1986-03-20 第104回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号
飯田市に隣接をいたしまして、天竜川沿いから赤石山脈の方に向かって伸びておる地域でございます。 私どもは、昭和三十四年、農協合併助成法の以前に、村内に喬木村農業協同組合と喬木村南農業協同組合、この二つがあったわけでございます。
飯田市に隣接をいたしまして、天竜川沿いから赤石山脈の方に向かって伸びておる地域でございます。 私どもは、昭和三十四年、農協合併助成法の以前に、村内に喬木村農業協同組合と喬木村南農業協同組合、この二つがあったわけでございます。
ただ、現状におきましては既に天竜川沿いの地域の皆様方の地域の足というふうになって定着しておると考えておりますので、私どもは二俣線が今後どうなるかということのほかに、天竜川沿いのバス路線沿いの皆様方の地域の足をどうするかということで考えるべきだと思っておりますので、二俣線が今後どのようになるかということについて、関係はございますけれども、二俣線が仮にバス転換になったといたしましても天竜線の使命が変わるものではございませんので
この平岡ダムの県との天竜水系の水量の使用契約は昭和六十年度に更新するんですけれども、このために河床が上がって水位が十メートルも高くなって、天竜川沿いの家屋が床上・床下浸水がされていまにも崩れそうになっているのです。
御高承のとおり、国道百五十二号線は長野県飯田市を起点として、上村、南信濃村を経て、静岡県水窪町に入り、その後天竜川沿いに南下して、天竜市等を通って浜松市に至る延長約百三十三キロの国道でございます。すなわち、南信地方と東海道ベルト地帯を最短距離で直結する重要路線で、特に、長野県側の遠山地方及び静岡県北遠地方にとっては、生活、文化、経済等すべての面において必須の道路であります。
それからもう一つは、あの地域をごらんいただきますとわかるのですが、富士川沿いでございますとか、天竜川沿いでございますとか、木曽川の平野部へ出るところでございますとか、豊川が平野部へ出るところ、それから東の方で言いますと、いま先生のお話しになりました相模川の流域でございます。
それから、これはなかなかりっぱな例ですけれども、長野県の天竜川沿いの下伊那郡の泰阜村という、ここは関係者もいらしたことがあると思いますけれども、かつて戦前、満蒙開拓団ですか、をずいぶんたくさん出した地域なんです。
それで、中央道のほうは吉田までは三月完成ということになっておるらしいけれども、伊那谷、天竜川沿いのほうはまだ路線の決定までもできておらぬということになると、これは一体、むろん恵那山隧道の完成ということに見合ってしなければならぬことだから、これはやむを得ぬと思いますけれども、じんぜん日を送ると買収価格は上がるばかりで、また上げたくって待っているわけです。
○委員長(小平芳平君) 住宅局長、検討してみるようにということと、それからもう一つ私からお尋ねしたいことは、長野県の天竜川沿いに何十戸か、相当移転されましたけれども、これはどういう事業でおやりになったのですか。
次に、天竜川水系における被害状況についてでありますが、われわれは、天竜市から天竜川沿いに進み、竜山村に参り、秋葉ダムを視察いたしたのであります。竜山村を主とする天竜川水系の被害は、この秋葉ダムが、今次豪雨により貯水量がかさみ臨時放水をしたことにより発生したものといわれ、家屋の流失及び浸水被害を起こしたというものであります。