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22件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1955-03-29 第22回国会 参議院 文教委員会 第2号

これは天野文政として天野文部大臣が非常に努力されて始められたことですが、その後ちょっと変りましたけれども、ともかく一年生に算数、国語というのはとりあえず確立された。この経緯についてはいずれ政務次官も御存じと思いますが、もし御存じでなかったら、大臣とともに私は文部事務当局から詳しく聞いていただきたいと思うのですが、私はここで伺いたいのは、大蔵大臣答弁ですよ。

矢嶋三義

1953-11-02 第17回国会 衆議院 文部委員会 第1号

これは大達さんが文部大臣でございますから、岡野さんが文部大臣のときに岡野文政、あの大野文政、そういうふうに呼ばれたわけでございますが、この天野文政にしても、岡野文政にしても、大達文にしても、こういう固有名詞をつけて呼ばれておるというところには、実はそこに、呼んでおる側にとつてはいろいろな内容を持つておるようであります。

野原覺

1953-03-05 第15回国会 参議院 文部委員会 第17号

更に先ほど大臣天野文政と同じ方針で行くんだと、こういうことを申されましたが、天野文部大臣は、とやかくの批判は受けられましたけれども、大学の自治とか、学問の自由とか、民主教育の確立というような点については世人を傾聴させるところの確たる識見を持たれておられた、こういうふうに私は思つております。その点については私は敬意を表しておるのでございます。

矢嶋三義

1953-03-05 第15回国会 参議院 文部委員会 第17号

それでございますから天野さん時代基本方針と変つておらん、そういう意味におきまして、無論予算のいよいよきまります事態に至りましては、できるだけ文教予算をたくさん頂きたいと、こう思いまして努力をいたしましたけれども、根本政策方針というものは天野文政というものを私は受継いでやつておる次第でございます。

岡野清豪

1952-12-17 第15回国会 参議院 文部委員会 第10号

確かに岡野文部大臣党人文相としての政治力を一〇〇%発揮しようという野望は持たれているであろうということを私は確信するわけでございますが、まさか日本教育を一党一派支配下におこうというようなお気持はないということを私は信じておつたわけでございますが、先ほど天野文政アドバルーンというものを明確にお答え願えなかつたので、若干杞憂いたしましたのであえてお伺いいたしたわけであります。  

矢嶋三義

1952-12-17 第15回国会 参議院 文部委員会 第10号

先ず第一点としてお伺い申上げたい点は、大臣は前文部大臣天野先生帝策を自分は引継いで行くんだ、こういうようなことを述べられておられますが、天野文政の中核ともいうべき天野文部大臣が掲げたところの旗、アドバルーンというものは如何なるものであつた大臣は把握されておるか、先ずそれをお伺いしたいと思います。

矢嶋三義

1952-11-12 第15回国会 参議院 文部委員会 第2号

天野文政時代にはそういうことがなかつた委員要求があれば、これは要求に応じて多く人に会うということは非常にいいことなんです。それが今度最近大臣になつて、いわゆる文部省の側近というのがあるのかないのかわからないが、そういう者が会わせないようにしておられるのか、それが大臣の意図から出ているのかどうかわからないが、こういうことでは教育民主化もへちまもない。

岩間正男

1952-07-25 第13回国会 参議院 本会議 第69号

この法律案は、幾度か申されたことでございますが、天野文政の柱でございます。従つて天野文部大臣はその内藤課長をわざわざ外遊さして、その検討の下に打ち出されたものでありまして、この法律案天野文政から始まつたものでなくして、そこにいらつしやいませんが、高瀬議員文部大臣時代から、その名は標準義務教育費法案でございましたけれども、その当時から全国民的な要望によつて取上げられて来た問題でございます。

矢嶋三義

1952-07-10 第13回国会 参議院 文部委員会 第49号

それから政府部内におきまするところの調整をいたしました結果が、修正案となつて現われて来たということになつておりますので、まあ私たちから考えますというと、虎の子のような大臣、大切にしておるこの大臣に対して、できるだけ天野文相として特異性を持つ行き方をしなきやならん、そうして天野文政に非常な輝きを持つてもらいたい、こういう意味文部大臣には過去、御就任以来協力をして参つたのであります。

若林義孝

1952-07-09 第13回国会 参議院 文部委員会 第48号

天野文部大臣は与党のために完全に裏切られた、これを天野文部大臣の大きな信念に基く抵抗によつて食いとめればこそ、曾つて我が国文教責任者として天野という人がおつて、そうして日本教育をかように打立て守つたという歴史が残るでありましようが、ところが義務教育費国庫負担法がこういう状況になり、更にこの日本教育行政上、根幹をなすところの教育委員会法が衆議院の自由党の考えというような立場において決定された場合には、天野文政

矢嶋三義

1952-02-07 第13回国会 参議院 文部委員会 第3号

そういう点から言つて天野文政はここにはつきり行詰りを来たしておる、私はこういうふうに見ておるわけです。これは数字の上からそう見ておるのであつて、これは非常に私は重要な問題であると、こういうふうに考えておるわけなんです。で、それは文部大臣は、四つのことだけ考えているわけではない、ほかのことを考えている、それは私は全体として考えなければならんと思うのです。

荒木正三郎

1952-02-07 第13回国会 参議院 文部委員会 第3号

国会昭和二十七年度の予算審議する国会であり、昭和二十七年度の一般施政に関係のある問題を審議しておりますので、この際天野文政構想を、これは前国会のときにも承わりましたが、その後変つておらないのか変つておるのかという点をお伺いして、そうして天野文政が実施される予算の面においてどういうふうに配慮が行われておるか、いわゆる教育政策予算面にどういうふうな現われ方をしておるか、こういう点についてお伺いしたいと

荒木正三郎

1951-11-22 第12回国会 参議院 予算委員会 第21号

それだけに大臣言動は重大だと私は考えておりますので、予算的なものはあとにしまして、先ず大臣天野文政の基本的な理念について若干お伺いいたしたいと思うのでございます。  私は、お互いは今度の講和條約を結んで、平和というものを具現して行きたいということについては全国民一致しておるわけでありますが、平和というものは飽くまでも民主主義というものが基盤でなければならない。それによつて培われるものである。

矢嶋三義

1951-10-24 第12回国会 参議院 文部委員会 第2号

教育の理論的な精神的な方面から、天野文政が、大臣になられた当時並びにその以前における天野文部大臣個人言動から、これは崩壊するのじやないかという危険を今その点で申上げたわけですが、もう一点は先ほどちよつと出ましたが、教職員資格審査法案というものを提案されることになつておりまするが、先ほどの大臣答弁の程度では、曾つて天野文部大臣と心てはこういう審査法案には反対ではないかというように私は考えるのです

矢嶋三義

1951-10-24 第12回国会 参議院 文部委員会 第2号

矢嶋三義君 このたび補正予算案がここに出されておるわけでありますが、この補正予算は当然来年の本予算とも関連して、いわゆる天野文政推進的角度から政区部内において交渉を続けられておられると思うのでありますが、私はこの際天野文部大臣にお伺いいたしたい点は、天野文教政策は、いわゆる六・三義務教育推進と、それから育英事業推進科学教育振興、更に現段階においての重要産業教育振興、これが天野文政筋金

矢嶋三義

1951-06-01 第10回国会 参議院 文部委員会 第42号

この審議の過程におきまして、七カ年問に二百億、そのうちの百億は国庫でやるが、その費用については現在の教育予算枠外である、決してこれは六三予算あたりしわ寄せをするものではないということを発議者からも承わり、又確保するということを文部大臣からも承わつたわけでありますが、飽くまでもこれに要するところの予算というものは、決して現在の天野文政のみの予算しわ寄せをするものではない、枠外予算を確保すべきものであるということを

矢嶋三義

1951-05-11 第10回国会 参議院 文部委員会 第33号

なおそれに対しては努力するということを承わつたわけでございますが、その点について大蔵当局の御意見を承わりたいのですが、天野文部大臣天野文政筋金として義務教育振興ということを掲げられておりますし、例の〇・七ではどうしても不十分だ、あの惨憺たる状況から〇・九までどうしても持つて行きたい、と常々大蔵当局に交渉されておるところは大蔵当局としても御承知だと思うのですが、更に天野文政一つ筋金として科学教育

矢嶋三義

1951-05-11 第10回国会 参議院 文部委員会 第33号

私は局長是非耳に入れておきたいと思うのですが、今の御答弁で私は重ねてお伺いいたしたい点は、産業教育に対する局長のお考えはわかつたわけでありますが、今まで不十分だとして天野文政筋金から進めて来たこの方向をこの産業教育法を重視する余りに、そちらのほうの推進をとめられるという事態が起つては私は困ると思うのでございますが、今も大蔵当局に交渉されて参りました天野文政推進方法というものをお認めになつていらつしやるかどうか

矢嶋三義

1951-03-22 第10回国会 参議院 予算委員会地方財政平衡交付金に関する小委員会 第1号

大臣に是非承わりたいのは、大臣天野文政の三本柱として、義務教育振興ということを常々述べられておるわけでありまするが、現在この問題のために如何なる支障が各都道府県に起つておるかどうか、そういう点について大臣はどういうふうに把握をされておりますか、それを私承わりたいと思う。

矢嶋三義

1951-02-09 第10回国会 参議院 文部委員会 第7号

どうもこれは天野文政に対する質問になるかと思うのでありますが、一貫性がないんじやないか。曾つては保護し、こういう取扱をして、労組に対してこういう取扱をして来た。ところがこういうふうに変つて来ますと、次々に今後こういうふうに変わるのだと、こういうふうな印象を私は国民に與えるということはこれは重大な問題だと思う。

矢嶋三義

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