2019-03-12 第198回国会 衆議院 総務委員会 第8号
この約束は、県知事及び関係市町村長とも交わされ、同時に、一九七二年四月十五日に、三里塚平和塔奉賛会会長・日本山妙法寺三里塚道場主任及び運輸大臣、千葉県知事職務代理者、新東京国際空港公団総裁の四者で締結した取決め書にも記されています。
この約束は、県知事及び関係市町村長とも交わされ、同時に、一九七二年四月十五日に、三里塚平和塔奉賛会会長・日本山妙法寺三里塚道場主任及び運輸大臣、千葉県知事職務代理者、新東京国際空港公団総裁の四者で締結した取決め書にも記されています。
沖縄の米空軍嘉手納基地の第二ゲート前で、今年十月二十九日、基地撤去を求めるビラを配っていた日本山妙法寺の僧侶木津博充さんが公務執行妨害で沖縄署に現行犯逮捕され送検されていたところ、拘置期限ぎりぎりの十一月十七日、釈放されるという事件があります。
だから是非、我々は、日本は民主主義を輸出をしているんだから、ここら辺はもうちょっと、今日は日本山妙法寺の方々が来ていますから、まあひとつ、私は言い分、お互いの言い分が食い違いが、どちらが正しいということは現場を見ていませんから分かりませんけど、ただ、拘置するのが長過ぎるということは確かなので、客観的に見て。
例えば、放火事件について言いますと、八六年二月に平和運動を進める日本山妙法寺百里道場が丸焼けになりました。それからまた、労働組合の県労連の県南地方労働組合事務所、これは千代田村というところにありますが、これが同年の十月に全焼させられる、こういう事件がありました。それから、昨年一月には谷田部町で町長の義弟宅の板塀に散弾銃が撃ち込まれる、それから、助役宅玄関に灯油がまき散らされる。
○内藤功君 これは、一番最初に航空局長の読まれた取り決め書というのは、大臣とそれから地元の日本山妙法寺というか、平和奉賛塔というのを滑走路予定地に建てておったんですね。それを移転してくれというものですから、そういう宗教的なものを移転するについては、きっちりと平和の条件がほしいというので取り決めたものです。政府の約束なわけです。
いま日本山妙法寺の系統のお寺がございますが、そのお寺の前に仁王さんが二体立っております。この仁王さんは、これは何百年前から、あるいは千年をこすのかもしれませんけれども、とにかく雨ざらしになって、風雨にさらされて鼻がくえ、傑作であることはわかりますけれども、運慶、湛慶が彫りました仏像にまさるとも劣らないと思いますけれども、風雨にさらされ、何千年かの風雨で容貌も変化をいたしております。
兵庫県もおそらく——四十八年の六月五日に発表しているわけですが、この中に先ほど申しましたように、和田岬のところは妙法寺川ですが、和田岬の先は、高砂のほうも三PPMをこすところの、たとえばスズキだったら三一PPMですか、コノシロは四四PPM、ボラは一一PPM、キスが一〇PPM、アイナメというのが四三PPM、タナゴなんて六九PPM、こんなすごいデータが出ておるわけですが、あなたのほうでは二種類しか出ていない
先生御指摘のように、やはり三点について、実は平和の塔は、ちょっと長くなりますけれども、日本山妙法寺派という反戦平和系の日蓮宗の一派というふうに私は伺っております。この人たちが中心になりまして、昭和四十二年だったと思いますが、当時の敷地予定地の一部に平和の塔——パゴダでございますが、これをつくられたということから端を発しておられるわけでございます。
さらに申しますというと、カルカッタに日本山妙法寺というお寺がありますが、その日本山妙法寺というものは、これもむろん御承知かもしらぬ、しばしば行かれた諸君、御承知かと思いますが、妙法寺は予科練の海軍の人が人生に無情を感じまして、あそこにお寺をつくっておるのであります。
したがいまして、それにつながるところの妙法寺川の左岸の護岸でございますが、これの防潮堤も私どものほうで一メートル高いものをつくったわけでございます。そういたしますと、そこには今回は浸水がございませんでした。
一級国道の八号線の武生妙法寺—具谷間に至る一万一千三百二十メートルの区間は勾配が急で、しかもその曲折がはなはだしいので、これにかわるものとして、春日野にトンネルを開さくいたしまして、平坦地をたどる工事が、すなわちこの有料道路であります。この工事は、第一工区、第二工区及び第三工区に分れて施工が進められております。
これを見かねました日本山妙法寺の和尚さんたちが、うちわ太鼓をたたきながら制止しようとして中へ入ったのを、理不尽にこん棒をふるってなぐりつけて、現に重傷で一人入院しているではありませんか。法衣を身にまとって非暴力の旗を立てて、うちわ太鼓をたたいている僧職にある者が、どうして抵抗をしましょうか。何の弁解がありますか。私自身見かねました。
また婦女子に対してまで警察官が暴行を働いたとか、あるいは妙法寺の坊さんに対して警棒をもって暴行を加えたというような、いろいろ具体的な事例をおあげになって御質問がございましたが、私の今日まで聞く限りにおきましては、そうした暴行事案はなかったというふうに聞いておるのでありますが、なおそうした点につきましてはさらに十分に調査をいたしまして、もし不幸にしてそういう行き過ぎの点がありますならば、将来を戒めるとともに