1966-06-23 第51回国会 参議院 文教委員会 第24号
日本に初めて整った歴史の編さんが行なわれたと言われますのは推古朝の時代でございますが、日本には中国から讖緯説という思想が伝わっておりまして、これは十干十二支の組み合わせのうち、きのえね、すなわち甲子、あるいはかのととり、すなわち辛酉という年が大変化の起こる年であるという一つの予言の学問、学説でございます。
日本に初めて整った歴史の編さんが行なわれたと言われますのは推古朝の時代でございますが、日本には中国から讖緯説という思想が伝わっておりまして、これは十干十二支の組み合わせのうち、きのえね、すなわち甲子、あるいはかのととり、すなわち辛酉という年が大変化の起こる年であるという一つの予言の学問、学説でございます。
そういうことで、たとえばあの北鹿地区の黒鉱床地帯の開発が、あなた方の学問学説によって当たった、また発見された、こういうように考えておるかどうか、その点をお聞きしたい。
そうして、先ほど指摘いたしましたように、学問、学説というものは、現在指定されている人よりもはるかにすぐれた人が中堅あるいは若手、あるいはもっと年配の方も次々に出ておる、これは工芸にしても、あるいは芸能にしても、あるいはその人がなくなると伝承することができなくなる場合もあることを考えていくと、やはり今回、文化功労賞を倍額に上げられるとすれば、従来なかった三十万円程度、一律にやられるかどうかわかりませんけれども