1948-07-04 第2回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号

 太藏君            河野 正夫君            姫井 伊介君            藤田 芳雄君   政府委員    外務事務官    (大臣官房会計    課長)     千葉  皓君    大藏事務官    (主計局長)  福田 赳夫君    大藏事務官    (主計局第一部    長)      東條 猛猪君    文部政務次官  岩木 哲夫君    文部事務官    (学校教育局次

木村禧八郎