2011-05-26 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号
今韓流ブームですけれども、あれは、あの中に朱蒙とか、それから太王四神記ですか、これは高句麗の関係です。これは日本を洗脳するための一つのドラマですね。そういう意味では、NHK辺りは国民から視聴料を取って韓国に協力しているということになりますね。大変なことです。
今韓流ブームですけれども、あれは、あの中に朱蒙とか、それから太王四神記ですか、これは高句麗の関係です。これは日本を洗脳するための一つのドラマですね。そういう意味では、NHK辺りは国民から視聴料を取って韓国に協力しているということになりますね。大変なことです。
皆さんもファンがいらっしゃるかと思うんですけれども、「朱蒙」とか「太王四神記」というのは、これは日本人あるいは韓国人を洗脳するためのドラマだということですね。つまり、高句麗というのは、歴史的には、韓国の領土でもありませんし、中国の領土でもありません。それを、自国の領土だということを主張するために使った、つくったものが、「朱蒙」であり「太王四神記」だということですね。
例えば、ローマ帝国がどういうことをしたかということも、当時の歴史だっていろいろとローマの方々やヨーロッパの方々にとっては興味深いと思いますし、日本と朝鮮半島の歴史でも、それは高句麗の好太王のころはどうだったのか、白村江の戦いのときはどうだったのか、二一七四年の文永の役と一二八一年の弘安の役に元冠が攻めてきたときに朝鮮の方々も一緒に日本を攻めたのではないか、あれは侵略だったのではないか、そういうところまでやっぱり
例えば我が国と朝鮮半島との関係についていえば、私も子供に勉強を教えたときの記憶ぐらいですからよく覚えておりませんが、白村江の戦いとか任那日本府とか高句麗の好太王碑、そういうような時代から、あるいは一二七四年、一二八一年の文永・弘安の役で蒙古大襲来のときでも朝鮮半島との微妙な関係があっているわけです。
聞けば、殿下ご幼少時から、父李太王殿下が厳妃殿下と共に、飾り物など中国から取り寄せて準備されしよし。ひとつひとつに御心のこもりし品、ただただありがたく感じる。織物は見本を京都西陣工場に出されて織ってあったよし。花と雉の模様が紺地に織り出されてある。 そして翌二十八日、当日でございますが、その日の日記には、 すばらしい晴天でした。
その一つの有力な徴証は、西暦三九一年の好太王の碑、鳴緑江の中流に通溝という場所がありますが、そこに好太王の碑が立っております。その碑に、倭軍がそこまで攻めて来て戦ったということが書きしるされておる。好太王の碑は明治時代になってから発見されたのですが。そういうことで三世紀の後半から国家統一が進んで、四世紀頃には完成した、こういう教え方で日本の国家統一の完成を教えておるわけであります。
(拍手)李太王の夫人で閔妃という女性がございましたが、あの閔妃は非常にダンスなどがすきで、大いにおどり、めちやめちやに腐敗したために、宮中に何百とおる女たちが、まず白衣の、着物のままで高い宮殿から町に飛びおりて、次々と死んでそれに抗議をした。そうして国民大衆が革命約様相を呈するに至つたのであります。そのとき日本などが行つて国をとつたようなわけであります。もらつたようなわけであります。