2014-03-10 第186回国会 参議院 予算委員会 第10号
ですから、そういう視点で取り組まなきゃいけないのに、畿央高原あるいは中部地域、そして北東地域、要するに北関東ですね、この三地域の関係者はもう猛烈に盛り上がっていましたけど、正直言ってほかの地域は極めて冷静、白けていましたよ。なぜか。それはやはり、その首都機能を移転するのは何なのか、国家のためにどういうことなのかというようなことがなかったからなんですね。
ですから、そういう視点で取り組まなきゃいけないのに、畿央高原あるいは中部地域、そして北東地域、要するに北関東ですね、この三地域の関係者はもう猛烈に盛り上がっていましたけど、正直言ってほかの地域は極めて冷静、白けていましたよ。なぜか。それはやはり、その首都機能を移転するのは何なのか、国家のためにどういうことなのかというようなことがなかったからなんですね。
いろいろとお聞かせをいただきましたが、他の二候補とこの畿央地域との違いは、四つの県が御参加でありますが、一体の地域である、他の地区は、岐阜・愛知といいましても山脈で大きく隔てられておるし、福島・栃木も全く文化も含めて違う地域だけれども、この畿央高原は、風習、文化、こんなことを含めて一つの地域である、これが特徴か、こんなふうに思っております。
ここが畿央高原という名前で移転先候補地として挙がっていることは後に知ったのですが、それでは、なぜ畿央でなければならないのかを御説明いたします。 畿央は、中部圏と関西圏という二つの大都市圏の結束点であり、かつ東西日本の境界線上にある日本の真ん中だということです。都道府県の数では、福井県、滋賀県、三重県を境に四十七都道府県が東西に二十二ずつに等分される、日本の真ん中に位置しています。
先ほど申し上げたように、そういうようなすばらしい地域、日本の国の中心地域、そこから新たな地方分権を中心とした国家体系ができる、こういうようなことでございますので、その立法機能を持つ地域がいかに大切かというようなことで、ひとつ、そのよさを三重県、滋賀県そして畿央高原を取り巻く奈良、京都の四県においては大いに全国に吹聴してもらいたい、そのことがまた、国会議員の大きな賛同を我が地域にいただけるものだ、このように
その中で、三重・幾央高原に移転した場合に六兆三千三百億円の赤字となる試算が実は発表されたわけでございます。この試算は、国土庁が新聞にコメントをされましたように、民間への経済波及効果は全く試算の外に置いて、そして移転跡地の民間企業への売却を無視するなど、本当に試算としては大変疑わしい、正確さのないものだ、私はこのように思っております。
そういう意味では、三重・畿央高原というのは、人口が二十万、三十万ふえても一応水を確保できる。また、伊勢湾、琵琶湖と続いている。 ただ、この構想の中に大阪湾というのが出てこない、書かれていない、文言を見ると。せっかく大阪湾まで七十キロぐらいのところにありながら、どうしてお書きにならないのか。この辺、ちょっと御説明をいただければありがたい。三ページです。
○中山国務大臣 先生と昔、若いころに鶏頂山の山の上に登ったことを、あの辺の景色を思い出しながら今伺っておったわけでございますが、私も、畿央高原の会長をやれと言われて、引き受けておりましたが、今この立場でございますのであれはやめさせていただいておりまして、日本列島、どういうふうに首都機能を移転するかという、日本列島のこれからのことを考えて、審議会の森会長にも、先生は解剖学の権威でございますから、日本列島
大臣は、畿央高原の首都機能移転の議員連盟会長であります。それだけに、このたびの国土庁長官の就任は大変心強く思っておる次第であります。
私のいろんな意味の前歴で畿央高原の会長をしていたところ、私は党内で話があったときに、一番最初は七〇年万博のあの会場がいいんじゃないかなんて党内で言ったことがありまして、みんな白っとした顔をしていました。ですから、私はいろんな意味で、首都を動かすということがもう本当に二十一世紀の最大の、何といいますかミレニアム計画の最前列に置くべきだ、こういう意欲に燃えておりますものでございます。
いろいろ質問もあったわけでございますが、特に大臣に御就任になる前までは、畿央高原に国会等移転を推進する議員連盟の会長をしていただいておりました。私ども近畿の人間、また三重、これは一府三県が相寄りましてこの議員連盟をつくって、御就任をいただいて大変御尽力してきていただいたわけでございますが、大臣になられますとなかなか言葉も選ばなければならない。
京都の場合に、今度の畿央高原というのは御存じのとおり議連の方から始まっています。京都の県民のお気持ちは一体どうでしょうか。そのことだけ聞かせていただいて、終わります。
今会期中、本委員会に参考送付されました陳情書は、畿央高原への首都機能移転に関する陳情書外三件であります。 ――――◇―――――
○中島委員 国家的なプロジェクトとしての首都機能の移転、この問題の意義については、今も、また先ほどからもいろいろとおっしゃっていただいているんですけれども、首都機能を畿央高原なら畿央高原に特に移すとかあるいは福島県に移転をさせるとか、そのことが同時に京都なり福島なりの発展にどういうかかわりを持つ、したがってどうしても福島にとか、どうしても畿央高原に、京都にといいますか、そういう点について特にあれば、
最後に、畿央高原への首都機能移転の優位性について述べてみたいというふうに思います。 先ほど、首都機能移転に際しまして最も大切なことは国家のアイデンティティーを内外に表現することだというふうに意見を述べさせていただきました。この地域への移転そのものが国家のアイデンティティーの表現になるというふうに考えています。
畿央高原、近畿内に首都機能が移転されたとき、その近畿圏内の人口の年齢構成については随分と若返ってくるだろうというようなことは考えられます。そういった意味で、私どもの域内の高齢者と成人との比率の中でのバランスというものについては相当改善をされるというふうに考えておりますが、これは、単に首都機能が移転したその先だけの話ではやはりいけないのであろう。
そんなところで、各既存のさまざまな経済圏、人の交流、それから水と緑、そういう立地環境によりまして私は畿央高原がまさしくふさわしいものだというふうに考える次第でございます。 以上でございます。
これは、私どもが申し上げているのは畿央高原というところでございますが、今の東京そのものも、日本列島の地理的あるいは人口面での重心からいえば、既に東の位置にあると思います。
特に滋賀の県知事さんは、今度の畿央高原というと四県にまたがっているわけですね。ですから、滋賀県内の状況も伺いたいと思うんですが、同時に、その他の三つの県内の状況もおわかりであればお答えをいただきたいと思います。
他の府県ですが、畿央高原のエリアからいいますと、滋賀と三重が大きくて、あと京都と奈良が加わっているという感じですが、三重県さんも絶えずこの辺は大きな議論をされ、かつ熱心に取り組んでおられるようでありますし、また、京都、奈良とも、この問題は絶えず知事会あるいはまた経済界でも議論をし、連携をしながら、やはり選択いただくのならここではないかということを申し上げておるところでございます。
それの中には、「未来首都畿央」という本と、それから「畿央高原 首都機能移転構想の提言」国都創造についての研究会、こういうものが入っておるかと思います。それに、きょうただいま申し上げることの簡単なレジュメを入れてございます。この順序に従いまして申し上げたいと思います。 その第一は、今なぜ首都機能移転なのかということでございます。
する特別調査室 長 白兼 保彦君 委員の異動 四月二十八日 辞任 補欠選任 棚橋 泰文君 園田 修光君 保坂 展人君 知久馬二三子君 同日 辞任 補欠選任 園田 修光君 棚橋 泰文君 知久馬二三子君 保坂 展人君 四月二十七日 幾央高原
だから、先ほど先生が、そう早急に決めなくてもいいのではないか、いろいろな議論の中で新たな体系を考えていったらいいのではないか、こういうことをおっしゃいまして、私も畿央高原の議員連盟の事務局をやっているのですが、大変今そういう部分では、単に首都のとり合いをそれぞれしているということではなしに、もう一度考え直す必要があるのではないかというような気持ちで臨んでいるわけですが、先生のお考えをお聞かせいただきたいと
○平田耕一君 去る一月十二日及び十三日の二日間、松田委員長、国井理事、長谷川理事、加藤理事、久野委員、山下善彦委員、山下八洲夫委員、緒方委員、畑野委員、水野委員、そして私、平田の十一名は、畿央高原地域及び静岡県において国会等の移転に関する実情調査を行ってまいりました。 以下、その概要を御報告いたします。 まず、畿央高原地域に対する調査の概要について申し上げます。
私は、三重県の畿央高原の誘致のための議員連盟の幹事長をやっておりますから、積極論者とお考えいただいて結構でございます。 ただ、想定が六十万という人口でございますので、東京の人口が激変する、もしくは大きな動きになるという形では、今、国土庁全体としてはとらえていないんではなかろうかな、こう思っております。
首都機能移転につきましては、私は滋賀県でございまして、畿央高原を一生懸命に推進いたしておりますので、この場で大臣並びに皆さん方のひとつ格別なる御支援をよろしくお願い申し上げます。 特に、地方分権とかかわりが大変深いと思われます今回の法案の中で、地域振興券に関して私自身の提案を申し上げたい、このように思います。
今会期中、本委員会に参考送付されました陳情書は、幾央高原への首都機能移転実現に関する陳情書外一件であります。 ————◇—————
私のところは畿央高原で手を挙げておるのですが、ちょっと最近疑問に思うのは、これが提案されたときと、今、経済的背景、行政的背景、財政的背景、そして先ほど先生のお話にありましたように、本当に、人類史上空前の大変動が予想される世紀が始まろうとしている、こういうようにお書きをいただいているのですが、いろいろな部分を考えますと、そして来年、もう場所を決定する、こういうことなんですよね。
衆議院調査局国 会等の移転に関 する特別調査室 長 白兼 保彦君 ――――――――――――― 委員の異動 九月二十二日 辞任 補欠選任 滝 実君 田中 和徳君 同日 辞任 補欠選任 田中 和徳君 滝 実君 ――――――――――――― 八月二十八日 畿央高原
東京も出ていますし、栃木も出ていますし、私は近畿なのですが、あの畿央高原で、三重、滋賀、京都、奈良、かつての都の中心にもう一度琵琶湖を持ってきたい。しかし、ずっとこれが議論されて、そして、なぜか――だから、危機を分散さすとか、首都機能移転というのはいろいろな要素があるわけですね。そういう状況の中で、こういうタイムスケジュールできて、ことしの秋に現地調査をし、そして来年に国会の意思決定をする。
というのは、もう親友がうちの方へ来いと、我々はまた、滝先生だとか田野瀬先生だとか、畿央高原に来てもらいたい、こういうことで、実は大変熱い運動が繰り広げられているのです。 私は国会へ参りましてこの問題をお聞きしたときに、方々から手を挙げてこられる、しかし、国会というのは、特に首都機能というのはそういう形で決まるのだろうか、こういうように思ったのですよ。