1951-05-22 第10回国会 参議院 通商産業委員会 第33号
論語には以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべし云々……とありますが、その六尺は何かというと尋常一年か二年の子供のことを言つておるのです。それが南宋時代になつたらどうで す、三尺の童子は云々……と言つておるが、六尺と三尺はやや同じなんです。そういう尺を日本で輸入して高麗尺と言い、或いは古代尺と言い、或いは大尺、小尺、而も更にそれが天平尺になつたらば又更にそれが伸びている。
論語には以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべし云々……とありますが、その六尺は何かというと尋常一年か二年の子供のことを言つておるのです。それが南宋時代になつたらどうで す、三尺の童子は云々……と言つておるが、六尺と三尺はやや同じなんです。そういう尺を日本で輸入して高麗尺と言い、或いは古代尺と言い、或いは大尺、小尺、而も更にそれが天平尺になつたらば又更にそれが伸びている。
自分らは尺貫がいいと思つても、むしろそれは忍んで子供のためにメートルを進めて一元化させなければならないだろうと思います。又数年経てば若い人がみな次の時代を背負うわけでありますから、我我が決してそんな心配をする必要はない、一体我々は自分らの生活においても、服を着たり和服を着たり、二重生活をやつております。
そういう途を一方においてとると同時に、他方においては定時制の高等学校、青年学校というような設備で以て、学校に行けない子供に対する教育をしようと現に努めておるわけであります。だけれどもそれで十分かというと現在必ずしも十分とは言えませんから、そういう点をひどく心配すればこの法律案の提案のようになるのじやないかと思う次第であります。
勿も現在の子供などにおきましては尺貫法というようなものは殆んど知りません。でありますからして、これは世界の文化の趨勢に副うべき点からも、当然メートル法一本になるべきであるということを簡単に申すよりほかございません。然らばこの実施についてどうであるか。私は幸か不幸か職業として薬剤師の業務を持つておりまして、もう試験を受けるときからすべてメートル法で育てられて来ております。非常に便利であります。
メートル法専用の方針が決まつてから、学校ではメートル法だけを教えているが、そうした無理な教育を受けた子供が成長した後いかに不便を経験していることか。もちろんわれらはメートル法専用に反対するからといつて、尺貫法一本にせよというのではない。和服を作る場合には尺、洋服を作る場合にはヤードで結構である。また戦時中のような国粋主義からメートル法に反対するのでもない。
子供のためには十二分なるところの施設をせずに、犬のためには費用をかける。自転車のためには費用をかける。ボートのためには費用をかける。馬のためには費用をかける。これでは、日本中に犬ボス、ビンゴ・ボス、ポート・ボス、馬ボス、こういうようなボスばかりこしらえ、その上に農林、通産大臣が乗つかかつている。
しかしこの兒童憲章が紙の上で成立けいたしてみましても、やはり具体的にこれがどのくらい実質生活、また実際に子供たちの生活の中にあるいは家庭の中に、あるいは国民の中に浸透して、その実をあげるかということは、なかなかむずかしい、また困難な問題だと思うのでございます。
これは本人の目供によりますと、妻知恵子三十八歳、長女満智子十六歳の三人の暮しであるが、妻と子供は広島県安芸郡奥海田村新浜角、佐々木平松、これは妻の実父ですが、そこに別居しておつて、自分は杉並区阿佐ケ谷七百四十三番地に内縁の妻と居住しておつて、収入は当時一万二、三千円の支給を受けておる、こういうことであります。
それに戸籍等も、内地の療養所でもこれは秘密厳守ということになつておりまして、内地の癩患者でも、名前をほんとうに正当に言う者は少いというくらいになつておりますし、むろん朝鮮の患者も、言葉は日本語をよくしやべつて、また子供のときから入つておる者では、ほとんど日本人とかわるところがないから、三重県とか、あるいは愛知県などというようなところの人と一つも違わないような形になつております。
もう一つは、これらの結節癩は内地に入りまして、内地の婦人をめとりまして、子供が生れる。朝鮮人の生活というものは、狭いところの室内に多数の者が寝起きをする。そしていつも昆虫—南京虫とかはえとか、のみとか、しらみとか、それから最も媒介するものはかいせんであります。かいせんを持つておつて、それがその子供にうつるわけです。それで自分の、日本人あるいは朝鮮人に生ました子供に、親の病気がうつるわけなんです。
しかしその町で競輪、競馬をやりますれば、その町の子供というものはこの影響を受けて、教育そのものが破壊される、こういうことです。これははなはだしくナンセンスです。こういうことをいろいろ申し上げるときりがありません。
これでは子供をひねり殺すみたいなものだ、この点少し考えれば、松食虫の手前にも立法はしないでおられますまい。何とかこれを早い機会に解決をつけていただきたい。 それから横川長官に申し上げる。この立法した結果からも、多くは官庁に権限が移るのである。また関係法案も参議院の方からまわつて来ます。
それは教職員が生徒を相手にしておる点からして、結核にかかる率が多いということは、事実が証明しておることでありますし、また教員がそういう病気にへかつておる場合には、常に子供を対象にしておりますので、非常に危険があるのでございます。
それと連関しましてね、なおこの際下のほうの子供とか、父兄にどういう影響を与えているか、これはそういう点は文部省のほうがなおよく調べがつくと思います。
○岩間正男君 それから実際に子供だとかそういう父兄だとかそういうことについて調査するとか、そういう方法はとられなかつたのですか。そういうことでは調査とはいえない。それでは私たちには意味がない。
○岩間正男君 今の子供から取つたか、取らないかというようなことで、いろいろこれは要するに手続上で、そこのところはこれは当事者からお聞きになつたと思うのでありますが、子供については別に文部省は調査されないわけですね。それから実質的には子供から取つたというのは、そういうところから出て来ておるわけなんでしよう。
○政府委員(中村豐君) 具体的な例を申しますると、幼兒、小さい子供とか重病人が單独で乗ろうというのはこれは困りますから、そういうものは運輸省令で定めて除く。それから荷物にして見れば、荷造りの不完全とか宛先の不鮮明な貨物の運送を申込まれた場合には、それは運輸省令で正当な事由として断つてよいと、こういうようなことであります。例としてはそういうものであります。
また和裁においてすら、今子供はセンチで学校で習つておるが、母親はまだ尺でやつておる。どんな家庭にでもものさしが二種類、三種類となくてはならない。こういうようなことは、日本としても困るんじやないか、そういうふうに考えます。
なお行つてみますると、子供たちに、一週間に日をきめて親との面会を許しておるようです。厳重な消毒のもとに許しておりますが、物心ついた子供たちは、親に会うことをあまり好まない。親の方では一目でも見たいという、まことに両方どちらの言い分を聞いていいかわからないというふうな気の毒な悲痛な立場に親子がおるわけであります。
私から申し上げるまでもなく癩患者で療養所に入所しております者の子供につきましては、いろいろ社会的な環境の問題もありまするし、また一面には、癩という疾病の発病が、他の疾病と違つて、そう急激でありませんので、それらの事情もあり、癩療養所といたしましては、患者に準じまして、これら入所中の癩患者の子供を養育いたしておるのでございます。
○岡(良)委員 児童福祉法に直接関係はないかもしれませんが、しかしごく特別な環境にある子供たちのことで、今は医務局の方で取扱つておられますので、久下さんに少し御意見を承りたいと思います。と申しますのは、全国合せてわずかに二百名足らずの子供たちだと思いますが、国立癩療養所に附設されている保育所にいる子供たちであります。
人間は子供の時から養成されて来たところの教育によつて大体においてその人の思想が固まるのでありますから、すでに四十、五十になつたところの大人が頭の切替を憲法が変つたからといつてすることは、普通人には私はこれは極めて困難なことだろうと思うのであります。
又最近の母の日なんかも、これは私は非常に民主主義的ないい祭日を作られたものであると思つて非常に喜んでいるのでありますが、ところが実を見まするというと、自分の母親の情愛をすべての子供が偲ぶという極めてヒユーマニステイツクな観念に基いて作られた祭日であると思うのでありますけれども、町に母を偲ぶしるしであるカーネーシヨンを胸につけている人は非常に少くて新聞に出ましたところは、やはり皇后陛下に母の日にお祝いの
私どもも勿論、文部省は都道府県教育委員会にできるだけの、直接の監督権はないのでございますけれども、協力いたしまして、子供たちが迷惑することがないようにして行きたいと、こういうふうに考えております。
○政府委員(相良惟一君) まだ二十六年度になりましてもさような事態が起つているとするならば、誠に遺憾なことで、私どもも非常に責任を痛感するわけでありますが、私どものほうにでも、もう少し具体的な事情がわかりましたならば、地方の教育委員会と連絡をとりまして、どこにまだそういう子供たちに渡つていない事態が生じているか、嚴重に調査して見たいと思つております。
子供が独立するときには、多くの場合親の農場を引継ぐというよりは、他の農場を買つて独立した農民になる。親は仕事ができなくなつたり、或いはほかに転職しようというようなことになると、家ごと農場を売つてしまう。こういうような傾向が非常に強くて、農場の売買が日本と違つてかなり頻繁に行われておるようなふうに見受けられました。
その知的な受入れ態勢にしましても、これは御承知のように四Hクラブ運動とか、或いはフユーチヤーズ・フアーマーズ・オブ・アメリカというような将来の農民としての訓練を子供のうちにやつて行くという運動、或いは女の人で申しますと、フユーチヤーズ・ハウスメーカーズ・オブ・アメリカ、将来の家庭人としての訓練を子供のときからつけて行くという運動、こういうように、四Hクラブの運動とか、そういうふうな数数の運動が、連邦政府
多少脱線いたしますが、例えば或る理学部の講師のかただつたと思いますが、もう半年以来、自分の子供の女の子のジヤケツを買おうか、自分の学問の参考書を買おうかと思つて、ここ半年間迷つているけれども、結局どつちにも決心がつかないけれども、そう言つている間にだんだんそのどちらを買う金もなくなつて来ている、こういうような訴えがありました。まだそのほかにそういう訴えが非常に多い。
たとえばここに子供がおる。そういう十六、七になる子供まで商業協同組合の一員として列記してある。まだ学校に行つている子供の名前を借用して、その商業協同組合員に入れておる。
日本はまだ幼稚で子供だ。子供に飲ませる薬とおとなに飲ませる薬とでは、おのずから分量が違うだろう。それなのに、おとなに飲ませる薬を、法律で一回に子供に飲ませて殺してしまうのは、一体どういうわけだ。考えのないこともはなはだしい。
中学生の帽子をかぶつた小さい子供が、ほどんど女の子でありますが、どう見てもまだ十五、六歳にしか見えないような子供で、ずらりと並んでやつているのです。これは非常なガスをもやして、そこでやつている。全部こまかい、手の作業であつて、非常に目を痛める作業ですが、もちろんめがねもかけておらなければ、あの厚いガラスを持つておつても手袋もはめておらぬ。