2021-05-26 第204回国会 衆議院 経済産業委員会 第15号
そのときに見た、ちょっと固有の名前を出してあれなんですけれども、三菱未来館というのがあって、その三菱未来館の、今の要するに携帯電話とかそういうのをやっていたのが、子供心にこんなのできるんかなと思ったら、それが現在できているので、是非そういうものを前に進めていただいて、やはり、僕も当時小学校四年生でしたから、そういう小学生や中学生に夢のあるような万博を是非やっていきたいと思います。
そのときに見た、ちょっと固有の名前を出してあれなんですけれども、三菱未来館というのがあって、その三菱未来館の、今の要するに携帯電話とかそういうのをやっていたのが、子供心にこんなのできるんかなと思ったら、それが現在できているので、是非そういうものを前に進めていただいて、やはり、僕も当時小学校四年生でしたから、そういう小学生や中学生に夢のあるような万博を是非やっていきたいと思います。
その船が出港する前に、当時、私、小学校の五年生、六年生ぐらいだったものですが、母親と弟と面会に行って、そして父親を送り出して港に帰ってくるときに、母親が涙を流して、もう、しくしくと泣いている姿が子供心ながら非常に印象深かったわけなんですが。 やはり船乗りの方々、外航船、内航船問わずですけど、非常に過酷な労働現場、勤務現場があるなと思います。
また、昔の話でありますけれども、同じような経験をお持ちの方はいらっしゃると思いますけれども、よく、教職員が朝に学校給食費を直接集めていたという時代もありまして、そこで減免された人たちがやはり数名いたなということを、子供心に不思議な感想を持っておりましたけれども、それがまた、逆な立場の児童がそういった場面にさらされていることは今の時代においてはないとは思いますが、まずこの公営化の部分については積極的に
記憶にあるのは、あのときは、単独講和か全面講和かという言葉がえらく新聞に躍っていましたけれども、日本の加盟に賛成したのは四十三カ国が単独で、反対したのはソ連、ポーランド、ハンガリーだったかな、その三カ国は反対ということで、これは、四十三対三だったら、単独講和じゃなくて多数講和か全面講和かの違いなんじゃないのと、子供心にそう思った記憶がありますけれども。
我々が子供のころには、御巣鷹山で飛行機が落ちたとか、逆噴射があったとか、子供心にも飛行機というのはちょこちょこ落ちるものだというような印象を持っていたところでもありましたけれども、最近、大きな航空事故というのが国内において多発するというような状況にはなっておらないという部分も含めまして、安全確保には引き続きしっかり取り組んでいただきたいと思います。
子供心に、担任の先生がそこだけ歯切れが悪くなるのを見て、複雑な思いになりました。 資料四で、北町中学校、「自衛隊は憲法第九条で禁じている戦力にあたるから憲法違反であるという意見も少なくない」という教科書でした。しかし、そんなことは友達に言いません。家でも話しません。親に、ふびんな思いをさせているという心配をかけるからです。これは、転校は嫌だと言えない理由と同じであります。
私を育ててくれた町、西成区山王町というのは、御存じのない方がたくさんおられるでしょうが、庶民的な人情の温かい町で、釜ケ崎の労働者の方々が仕事を終えて、コップ酒で焼酎をうまそうに飲みながら、今日も一日仕事ができた、そういう話をしているのを見て、子供心に人間の幸せというのはこういうところにあるんだなということを感じたものでございました。
だから、人の口に入るものというのは、厳しくてもちゃんと守らなければ、基準を守らなきゃいけない、それは当たり前なんだ、それだけの役割は果たさなきゃいけないんだということは子供心にも思っていたわけなんです。
○串田委員 先ほど田中参考人の話もありましたが、親に負担をさせたくないというのは、一方では、教育に関して、親が子供に対して教育費というのを大変一生懸命負担しているという部分を子供が見て、それを何とか子供心に親の負担というのを軽くしてあげようというようなことだと思うので、そういう意味では、やはり教育費を無償にしていく、教育に対する負担というのを少なくしていくということが、今言ったような子供のそういう発想
○黒岩委員 このベトナム戦争と徴兵制ということ、これに非常に強く意識を持っているのは、私も子供心に覚えています、ベトナム戦争。もう毎日、朝から晩までこの報道でしたよ。
先生は、このような状況を目の当たりにして、子供心に、青森をもっと豊かにしたい、そういう沸々たる思いを抱くようになっていかれました。 そして、高校三年生のときに、将来の進路について思いをめぐらし、ふるさとと日本の発展のために、そして恵まれない人たちのために、人生をかけて政治の道で役立っていきたいとの青雲の志を立てられたのであります。
性暴力を受けた子供、心や体に深い傷を負っておりますので、私どもとしては、性暴力の被害児童に対しましては、児童相談所において安全確保が必要な場合の一時保護に加えて、被害児童の身体的、心理的なケアを行っていきたいというふうに思っております。
私も、子供の頃に光化学スモッグとか、ああいうような、ありましたよね、その濃度が超えると校舎に黄色い旗が掛かって、そうなると子供がみんな校舎内に避難といいますか、帰ってこいと言われて、全然変わらへんのに何でこれ急に帰らなあかんのかなと子供心に思っていたのを思い出しますけれども。 例えば大気中のベンゼンの濃度、これ、今環境基準というものがございますよね。
ちょっと思い出しますのが、うちの祖父が松下幸之助さんと話をしたときに、松下さんが、政治は何ができるんや、で、わしらは何をすりゃいいんだということをおっしゃっているのを目の当たりにして、ああ、こういうものだなというふうに子供心に思ったことがあるんですが、そういう関係が今のところ少し弱いのかなという実感を私自身はちょっと持っています。
今、新幹線とお話がございましたけれども、高速道路も実は全然なくて、私の記憶でありますと、祖母が神戸の女学校に行っていた関係で、高速道路ができたら、高速道路というものができたから行ってみようと連れていかれたのを今でも子供心に覚えておりますけれども、そういうものに憧れ、また、そういう社会をつくってこの国をもう一度よみがえらそうという先人たちの努力というものがあったんだと思っております。
遊技も、時間消費型の娯楽を国民に提供していただいていて、ほとんどの愛好者というか利用者は健全に接していただいているとは思いますが、一部にそうでないという方がいるということは子供心に感じておりました。 それから、私、大分県別府市が出身地ですが、別府競輪というのがございまして、開設してから六十六年になります。
私が特にこのアポロ十一号の打ち上げを強く印象に残っておりますのは、ちょうどそのときには父の仕事の関係でアメリカにおりまして、小学校六年生だったんですけれども、国中を挙げて、人類初の快挙を成し遂げるということに私も子供心ながらに非常にわくわくをしていた思い出があります。
その結果、先生の名字が変わった、変わらないということも、それはその事実そのものが一つ子供への教育といいますか、戸籍ですとかそういうものの法体系もきちっと子供心ながらに理解してもらう一助になると思っておりまして、そういう意味では学校の先生、年度に限らず、ぜひ希望をかなえることこそが教育、少し法教育にもかけさせてお聞きしますが、ふさわしいと思いますが、いかがでしょうか。
○世耕国務大臣 委員とは、誕生日、生年月日が一日違いなわけですけれども、我々がちょうど小学生のときにオイルショックがあったりして、あるいは、当時、社会科の授業で、原油はあと三十年ぐらいしかないんだということも教えられて、子供心に、これ、なくなったらどうなるんだろうなんと思ったわけですが、でも、やはりまだずっとあり続けているわけです。
子供心に強烈に印象に残っていますが、間違いなくもうちっちゃなスーパーもなくなり、八百屋さんも魚屋さんもなくなっちゃって、やっぱりそれが本当に中央の霞が関で仕事している人分かっていますかということだと思います。 地方の皆様方の納得と共感のない地方創生なんて意味がないのでありまして、ですけれども、ややもすると諦め感みたいなものが地方にはないだろうかという思いがございます。