1999-06-08 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第5号
両女子大は、先生御案内のように、戦前は女子高等師範学校として、女子教育、あるいは教員、教育面での指導的な人材養成ということで発足したわけでございます。 戦後におきましては、それぞれ、女性に関する高等教育、教育機会あるいはさまざまな形の機会の確保、教育研究の振興という観点から、国立大学として、引き続き新制大学として二大学が存立している、こういうことでございます。
両女子大は、先生御案内のように、戦前は女子高等師範学校として、女子教育、あるいは教員、教育面での指導的な人材養成ということで発足したわけでございます。 戦後におきましては、それぞれ、女性に関する高等教育、教育機会あるいはさまざまな形の機会の確保、教育研究の振興という観点から、国立大学として、引き続き新制大学として二大学が存立している、こういうことでございます。
そうして、御承知のように、当時の師範学校、青年師範学校、女子高等師範学校、そういうふうなものがすべて広島大学に統合されておったわけですね。そこで、小学校、中学校、それから特殊養護教員等の養成については、教育学部の分校として、東雲町にあるから東雲分校として、分校の中で養成しておったわけですね。
私が今申し上げました東京の高等師範学校、それからお茶の水の女子高等師範学校、優秀な学校ではありましたけれども、これが大学ではなかったのです。いやしくも教育者になる者が大学の下位については相ならぬというので、大学であることということを教員養成の第一原則にうたったのです。これは免許法上一貫しておりますよ。
宮城君は、奈良女子高等師範学校卒業後、直ちに同校において教育に携わり、同九年三月、大原社会問題研究所に入所し、社会事業一般についての研究に当った後、同十二年一月から翌十三年四月に至るまで、文部省関係において社会教育、司法省関係において少年保護事業の研究のため米国に派遣され、次いで東京少年審判所の少年保護司に任命され、同十五年九月退職後は、もっぱら民間の司法保護事業家として斯界の事業のために尽瘁し、また
宮城君は、奈良女子高等師範学校を卒業後、直ちに同校において教育に携わり、大正九年三月大原社会問題研究所に入所し、社会事業一般についての研究に当った後、同十二年一月から翌十三年四月に至るまで、文部省関係において社会教育、司法省関係において、少年保護事業の研究のため米国に派遣され、ついで東京少年審判所の少年保護司に任命せられ、同十五年九月退職後は、もっぱら民間の司法保護事業家として斯業のために尽し、また
○矢嶋三義君 ここでお伺いいたしたいのは、局長の概要説明の、五の一のイ項のところに、「高等師範学校、女子高等師範学校の廃止に伴い小学校二校、中学校三校、高等学校五校、幼稚園二校計十二校をそれぞれ当該大学学部の附属学校として置くこととした。」という、この小学校、中学校、高等学校、幼稚園、これはどこか、答弁して頂きたい。それから次の質問をします。
○政府委員(稻田清助君) これは奈良の女子高等師範学校は奈良の女子大学の文学部の教育学科にぶら下つたわけでございます。そこでその附属学校を教育学科の附属に属せしめた。それで一方学藝大学のほうは師範学校のほうの附属が付いたわけです。
○政府委員(稻田清助君) 東京高等師範学校、東京女子高等師範学校、それから広島高等師範学校、奈良女子高等師範学校、金沢高等師範学校、岡崎高等師範学校、広島女子高等師範学校……。
改正の第五点は、附属学校及び教育施設又は研究施設の設置、整備に関するものでありまして、その主なものは、従来高等師範学校、女子高等師範学校に置かれた附属学校を高等師範学校、女子高等師範学校の廃止に伴い国立大学及び学部の附属学校としたこと、その他助産婦学校、診療X線技術学校、歯科技工士学校を設置したこと等であります。
改正の第五点は、附属学校及び教育施設または研究施設の設置、整備に関するものでありまして、そのおもなものは、従来高等師範学校、女子高等師範学校に置かれた附属学校を、高等師範学校、女子高等師範学校の廃止に伴い、国立大学及び学部の附属学校としたこと、その他助産婦学校、診療X線技術学校、歯科技工士学校を設置したこと等であります。
又宮城君は、明治四十三年奈良女子高等師範学校卒業後、大原社会問題研究所に入所いたしまして、社会事業一般について研究、大正十二年文部省より米国に派遣され、社会教育、少年保護事業について幾多研讃を積みまして、帰朝後は少年保護司として司法省に奉職し、大正十五年九月退職してからは、今日まで民間司法保護事業家として盡力し来たつたものであります。
○水谷(昇)委員 奈良の女子高等師範学校が、今度大学に昇格することになつておりまするが、この中には美術科といいますか、藝術の中に書道科というものが特に置かれておりますか、これをお伺いいたします。
教育大学設立の請願(伊藤郷一君 外一名紹介)(第九七九号) 七〇 兵庫縣に農科大学設立の請願(小島徹三君 紹介)(第一〇九一号) 七一 國立奈良女子大学設立の請願(東井三代次 君外十七名紹介)(第一二九四号) 七二 東京纖維專門学校昇格の請願(八木一郎君 紹介)(第一三八七号) 七三 名古屋工業專門学校昇格の請願(橋本金一 君外七名紹介)(第一四六五号) 七四 東京女子高等師範学校昇格
ついては地理的環境に惠まれ、古い傳統をもつ奈良女子高等師範学校を國立奈良女子大学として設立されたいというのであります。 日程七二、東京纖維專門学校昇格の請願、八木一郎君紹介。第一三八七号。本請願の要旨は、東京纖維專門学校はわが國最古の纖維教育機関でありその歴史、功積等より、また現在の機構、設備、教官の素質、卒業生の活動状況の点において纖維大学としての資格を十分に有している。
○松本委員長 続いて日程第六九、釧路市に教育大学設立の請願、第七〇、兵庫縣に農科大学設立の請願、第七一、國立奈良女子大学設立の請願、第七二、東京纖維專門学校昇格の請願、第七三、名古屋工業專門学校昇格の請願、第七四、東京女子高等師範学校昇格の請願、第七五、廣島綜合大学に廣島高等学校を中心とする政経学部設置の請願、第七六、三重農林專門学校を大阪大学農学部に昇格の請願、以上の諸請願は、大学設立と学校昇格の
請願(第三七七号)、民間科学技術研究所の研究費國庫補助の請願(第三三七号)、宗教心涵養に関する請願(第七八八号)、新制高等学校教科課程の一部を改正する請願(第六七〇号)、釧路市に教育大学設置の請願(第九七九号)、兵庫縣に農科大学設立の請願(第一〇九一号)、國立奈良女子大学設立の請願(第一二九四号)、東京纖維專門学校昇格の請願(第一三八七号)、名古屋工業專門学校昇格の請願(第一四六五号)、東京女子高等師範学校昇格
委員長報告) 第六一 國立岡山そう合大学農学部設置に関する請願(委員長報告) 第六二 新制大学の科目中に書道科を設置することに関する請願(委員長報告) 第六三 國立廣島そう合大学に廣島高等学校を中心とする政経学部を設置することに関する請願(委員長報告) 第六四 國立名古屋工業大学設立に関する請願(委員長報告) 第六五 六・三教育制度完全実施に関する請願(委員長報告) 第六六 東京女子高等師範学校
第一七一四号) 地方教育委員会法に関する請願外一件(松澤兼 人君外二名紹介)(第一七一五号) 高瀬高等学校建設費の起債認可に関する請願( 福田繁芳君紹介)(第一七二九号) 地方教育委員会法に関する請願(酒井俊雄君外 一名紹介)(第一七三八号) 同(高津正道君外二名紹介)(第一七三九号) 同(平川篤雄君外一名紹介)(第一七四〇号) 同(大島多藏君外一名紹介)(第一七四一号) 東京女子高等師範学校昇格
○近藤委員 女子の國立大学の必要ということにつきましては、ただいま伊藤委員からお話のあつたようなことでございまして、私がいまさら附け足すこともございませんが、ただいまお話を伺いました政府委員の方の御答弁によりますと、東京の女子高等師範学校だけについての御意見のように伺いましたが、私はやはり女子のの教育の必要さと申しましようか、いろいろな点から申しまして、少くとも女子の國立大学は東京の女高師と奈良の女高師
その際に、官立としては、從來官立の女子の高等教育機関というものは、非常に少かつたのでございますが、何としても一番歴史のあります現在の東京女子高等師範学校を大学に切り替えるということが、第一番の問題になつて來るではないかと思います。すでに本年度より大学に昇格したいという御希望もあつたくらいでありまして、卒業生の方、また現在の教職員の方、生徒の方々の熱烈な希望は文部省も十分に承つております。
ただいま申し落しました國立の女子の高等教育機関としての同じような歴史をもちます奈良の女子高等師範学校につきましても、東京女高師と同樣に、女子の國立大学に切りかえたいと研究いたしております。