2000-03-22 第147回国会 参議院 憲法調査会 第4号
天皇の称号が生まれたのもこのときであり、それは天武天皇の、いやもっと前にあるという説はあるんです、推古天皇のころからだという説の方も有力なんですけれども、少なくとも木簡が出土して天皇号が証明されたのは、七世紀の終わりの天武天皇の木簡の出土であります。それから、国号で初めて日本というふうに主張するようになったのも七世紀の末であります。
天皇の称号が生まれたのもこのときであり、それは天武天皇の、いやもっと前にあるという説はあるんです、推古天皇のころからだという説の方も有力なんですけれども、少なくとも木簡が出土して天皇号が証明されたのは、七世紀の終わりの天武天皇の木簡の出土であります。それから、国号で初めて日本というふうに主張するようになったのも七世紀の末であります。
こうした聖徳太子の新国家建設の成果として、わが国は隋と対等の国交を結ぶことができ、それとともに日本という国号を称し、天皇号を唱えるに至ったのであります。御承知のように、隋書倭国伝に、推古天皇の士五年に、聖徳太子は小野妹子を遣随使として派遣し、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」という国書を送りました。