1996-03-25 第136回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
天皇一家の日常の諸費というのは、一般国民の家計から見まして、その生活費の費目は少ないというのがこれまでの国会答弁によって明らかになっております。 例えば、住宅は国有財産で家賃もないしローンもありません。食材の多くは、いわゆる御料牧場でとれたものが持ち込まれます。病気の治療費は、宮内庁病院で患者負担なしであります。衣装も、公的な場合は宮廷費から出ます。
天皇一家の日常の諸費というのは、一般国民の家計から見まして、その生活費の費目は少ないというのがこれまでの国会答弁によって明らかになっております。 例えば、住宅は国有財産で家賃もないしローンもありません。食材の多くは、いわゆる御料牧場でとれたものが持ち込まれます。病気の治療費は、宮内庁病院で患者負担なしであります。衣装も、公的な場合は宮廷費から出ます。
私は、天皇一家のお祝い事、まして今度の皇太子と小和田雅子さんの結婚については心からお祝いを申し上げたい。しかし、こういう天皇一家の行事で、前例があるからということでその都度恩赦をすることがいいのかどうか。少なくとも行政行為は法律に基づいてやる。
私は、象徴天皇一家としてその権威を保つ上において——民の苦しみが解決してから自分はあとから追いかけていくという、この委員会でも私が何回か申し上げた陛下の先憂後楽の信念、こういうものが陛下にはおありだ、だから宮殿でもずいぶんおくれてできてくるような形になり、今度の海外旅行でも、国民が自由に海外旅行ができるときに、陛下があとから旅行されるということになった。
これは、天皇あるいは天皇一家、皇室の問題ではなくて、一般国民と天皇家との接触を阻害しているのは宮内庁だ、これはあまりにも形式と時間、タイムでおおって、もっと接触すべきところをあまりにも疎外をさせているのじゃないかという一般の声があるわけであります。これは、いわば皇室における行事その他に私ども参画をいたしましても、たとえば参議院議長と天皇との間の新年のごあいさつ、三行ですね。
この点は私たちの心づかい、陛下のおそばにおられる宮内庁長官以下が、こうしたうるわしい、大衆とともにあり、朕なんじ臣民とともにあり――いまは朕ということばはありません、いまは国民とともにある天皇一家であるぞというこの気持ちを十分浸透させることによって、皇室と国民大衆の間がより親和し融和する、そしてわが国の繁栄に結びつけることができると思うのです。
そこで、そのいきさつを簡単に申し上げますと、御承知のとおり、この栃木県は那須の御用邸がございまして、天皇一家に対する非常な敬愛という程度がほかの県以上にあの県は強いところであります。そこで、いまから三年ぐらい前でございますが、御料牧場の移転の問題が出ました。ところが、さっそく名のりをあげたのが矢板市というところと高根沢町というところ、両方名のりをあげまして、猛烈な誘致運動をやったわけであります。
○伊藤顕道君 いま御指摘申し上げたように、内廷費は天皇一家の私経済になりますから、深くお伺いしませんが、その一部には、前にもそういうお話を聞いたわけですが、投資信託とか、あるいは株式投資、こういうふうな場合等々を聞いているわけですが、差しつかえない範囲内において使途等についてもお伺いしておきたい。
だが、各年度の皇室費を見れば、少なからぬ血税が天皇一家のためにつぎ込まれています。皇太子のメキシコ訪問に四千八百万円、タイ訪問に一千万円、義宮の結婚のために三千四百万円が、当初予算以外に使用されています。これを了承することはできません。
しかし、やはりいま言ったように、長官みずから政府委員として、常に天皇一家というか、皇室に対しても、国民に対する責任を明らかにするということを、私は特に要望したいと思うのであります。これはぜひ御検討願いたいと思います。
象徴天皇一家には男尊女卑であり、一般国民には男女同権である、こういうことは憲法のどこにもないのです。従って、憲法の精神から言って、皇室典範は、その精神を受けて第一条が書かれてあるべきである。
戦争させた天皇一家はぜいたくができて、戦争させられて苦しい生活をさせられておるわれわれはどう考えなきゃならぬかということを、毎朝五時五分から放送されておる早起き鳥で聞かされたのであります。そういうことはわかっておりますか。
お話のあの「御璽」というのは、私は表題と中味を斜めに読んだぐらいで正確に批評することができませんけれども、一般には象徴——天皇一家をひやかすような内容を持っていると言われる、その意味において穏当を欠くものと思います。
が、現にいま生きている実在の人物を、実名のまま、処刑の対象として、首を落とされる描写までするのは、まったく人道に反するものというほかない」、「天皇一家だからかまわないと考えてのことだろうか。国の象徴、またやがて象徴になる人、その夫妻は、普通の人間とはちがうから、人権を考慮する必要がない、と考えたのだろうか。とすれば非常識な話である。
そういった意味で、いわゆる皇居造営ということが持ち上った機会に、やはり天皇一家の立場から考えることも必要でありましょうけれども、天皇一家と国民の関係から、国民の生活並びに国民の感情といった点からも、この際やはり考えておく必要があるのじゃないかと思います。私も先般ちょっと皇居の中を拝見したのでありますが、非常に由緒ある江戸城のなごりもある反面、非常に荒廃している面もあるようであります。
「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。
○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。
あれではなかなか、親愛の情、国民と天皇一家との心情のつながりということは、たとえば今一つの国会の開会式を例にとっても、親愛の情でつながっておるというふうには受け取れないわけです。この点についてはどういうふうにお考えですか。
天皇一家を存続させるために生活していこうというような不心得な考えを持った人たちは、国民の敵だとすら言われておる。 三月三十日と申しますると、二日前ですね、文化放送「日本の子供」の時間の中で、富山県から来た修学旅行の生徒が、「おらっちゃの見た東京」の話の中に、記者との間にこういう質問がかわされた。
今回の増額の提案理由の中に「近年来の物価高」云々と書いてあるが、そんなに天皇一家は高い物ばかりを買って生活しておられるのか、非常にふに落ちないものがある。 これは話のついでに申しますが、私は終戦前赤坂見附の所に住んでおったのであります。私の近所の宮家に納品している魚屋は、二軒の宮家を持てば六人や七人の家族はけっこう食われると、こういうことを言っておったのです。
そこでその日本民族の源をたどってみると、これはピラミッドの頂点にいくように、だんだんその源は小範囲になってくるのでございますが、その源はやはり歴史上は天皇一家が中心になっておるようでございますね、これはお説の通りでございまして、そこから天皇系が動脈となって日本民族というものは大体広がってきているという、これは大体史実の伝うるところでございまして、一応このことには異論がないと思うのですが、そこでその天皇
一体明治維新をやる以前の王政復古、あるいは天皇一家に対するさまざまな忠勤思想が、徳川幕府によってどのように扱われておったか、あなたはどう解釈されておりますか。