2018-01-31 第196回国会 参議院 予算委員会 第2号
西郷どんの、西郷隆盛の、西郷どんの留守政府なんですが、地租改正や学制、そして太陽暦の導入、さらには使節団の海外派遣など、明治政府は内政、外政共にしっかりと前に進めてきました。 激動の明治維新を始め、戦後からの粘り強い復興、そして現代の国難に対して、憲法という日本のあるべき姿を国民が共有することで、国民全体の本来持っている良心と知恵、努力によりましてイノベーションが起きると考えております。
西郷どんの、西郷隆盛の、西郷どんの留守政府なんですが、地租改正や学制、そして太陽暦の導入、さらには使節団の海外派遣など、明治政府は内政、外政共にしっかりと前に進めてきました。 激動の明治維新を始め、戦後からの粘り強い復興、そして現代の国難に対して、憲法という日本のあるべき姿を国民が共有することで、国民全体の本来持っている良心と知恵、努力によりましてイノベーションが起きると考えております。
たまたま太陽暦に変えた最初のときが十一月二十三日だったからこうなっている。それから、アメリカでいうとサンクスギビングデーですね。これ、十一月の第四木曜日。このどちらも収穫あるいは収穫物に感謝する日なんですよ。勤労感謝じゃないんですね。ここら辺が私はちょっと違和感を感じているので、冒頭、大臣からの丁寧な答弁がありましたからなかなか突っ込みづらいんですが、私が思っていることをちょっと言いますね。
○山本(信)政府参考人 明治天皇が東京にお移りになった後に行われなくなった宮中行事、その例を申し上げますと、今委員もお話しになりましたけれども、例えば太陰暦を太陽暦に改定した、そういう時代だったわけでございます。 それに伴いまして、明治六年には、それまで行われておりました五つの節会、この節会というのは、朝廷が日を定めて群臣を集めて賜った公式な宴会のことをいいます。
つまり、あの日は、イスラムの太陽暦一三八二年、正月です。正月の最終日です。その最終日に、参拝客が一番集まっている寺院や聖地で爆弾テロが行われた。これは日本に例えれば、正月の三が日、日本の大きな神社、明治神宮であれ伊勢神宮であれ、大きな神社、最も聖なる神社、神聖なる神社に爆弾テロが起きたと等しいようなことが起きたわけであります。 とすると、あれはシーア派の聖なる祭りです。
この安政元年当時は太陰暦でしたから十二月二十一日になっているそうでございますが、太陽暦に直し一て二月七日であるということは承知をいたしております。
四月一日にどうして決めたかというと、実は明治政府が一番最初にできたときは、とりあえず一月、暦年制だったんですけれども、明治の二年には十月からスタート、明治五年には今度は太陽暦が使われまして、また暦年に戻った。明治七年には、今度は七月−六月というふうに改めた。
それと同じように、歴史的伝承というようなものを太陽暦に直した、そういうふうに伝えられているのはそれなりにやはり民族的伝承としてみんなでことほいでいい日ではないかと常識的に考えておるわけであります。
なお、これまでの経緯につきましては、そのときどきの事情によりまして変遷をしてまいっているわけでございまして、順を追って申し上げますと、少し細かくなるわけでございますが、明治五年に改正になりましたときには、これはわが国が太陽暦を採用したというような事情がその理由になっているようでございますし、それから、明治七年に改正をし八年から実施いたしました際には、これは地租の納期と会計年度とを関連させての改正であったというふうに
それから最後になりますが、私は、西暦というのはキリスト教に全く関係ないとは考えませんが、太陽暦に直した実情あるいはいま世界で約八十カ国近いものがこの紀年法として西暦を使っているということになれば、必ずしも、キリスト教というものから発しておったと仮定いたしましても、現状は違うのではないか。
○野田哲君 この太陽暦というのは、確かにおっしゃったように外国で始まったものですね。私の資料では、これはグレゴリー十三世という人によってつくられた。当初はグレゴリー暦、こういうふうに言われていて、これが十九世紀から二十世紀の間にカソリック教国だけではなくてプロテスタントの諸国にも普及して、そして全世界に普及して世界の基準暦となった、こういうふうに言われているわけです。
○政府委員(清水汪君) 太陽暦に関しましては、私深くは勉強いたしておりませんが、若干調べましたところでは、これは古代エジプトにその端を発しているということのように理解をいたしておりまして、その場合におきましては、当時のエジプト人といいますか、太陽の運行、それとナイル川の洪水が季節的に起きてくる、それらの関係から一年という暦の観念を持つに至ったというようなことで、したがいまして、その場合の暦というのはいわゆる
○野田哲君 いまの太陽暦の実施に当たっての政府の発行された、いま読まれた点、そしてその次にこれは文部省の天文局発行の太陽暦というのがそれに続いてありますね。これを見ると「神武天皇即位紀元二千五亘二十三年」そしてその下に「明治六年太陽暦」こうなっていますね。
それから太陰暦を太陽暦にしたとき、どういう事情でそういうふうにしたか、それで、これはよかったか悪かったか、こういうふうな立場で、どなたか一番適当な人、きわめて簡潔にお願いしたい、ある程度は、それこそ字引を引いたり、年鑑を見れば、みんな書いてあるのですから。
古い暦を新しい暦、太陽暦にしたというのは非常に近代的合理性を持っております。しかし太陰暦というのも、先ほど農業の話を申しましたけれども、農業と非常になじんだものでありまして、ことに電気、電灯のない時代においてはお月様の光が大変よりどころになります。そういう意味で月の満ち欠け、運行に合わせたという意味が大きかったと思うのです。
それから、先ほどお尋ねのありました中で太陽暦のことがございましたから簡単にお答え申し上げますが、明治五年に太陽暦に切りかえをいたしましたが、これはすでに御指摘のございました当時の鎖国から開国へ向けての一大転換期、文明開化という思想の中で、世界の進運におくれないために国内的に人知の開発を促進する、あるいはその方がより精密な基準であるという認識のもとに、そういうものに切りかえられたと理解をいたしております
それを何か西暦はキリスト教暦だということで、それこそ憲法に抵触するのだというような御発言もございましたが、私は、西暦というのは必ずしもキリスト教暦じゃない、太陽暦ということで社会的に通用する一つの紀年法だと思うのですね。
太陽暦、七曜などは法的裏づけがないにもかかわらず、国民生活に深く根差し、安定しているではありませんか。国民に強制しないというのなら、多くの国民世論に逆らってまで法制化する必要は何もないではないですか。根拠を明確にしてお答え願います。 最後に、今後の元号制のあり方についてであります。
これは、太陰暦から太陽暦に明治になってから切りかえたときに、ユダヤ教、キリスト教の習慣である日曜日を取り入れたわけです。ですから太政官布告できめられて、年末年始の休暇だって太政官布告できめられて長らく生きている。これもふざけた話ですけれども。そうだとすると、昭和二十四年に、総理府の前身の総理庁のときに、総理庁令で日曜日は勤務を要せざる日ときめた。
○国立国会図書館長(河野義克君) これは若干誤解があるかもしれないと思いますので申し上げるわけでございますが、明治百年を迎えるにあたって、その明治百年というのはどういう時点から数えるべきであるか、かつそれは満で数えるべきか、数えで数えるべきか、また太陽暦と太陰暦の関係はどうするのかというような問題がございまして、それについても国会議員の名をもって当館にレファレンスの問題としてただしてまいりましたので
で、それだけではなくて、明治の政府がこれを太陽暦に換算して二月十一日としたことにつきましても問題がありまして、どのような計算で二月十一日という日に換算したのか、その根拠は示されておりません。
王政復古の大号令が出ましたのは慶応三年十二月九日、太陽暦に換算いたしますと一八六八年の一月三日でございますが、その中に、古いいろいろの、陋習を破って、そうしてこれから近代国原として日本が出発する、その精神的バックボーンを神武創業の昔に求めると、こういうことになったわけでございます。
○国務大臣(安井謙君) 明治の初めに二月十一日紀元節がきめられました場合にも、日本書紀による年代編さんというものを太陽暦に直して計算をしておる、この計算はかなり正確なものであるといったような実証は、いまでもされておるわけであります。
それから学者も、ただいまお話しのように、歴史家におきましては二月十一日の神武天皇が御即位された日というのも不確実である、こういうことから、学校で説明するのも困るじゃないかといういまの御質問かと思うのでありますが、これも、御承知のように、日本書紀に神武天皇が御即位されたのが正月元旦である、こういうことで、それを太陽暦に直すと二月十一日ということで、明治六年にこれが決定せられました。
これら旧来の民俗的な伝承も、今日地方によりましてはいろいろの相違しているところもありますが、これを太陽暦に直し、この日を国民が互いに今日生存している意義を反省するとともに、われわれにこの生存の喜びを与えてくれた祖先や先人に対し、感謝の意をささげたいと思うのであります。
これら旧来の民俗的な伝承も、今日地方によりましてはいろいろの相違をしているところもありますが、これを太陽暦に直し、この日を国民が互いに今日生存している意義を反省するとともに、われわれにこの生存の喜びを与えてくれた祖先や先人に対し感謝の意をささげたいと思うのであります。
これら旧来の民俗的な伝承も、今日地方によりましてはいろいろの相違しているところもありますが、これを太陽暦に直し、この日を国民が互いに今日生存している意義を反省するとともに、われわれにこの生存の喜びを与えてくれた祖先や先人に対し感謝の意を捧げたいと思うのであります。