1952-07-09 第13回国会 参議院 文部委員会 第48号
天野個人がそういうことを考えていようがどうしようが、それは我々は余り問題にはならないことであるが、併しあなたは現に教育界、教員を集めた会合において話されたということではないですか。これは天野個人とか何とか言い逃れをつけられようと、これははつきり言えば半公式的なものである。そうして聞くところの教員の気持には一体どう受取られますか。
天野個人がそういうことを考えていようがどうしようが、それは我々は余り問題にはならないことであるが、併しあなたは現に教育界、教員を集めた会合において話されたということではないですか。これは天野個人とか何とか言い逃れをつけられようと、これははつきり言えば半公式的なものである。そうして聞くところの教員の気持には一体どう受取られますか。
○国務大臣(天野貞祐君) 天野個人というのも、いつも文部大臣としての個人だというふうに世間から言われております。又矢嶋さんもそういうふうに受取られておりますから、やはり個人として用心したほうがよかろうと思います。(笑声)
天野個人の意思なんかは問題ではない。この激しい世界の混乱、こういう対立、こういう中、現実の激しい中において天野個人の意思はどうあれ、それがどのように最後の力、或いは政治的な力によつて現実的な役割を果されつつあるかということについて深い反省の工作を今日なされなければならないということをこの前予算委員会において指摘したのであります。
但し先ほども申しますように案文は全然拝見しておりませんので表現の点、それから又発表の方法といつたようなこと、先ほどからお話のございましたように天野個人とかいろいろのことはございますが、私はそういうことを余り注意いたしておりませんですし、まだ案文も拝見しておらないのでありますからして先ず案文を拝見しなければ何とも言えない。
まあ形式と内容の二点でありますが、形式におきましては金森先生や城戸さんその他おつしやいましたように、文部大臣天野個人という資格が甚だ不明瞭であることが根本であります。個人としてお出しになつてもやはり文部大臣というものがうしろにあり、そういう台の上に乗つての天野個人であられるのでありまして、そのエフエクトというものは非常に重大なものである、そして懸念されるのであります。
山口参考人にお伺いいたしますが、こういう道徳基準というようなもりが政府機関から押しつけられてはならないという点では全部の参考人のかたがたの意見が全く一致しておるのでございますが、天野文部大臣はこういうことを言われておるのですね、天野個人として出すので、権威は持たしたくない、従つてまあ諮問委員会にもかけない、国会の文部委員会にも御相談しないで出すんだ、若し国会の文部委員会にでもかけると権威を持つことになるから
本人の言うところによつて判断する以外にないというわけなんですから、実際としては、これは裁判所が官庁として天野にやらしたことでないことは明らかなんですけれども、民事上の責任がどこべ行くかということについては、官庁でやつたことではないんだけれども、道義的に言えば、裁判所が知らぬ、存ぜない、天野個人がやつたことだ、あるいは職員の利益のためにやつたことだと言つて済まされない面が確かにあるわけなんです。
確かに文部大臣天野個人としての現世代に対する心配とか、それに対する対策としてお考えになる、その善意は私は諒とするのでありますが、この影響性というものを考えるときに、私はこれは極めて重大な問題であると、こういうふうに考えるわけです。
従つて政令でも訓令でも出すのでなくて、天野個人の意向として出すんだ、こういうことを言われておりますが、現在の我が国の民主過程ですね、国民の民主主義の理念の把握とか、或いは民主主義の実践というような角度から、いわば文部大臣天野という名前で出すことは随分私は大きな権威だと考えるのですが、大臣が権威を持たして出したくないとあれば、やはり野人天野の立場になつた場合に行えば然るべきものでありますが、文部大臣天野
(「見解の相違だよ」と呼ぶ者あり)大臣が個人的に会つて発言するとか、或いは講演会に招かれてお話になるのと、今度の二條約は発効し、国が独立した機会に国民の拠るべき道、国民実践要領というものを文部大臣天野個人としてここに発表するというのとは私は全く違うと思うのでございますがね。そういうことをお考えになりませんか。
更にこの点は今高田委員から質問されましたらこれと関連したことを申上げるのでありますが、あの答弁の際に、大臣は批准国会の終了或いは両條約の発効の時に国民実践要領を出すつもりだ、こういう公式発言があつたわけでありますが、この点について私は質疑を展開するに当つて、先ず大臣にお伺いいたしたい点は、あの際に天野個人として参考に出すのだ、こういうふうに発言されたのでありますが、この発表の形式という立場について、
第二にお伺いしたいのはこの道徳実践要領でありますが、これを天野個人として発表するというお話でありましたが、文部大臣天野個人、こういうことでありましたが、文部大臣天野個人と天野個人ということは私は非常に違うと思う。その証拠には文相が文部大臣の地位を下がられてそういうものを発表されたならば一番明確である。
○国務大臣(天野貞祐君) 私個人といつても、大臣たる天野と天野個人というのを分けることは非常にむずかしいと思いますから。
○矢嶋三義君 だから天野個人のことで結構でございます。
○国務大臣(天野貞祐君) 天野個人の説は、私もよく人の話も聞かないと個人の考えも固まりませんから、よく人の意見を聞いた後に天野個人の意見を述べたいと思います。