2012-08-24 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
例えば、古事記は、和銅四年、七一一年九月十八日に、遷都翌年の平城京、これは奈良市ですが、元明天皇が太安万侶に対して稗田阿礼の朗誦した旧辞からの選録を命じ、翌年七一二年、本年が千三百年紀でございますが、一月二十八日、太安万侶が古事記三巻を献上いたしております。
例えば、古事記は、和銅四年、七一一年九月十八日に、遷都翌年の平城京、これは奈良市ですが、元明天皇が太安万侶に対して稗田阿礼の朗誦した旧辞からの選録を命じ、翌年七一二年、本年が千三百年紀でございますが、一月二十八日、太安万侶が古事記三巻を献上いたしております。
平城遷都はそういうことで二〇一〇年が千三百年ですけれども、これは私は日本国民として、あの大極殿で、その二年後に稗田阿礼と太安万侶が古事記を編さんしているんですよね。そして、七二〇年には日本書紀がそこで書かれているんですね。私は、そういうことを考えますと、日本の成立という揺籃期が、七〇〇年、今から千三百年のいにしえに、こういうところで成立しているんだなということ。
また、我が国で最も古い歴史書とされている古事記、太安万侶とか稗田阿礼が大極殿の中でこれを編さんしたということを考えれば、我々の歴史の中で最も重い都であると思います。
そういう意味におきまして、やはり現代の稗田阿礼とか太安万侶が必要である、そういうような感じもいたします。そういう意味におきまして、これも文部省でひとつ検討させたいと思っております。
それからまた、わかっていないものにつきましても、たとえば先般、太安万侶のお墓が出てまいりましたが、あの奈良の茶畑のあそこから出てくるとはよもやどなたも思わなかったわけでございますし、稲荷山の鉄剣にしても、ああいうものが出てくるとは思わなかったわけでございまして、地中にございますものですから、文献、史料だけで推測して重要度を判定するというのはきわめて困難であるというところにむずかしい問題がございます。
放送大学の構想が検討されている段階でも、委員の間で、たとえば最近の事例で言えば、太安万侶の墓碑銘が発見されたら、そのことが直ちに放送大学の特別講義のような形で取り上げられて、それを放送大学の学生に解説してやるというような対応ができるというのは、これは放送という手段を使うメリットをきわめて有効に活用する方法ではないかというような御指摘はあるわけでございます。
古事記をひもといてみますと、開巻第一発に太安万侶がまとめた文章ですけれども、「天地のはじめの時、高天ノ原に成りませる神の名は、天之御中主ノ神。次に高御産巣日ノ神。次に御産巣日ノ神。この三柱の神は、みな独神成りまして、身を隠したまひき。」というところから始まっておる。しかもその次に書いてある、はなはだおもしろいことがある。
○纐纈委員 淡谷先生のまことに学のあるところを承わりましたが、古事記は午前中にも申し上げましたように、やはり語部の言い伝えでございましたものを、太安万侶が書物に編んだわけでございます。それからこちらはやはり太安万侶が舎人親王を主任として元正天皇の命を受けて歴史を編んだわけでございます。