2017-04-18 第193回国会 衆議院 本会議 第20号
新居浜の近代産業遺産である別子銅山の東平地区を東洋のマチュピチュとして国内外に発信しようと尽力され、本家のマチュピチュがあるペルーの在日大使館に直接アプローチされておりました。その過程で、友好関係を築き上げることに成功したのであります。昨年秋には、在日ペルー大使館の全面協力のもと、新居浜市内の美術館において大ペルーアンデス文明展が開催されました。
新居浜の近代産業遺産である別子銅山の東平地区を東洋のマチュピチュとして国内外に発信しようと尽力され、本家のマチュピチュがあるペルーの在日大使館に直接アプローチされておりました。その過程で、友好関係を築き上げることに成功したのであります。昨年秋には、在日ペルー大使館の全面協力のもと、新居浜市内の美術館において大ペルーアンデス文明展が開催されました。
こういった取組は既にもう全国各地で、いろんなところでいろんな工夫がされているわけでありますが、例えばということで四国で二つほど例を申し上げますと、徳島の脇町の町長さん、これは行政と住民が一体となりまして、そこにあります歴史的な町並みの保存を核とした観光町づくりということを進めておられますし、また、愛媛県新居浜市の森賀さん、これも市の職員の方と聞いておりますけれども、江戸時代に開坑されました別子銅山を
それから、別子、四国の山奥の、昔の別子銅山ですね。近所に余り住んでいらっしゃらないんだけれども、特定郵便局があって、本当に郵政事業を超える仕事をしておられまして、近所の方に物すごく感謝されて、新居浜から単身赴任をされているんだけれども、毎晩晩飯に呼ばれるんで晩飯の心配がないとおっしゃっていましたけれども、それほど愛されているんですね。それはよくわかっています。
それは何かというと、別子銅山の煙害問題や、さまざまな自然環境が失われるという問題でございました。明治の中ごろ、ちょうど富国強兵策が展開される中で、日清戦争が起こり始めたころに、日本の国力を増強する、また軍事物資を生産せねばならないということで銅の大量増産をやり始めたものでありますから、煙害、亜硫酸ガスの被害が出て、農業被害が広がる。
次に、過去の事例についても環境庁に少し伺っておきたいのですが、例えば一八八五年に愛媛県の別子銅山からの亜硫酸ガスによる被害が発生したわけですが、国が硫黄酸化物に係る環境基準を閣議決定したのは六九年二月のことで、一九六一年ごろから四日市でぜんそく患者が多発して、六七年に四日市公害訴訟が起こされてからのことでありました。つまり、八十四年後に初めて因果関係を認めて規制基準がつくられた。
石炭の方は政府が非常な、いろんな意味での庇護を与えてきたんですが、例えば住友の別子銅山なんというのは、別に余り庇護されずに閉山されていったと思うんです。その違いはどういうことであったのか。何も保護しなかった方は、何か非常にまずいことが起こったのか。
また不況問題につきましては、まず新居浜市長泉公述人から、新居浜市は別子銅山開鉱以来、住友諸企業が中核となって発展してきた工業都市であるが、別子銅山の閉山、オイルショック、さらに円相場の高騰などにより、新居浜市は今日きわめて憂慮すべき事態にある。
それから別な角度から申しますと、新居浜の別子銅山、この場合はまあいろいろな条件のもとにこれは閉山を余儀なくされたわけだけど、私もこの新居浜、それから別子というのはよく知っているところなんです。これで見ますと、別子山村では昭和三十五年には千八百十六人おった人たちが閉山になると五百人になってしまう。
○福澤説明員 現在実施中のものの中では、昨年ですか終わったと思いますが、別子銅山の例がございます。
戦後わが国経済の成長だけにひたむきになっておりましたために、こういう事例ができたことは、まことに残念でありますが、これとても企業の側においてその気でかかれば解決できるのでありまして、住友別子銅山なども明治のころから亜硫酸ガスの克服に努力いたしまして、昭和十三年には亜硫酸ガスの発生しない精練所を建設しておるのでありまして、ほかにもいろいろと努力しておる例があるかと思うのであります。
あるいはまた別子銅山では、ベテルゼン式の収煙設備をドイツから輸入して、亜硫酸ガスから硫酸を回収して、化学肥料を造成して、つまり一石二鳥の効果をあげているといわれておるのです。そうだとすれば、もう川に流れる汚染だけが問題になるわけです。
○倉石国務大臣 御存じのように、土壌の中に蓄積いたしております重金属類による農産物の生育阻害は、先ほどちょっとお話のありました足尾銅山や別子銅山などの鉱毒事件のように、古くから深刻な問題となっておるわけであります。
この地域は、ずいぶん昔から、御承知の別子銅山を基礎にした住友産業がございまして、ずいぶんわれわれの少年時代あるいはまだ生まれない時代から、銅の煙害でいろいろ悩んだ経験を持っているわけでございます。いまのような民主主義の時代ではございませんので、大企業の幹部が出てまいりますと、いろいろ公害があっても、県などはいいかげんなことで農民を押えてきた。
住友コンビナートの発祥は、別子銅山の煙害対策として大正二年に硫酸工場がつくられたことに始まります。その後、昭和十一年に独特のアンモニア中和法による処理技術の開発に至る間が煙害問題との戦いであったという歴史が示すように、公害によって生まれ、公害問題を背負いながら伸びてきたところであります。
たまたま日本の別子銅山の場合にはキースラーガーに性質が非常に類似しておる、こういうことからキースラーガーということを非常に簡単に言っておるわけでありますけれども、しかしただ表面的に見て性質上似ておるから、形態が似ておるから、こういうことでキースラーガーであるとやったのでは、地質学上非常に大きな災いを起こすのじゃないか、こういうように考えるわけであります。
やがて、先生は、偉大なる活動家として世間の注目を集め、住友製鋼所、豊田織機、京都奥村電機、別子銅山、大阪発動機等多数の争議を指導し、その解決に尽くされました。
私はこれはもう憲法が変っておりまして古い例ではございますが、大正の末期の健康保険を中心にいたしました、労働組合評議会を中心とした労働争議から、それからあるいはまた別子銅山、さらに野田の争議等に私は仕事の関係からほとんど関係いたしましてその実体を見て参ったのであります。
一例を申しますと、四国の世界的な銅山でございます別子銅山というものは、いわゆる石鎚山国立公園の地域内に含まれております。私は国立公園の定義をよく存じませんが、国立公園というのは、指定をいたしましたならば、なるべくそれをこわさないでそのまま保存するということが、本来の大事なねらいであると思うのでありますが、これが鉱山になつてしまつている。自然の景観の方から言えば完全にこわれているはずである。
ただ私は今回出ておりますものを見ますと、先ほど話がありましたように、別子銅山というような世界的な鉱山、これはおそらくもつとあの辺を探しますと非常に有望な鉱脈を発見するのじやないかというふうにも考えますし、現にこれは福島県の住友鉱山の八総鉱山のごときは最近探鉱しましたところが、これまた非常に有望な鉱床を発見したというような例が方々にありますので、探鉱なりそういうことが十分できるように、私どもの方はどうしてもしていただきたいというふうに
第二点の粗漏な面があるのではないか、四国の別子銅山等の例を引かれ、また長崎の問題といいますと、今度国立に入りました九十九島の問題をおさしになつてであろうと思いますが、あるいは粗漏であつたかどうかということは、私どもの現在の立場ではただちに即答しかねる問題でありますが、この点は先ほど申しましたように、まだ本式に指定をいたしておりませんので、相当の日時があるかと思われますので、その間粗漏であつたかないかという
これには、四国においてはこういう殉難事件の起きたのは、別子銅山二百三十一カ所でございますが、これには高知県、それから香川県、徳島県、各県の知事さん初め皆さんが鄭重な弔辞、弔電及び花環を寄せられております。