2019-11-07 第200回国会 参議院 内閣委員会 第2号
その中で、私自身の経験からお話をちょっとだけさせていただきたいんですが、十九年前になります、参議院始まって以来、女性国会議員が出産をするということになりました。そのときの国会の欠席事由の中に出産という言葉が書き込めないという状況でありました。出産という言葉を書き込めない以上、どのようにするかというふうに手続上調べましたら、突発的な事故だということで話題となりました。
その中で、私自身の経験からお話をちょっとだけさせていただきたいんですが、十九年前になります、参議院始まって以来、女性国会議員が出産をするということになりました。そのときの国会の欠席事由の中に出産という言葉が書き込めないという状況でありました。出産という言葉を書き込めない以上、どのようにするかというふうに手続上調べましたら、突発的な事故だということで話題となりました。
橋本大臣が五十年ぶりに現職の女性国会議員として出産を経験された。そこからまた年限がたっていまして、いまだ、欠席事由にはなるんですけれども、産休というようなことがなかなかできていない。
そのときに、園田天光光先生という方が、日本初の女性国会議員、代議士になられたお一人でありますけれども、さかのぼること約五十年前、二〇〇〇年から五十年前ですけれども、初めて現職の女性議員として出産をされたという経験のときに、国会内には、議員会館内にも女性のトイレが一つもなかった、お休みをする場所も女性のためにはなかったということで、大変な時代だったんだ、だからこそ、今こそ、女性国会議員がみずから身をもって
私も、ドイツで行われましたG20のデジタル大臣会合で附属して行われました女性国会議員の会合にも出席をさせていただきました。そこで、デジタル社会で働く女性という課題で様々な議論が展開されました。このようなことをきっかけとして、また世界中で様々な動きが起こってくる。私はこれほど日本のプレゼンスを上げることはないと思いますので、成功させていかなければなりません。
多様な民意を届けるという意味で、女性の声もしっかり届けるという意味では、女性国会議員が一三・七%というのはやはり少な過ぎると思います。安倍内閣として、女性活躍を推進しようと力を入れてくださっていることは理解をしておりますし、感謝をしております。全ての女性が輝く社会づくりが実現できれば、本当にすばらしいことと思っております。
一九四六年、日本に初めて女性国会議員が誕生して以降、国政における女性議員の割合は全く増えませんでした。そのような状況にあって、候補者の男女均等を目指すこの法律は、日本の政治を大きく変えるきっかけになると信じています。そして、起案から携わり提出した本法案を、所管大臣として受け止めることができた瞬間は、とても感慨深いものがありました。
副大臣に面会をして、必ず大臣に伝えるということだったんですが、伝わっていないとしたら、本当に、せっかく女性国会議員十一名で行ったので、二十一名の連名で、実にちょっと残念であるというふうに思っております。 大臣、セクシュアルハラスメントに関しては、御存じ、人事院のマニュアルがあります。
まあ昨日のパレードなどを見ていると、そういうことも感じないことはないんですけれども、昨日の新聞でIPUの女性議員、世界各国の比較が出ておりましたが、日本の女性国会議員の数は下から数えた方が早いというような、また順位を下げている。人数が減ったというよりも、ほかの国が進んできたので我が国はどんどん順位を下げている。
一方で、日本の女性国会議員の比率は、OECD加盟国三十四か国中最下位という事態が続いています。参考人からは、女性の国会議員が増えれば政策の中身が変わること、有権者の信頼を回復するという意義があるとし、女性議員を増やすために選挙制度の見直しの提案もありました。 戦後初の衆議院選挙が実施された一九四六年、初めて女性が参政権を獲得した選挙で三十九人の女性議員が誕生しました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいま薬師寺委員が御紹介をされたように、ちょうど七十年前の四月十日、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、約千三百八十万人の女性が初めて投票をし、そして三十九名の女性国会議員が誕生しました。今年はその記念すべき日から七十年目の節目の年であります。 しかしながら、現在、国会議員に占める女性の割合は諸外国と比較しても低い水準にとどまっております。
一昨日、超党派、有志の女性国会議員たちで、鴻池特別委員会委員長に女性の声を聞いてほしいと申入れをさせていただこうということになりました。しかし、鴻池委員長の居場所を尋ねても、自民党の事務局は知らないの一点張り。やむを得ず、私たちは特別委員会の理事会室の前で委員長を待つことになりました。理事会室の前に、怒れる女性議員の会とピンクの鉢巻きを巻いて、要望書を持って詰めかけました。
昨日、衆参女性国会議員有志で要請書を、要請文を、鴻池祥肇委員長にこれを手渡しをいたしました。 昨日中央公聴会、本日横浜での地方公聴会は開かれたものの、これまでの公述人には女性は一人も選ばれておらず、とりわけこの法案に不安を持つ多くの女性たちの声は届けられているとは思えません。安倍政権では女性の活躍や意思決定過程への参画を重要視されていることから見ても、極めて遺憾です。
ちょっと時間がなくなってきてしまいましたので、済みません、高井参考人にはほかの人にお譲りして、佐崎参考人に一つだけお伺いしたいんですが、私も女性国会議員として、子育てや介護の問題、女性の働きやすい環境づくり等力を注いでいるんですが、男性の理解と協力という意味でどうやったらもっと協力を得られるのか、教えていただければと思います。
憲法と参議院の在り方ということで、憲法が二院制を設けているのは慎重審議と多様な国民の声を反映させるためでありますけれども、にもかかわらず、我が国の女性国会議員の数は、衆議院四百八十人中三十九人と八%、また参議院においても二百四十二人中三十九人と一六%、両院合わせても一〇%と、OECDでも最低の数値となっております。国民の半数を占める女性の声が反映されていないものと思わざるを得ません。
超党派の女性国会議員が、二〇〇一年だったでしょうか、当時の森山法務大臣に選択的夫婦別姓の申し入れを行っておられます。呼びかけ人はどなたでしょうか。
これは、平成十四年一月十七日、女性国会議員メルマガ「ヴィーナスはぁと」というところでございますけれども、「人に迷惑をかけない限り、自由度が高い社会が生きやすい社会であり、日本もそういう社会を目指したい」ということでございます。 これは、今でも、大臣、お考えはお変わりないでしょうか。
二〇二〇年までに三〇%の女性国会議員を誕生させよう、これは自民党さんも含めた超党派議連で今取り組みを行っています。 こういう今の企業の社会保障の保険料の負担軽減、あるいはもう一つの二〇三〇運動、こういった取り組みを行うことで、私は、ワーク・ライフ・イノベーションをともに実現していきたい、そんな思いを持っておりますが、大臣政務官、同年代として次世代に向けた御答弁をお願いいたします。
女性国会議員の輩出もさることながら、女性自身が働くことを諦めない風土を整えることがこの劣勢から立ち直っていく原動力になると私も思います。そして、時間的、空間的制約から解放された労働形態を普及、活用するには、そのノウハウを磨く必要もあると思います。幅広い地域、業種で将来性のある働き方を計画的に育てる取組、一層進めていただければと存じます。
合わせて九十六名、百名になんなんとする女性国会議員がおられるわけでございまして、これからの日本を支えていくのは是非女性議員だと、そのように御認識をいただいて、是非、皆様方の御活躍を大いに期待を申し上げたいと思いますし、女性の視点から立った様々な施策をつくり出していきたい、そのように感じているところでございます。
そのうち、実際に子育て中の女性国会議員がどれぐらいいるか私は把握をしておりませんが、常々ママズトークをするメンバーを数えてみると、十人に届かないんじゃないかと。
女性国会議員が少なく、政治面での参加が遅れ、経済面でも収入や昇進などで男女間に大きな格差が残っているためだという、こういう状況なんですね。 かく言う私ども民主党も、この国土交通のメンバーを見ていただければ分かりますように男だらけなんですね。
我が党は、そうした教科書の重要性を踏まえまして、これは通常学級に通うお子さんが対象でございますが、教科書の無償化につきまして、大先輩の女性国会議員が昭和三十八年度からということで提案をいたしまして、昭和四十四年に完全実施されたという、これは私も女性議員として受け継ぐべき大事な考えであると思っております。